第27話


「なっ、………と、突然何をおっしゃるの?殿。殿下は、このあたくしを捨てるっていうの?あの、野暮ったい見た目の長年連れ添って来た女を捨ててまで手に入れた、このあたくしをっ、」


 ふわふわとした腰くらいの長さのプラチナブロンドに、アクアマリンのような空色の瞳を持つマリンソフィアと王太子と同い年であるコロンは、可愛らしい顔をうるうるとさせてあざとく王太子に枝垂れかかった。


「すまない、コロン。俺は恋に落ちてしまったようだ」


 ーーーバキっ、


 マリンソフィアの手の中で、真っ赤な扇子が砕け散った。


(恋に落ちたって何!?もしかしなくともこのお馬鹿、わたくしのことを気がついていない!?まがいなりにも、16年も婚約していたのに!?)

「ということで店長さん、お名前を伺っても?」

(ということでって何よ!!まさか求婚でもしてくるつもり!?)


 マリンソフィアは顔がピクピクとなるのを必死になって抑え込みながら、美しく微笑んで回避方法を模索するが、権力を失った今、王太子に真っ向から楯突くことは厳しい。世論を味方にすることはできても、真っ向からは戦えないのだ。


「………どういうことかは存じ上げませんが、わたくしの名前はソフィアですわ。下賤の生まれですので、苗字はございません。まあでも、もう少しで入籍する予定ですので、そうすれば苗字は得られるのですが………」


 ほうっと溜め息をつきながら憂い顔を作って、マリンソフィアは予防線を張っておく。当然、馬鹿王太子に通用するとは思っていない。そもそも、これしきのことで動きを止めるような臆病者でないことは重々承知しているつもりだ。


「そうなのかー。だが、その男とは別れるがいい。なんと言っても、この、王太子たる俺が求婚するんだからな!!」

(ほら、やっぱり通じない)


 マリンソフィアは辟易としながら馬鹿の相手を続ける。だが、扇子がないことにはこれ以上の戦いは厳しそうだ。マリンソフィアはクラリッサに合図を出して新しい扇子を持って来てもらう。


「ありがとう、クラリッサ」


 これまた真っ赤な扇子を持ったマリンソフィアは、扇子を広げて口元を隠すと、悔し気にくちびるを噛み締めているコロンを見て、色々と察した。


(彼女が恋をしているのは、王太子ではなくてーーー………)


 マリンソフィアの独白を知ってか知らずか、次の瞬間、胸元に大きな胸を擦り付けるように枝垂れかかっていた身体をベリっと剥がされたコロンが、王太子に向けて激昂した。怒声がうるさすぎる。ギャンギャン喚くなら、外でやってほしいものだ。


「あたくしを王太子妃にしてくれるって約束してくださったではありませんかっ!?」

「………ここ数日一緒に過ごして分かったのだが、お前は俺の地位にしか恋してないだろう。俺はそんな女と結婚するのなんかごめんだ。そして、俺はこの美しい女性に恋をした。手切金はこのくらいでどうだ?」

(あら、ちゃんと分かっていたのね。この女がに恋をしていたことに)


 マリンソフィアは婚約者を、ほんの少しだけ感心した瞳で見つめた。ここまで成長していたのかと思うと、ちょっとだけ感慨深いものがある。昔は変な詐欺商人にえげつない金額の不恰好な壺を買わされていたのに。


「っっっっっっ、王妃さまに言い付けましてよ!?」

「ふんっ、好きにするといい。母上は何があろうとも俺の味方だからな」

「………手切金の金額は最低でもその10倍にしてくださいませ。あたくしにも、体面というものがございましてよ」

「そういうのは、俺は苦手だ。母上に頼んでくれ」


 王太子の言葉を受けたコロンは、きっとマリンソフィアを睨んだ後、颯爽と部屋から出ていった。うちの従業員に当たり散らしながら帰っているようだが、怖いもの知らずもいいところ。マリンソフィアはこれからの彼女に対する仕打ちを考えながら、じっと扉を扇子越しに睨みつけた。


「じゃあ、邪魔者が消えたことだし始めようか」


 そう言われて分からないほど鈍感でないマリンソフィアは、扇子の下で口元をひくつかせた。普通、婚約破棄した相手に1週間も経たないうちに求婚するだろうか。否、普通の精神を持っていたらしないだろう。というか、普通16年も連れ添って来た婚約者ならば、装いやお化粧、髪型の変化ぐらいで相手が分からなくなるということすらないだろう。馬鹿王太子だとは思っていたが、ここまで馬鹿だとは思ってもみなかった。


(予想していた展開の中でも、最低最悪の展開ね)


 マリンソフィアは渋い顔をしたいのを必死に我慢して、扇子の下で小さく吐息をつくのだった。

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