第43話 君だけのお見舞いとベッドの上の告白(南家・伊織自室)[2023/1/17 Tue]

 外開きに扉を開いた伊織はどこか照れくさそうだった。

 パーカーにスウェットの服装は、学校じゃ見られない緩さだ。

 小学生の時はいつも適当な服だったし、特に違和感はないのだけれど。

 それでも今は伊織自身が違う。小学生じゃなくて高校生なのだ。

 ゆったりとした部屋着に包まれた身体は、大人びた女性のそれなのだ。


「――お邪魔します」

「どぞ〜。――散らかっているけど。……いらないこと言わないでよね?」

「言わないよ。ていうか、別に散らかってないだろ? お正月に来た時と変わらん」

「――まぁ、あの日もそれなりに片付けていたし〜」


 お正月。ヤンデレみたいな伊織のLINEに叩き起こされて呼び出されたっけ。

 ――訂正、起きたら、LINEが来ていただけでした。

 あの日、恋人交換スワップの話で怒られて、この部屋で正座した。

 それからハグをした。

 彼女を抱きしめた時の感触は、まだ腕と胸にある。


「――黙ってないで、座ったら?」


 伊織が先に部屋の奥へと入って、ベッドに腰掛ける。

 

「座ったら? って言われても、どこに座ればいいんだよ」


 部屋中央のちゃぶ台前の床か、伊織の勉強机の椅子か、ベッドか。

 今、ベッドに座ったら伊織に変なことをしてしまいそうだ。

 かといって、いつも彼女が使っている椅子に座るのも気が引けた。

 ――じゃあ、やっぱり、また床で正座? 


「どこでもいいけど? ――隣でもいいよ? ――床でも?」

「床な〜。ガチで言ってる? 前回は僕が反省する事案だったし、甘んじて床に正座だったけど、今日は僕、お見舞いだからね。別に反省することとかないから。れっきとしたお見舞いだから」

「分かってる。分かってるわよ。ありがとうございます。――はい、これでいいんでしょ?」


 伊織は自分の膝の上で、三つ指をついて見せた。


「気持ち〜ぃ。気持ちがこもってない〜」

「もう。そういうのいいから。はい! 座る!」


 僕の幼馴染は、左手で自分の隣の空間をぱんぱんと叩いた。

 ――本当に隣に座っていいんだろうか。

 無防備というか、僕を男扱いしていないというか。


 とはいえ抵抗し続けるのもなんなので、取り敢えず座ることにした。

 心のどこかで「知らないぞ」と思いながら。


 隣に腰を下ろす。伊織の横顔。

 彼女の髪の匂いが鼻孔をくすぐる。


 そのまま少しだけ静寂が流れた。

 他の誰かとなら気になる沈黙も、伊織となら抵抗感がない。

 無理にその空白を埋めないといけないという気持ちにならない。

 伊織も両手をベッドについて天井を眺めている。

 僕は小さく息を吸った。

 

「――遙香さんに聞いたよ。熱出てたんだって?」


 壁面の本棚を眺めたまま、そう言う。

 伊織がゆっくり、顔をこちらに向けた。


「え? ――今更? 私が休んでいたからお見舞いに来てくれたんじゃないの?」

「休んでたからお見舞いに来たのは来たんだけどさ。――熱出しているとは思ってなかった」

「そうなんだ? ――あ、ちなみに抗原検査キットで昨日も陰性だったから、コロナじゃないしね。セフセフ、セーフ」

「ああ、良かったな」

「うん。なんだかんだでコロナだと、まだ、制限多いしね。お姉ちゃんにも余計に迷惑をかけちゃうし。」


 そういえば、今日も遙香さんが家にいたな。気にしていなかったけれど。

 冬休みに何度か来た時にもいたから不自然に思わなかった。

 遙香さんは今、一人暮らしをして大学に通っていると言っていた。

 だから大学が始まっているこの時期に、平日、彼女が南家にいるのは、おかしいのだ。本当は。


「もしかして、遙香さん、伊織が学校休んでいるから、こっちに泊まっているの?」

「うん、そう」


 伊織は申し訳なさそうに、それでいてどこか嬉しそうに頷いた。

 この姉妹は本当に仲が良い。

 三歳離れているから対等な関係ではないけれど。

 妹は姉をリスペクトしていて、姉は妹の思いに応えている。

 遙香さんは奔放な人だけれど、良き姉なんだと思う。

 昔から知っているけれど。


「調子の悪くなった木曜日にね、ちょうどお母さんがお父さんのお世話で東京に行ったところで、私、家に一人だったんだ。週末はお母さん、東京に居ないといけなくて。お父さんの用事で。『すぐにでも帰ろうか?』ってお母さんは電話口で言ってくれたんだけどね。お姉ちゃんが『何かあったら、私が面倒見るからいい』って」


 さすがの遙香さん。良いやつじゃん。

 最近、悪巧みっぽいムーブが多すぎて、ちょっと闇を感じかけていたけれど。

 やっぱり頼れるところは、遙香さんなんだな、って思う。

 

「それで、来てくれたんだ。遙香さん」

「まぁ、実際には、『どうせすぐに調子戻るだろう』と踏んでたらしいんだけどね」


 伊織は僕の方を向いてバツが悪そうに笑った。


「ところが予想に反して、金曜日の朝から高熱が出た――と?」

「そそそ。――あ、お姉ちゃんから聞いた?」

「伊織が部屋を片付けている間にな」

「そっか。――うん、その通り。金曜日の朝から三九度近くまで熱が上がっちゃって、そこからは『無理だ〜』ってなって学校を休むことにしたってこと」

「学校への連絡は?」

「それも全部お姉ちゃんがやってくれた。――高熱が出てコロナの疑いもあるから休むって欠席連絡してくれたと思うんだけど? 先生、なんか言っていた? みんな何か言っていた?」

「――あぁ。先生はクラスには『体調不良で休む』ってだけ伝えてたからな。コロナの疑いとか、そういうことは言っていなかったぞ」

「そっか。もしかしたら気を使ってくれたのかな? いまだにコロナ感染者に対する目ってちょっと厳しいじゃん? だから個人情報保護的な何かで?」

「どうだろうな。――そうかもしれないな」


 でも、そうでないかもしれない。

 伝えなかったのは先生ではなくて、その前の連絡係メッセンジャーだったのかもしれない。


「――伊織、熱を出す前にさ。遙香さんにあれの相談とかした?」

「――ん? あれの相談って?」

「その、学校であったこと。先週の水曜日と、――木曜日に」


 水曜日に僕と伊織のツーショット写真がばらまかれた。花京院眞姫那によって。

 木曜日に伊織への誹謗中傷が黒板に書かれた。きっと「転生聖女」によって。


「ああ、そのことかぁ。……うん、喋ったよ。相談した」

「――そっか」


 きっとそうだ。だから遙香さんは情報を操作したのだ。

 わざと担任に「コロナの疑い」と伝えずに、単純に「体調不良」と伝えることで。

 だからその中途半端な情報で、僕は深読みを誘導されたというわけだ。


「駄目だった? お姉ちゃんに相談したら? ――でも、私、本当に傷ついたんだよ? ――誠大とのことを誤解されるのは、どうってことないんだけど、眞姫那ちゃんにあんな言い方されるいわれはないし、黒板に書かれたことだって……」


 そう言って、伊織は視線を斜め下へと落とした。

 黒板に書かれた言葉。

『南伊織は淫乱ビッチ! 二股浮気の股ゆる女!』

 あれは酷かった。僕だって思い出すだけで腹が立つ。

 冷静な橘でさえ、若干切れ気味だった。


「――駄目じゃないよ。――全然駄目じゃない。――傷ついて当たり前だし、――怒って当然だよ」

「……誠大?」


 僕の声に驚いたように伊織は振り向いた。

 自分でも驚いた。

 自分の声が想像以上に真剣で、怒りを含んでいたから。


「――あ、ごめん。――なんか凄く本気マジな声が出てたな」

「ううん。――私は、――いいけど」


 少しばかりの沈黙が部屋を覆う。

 その真剣さが、どこか照れ臭さを生んでいた。

 いつもならそんな空気は、冗談でも言って、吹き飛ばしたくなるのだけれど。

 でも今日は、――今日だけはそうしたいとは思わなかった。


「心配したんだ。『コロナの疑い』なんて知らなかったからさ。――僕だけじゃなくて、篠崎もだけど。――伊織があの時のことがショックで学校に来れなくなったんじゃないかって」

「――あ、――そうなんだ。――澪も。……なんだかごめんね。でも、――私、そんなヤワじゃないから、……大丈夫なんだけどな。あはははは」


 伊織は、取り繕うように笑った。

 それは、やっぱり彼女が傷ついていた証拠だ。


「まぁ、知ってるけどな。――伊織は頑丈だって」

「でしょ〜、……って、何よそれ。台無しだから。心配してくれたんじゃないの?」

「したよ、心配。だから、来たんじゃん。――ただの風邪じゃ来ないよ」


 隣で僕の幼馴染が、目を開く。

 そして照れ臭そうに視線を逸らした。


交換スワップ恋人だから、来たんでしょ。彼氏ヅラして」

「――彼氏でも来ないよ」

「え? 彼氏なら来ようよ! 彼女が風邪引いているんだよ?」

「いや、平日だし。――見舞いに来なくても治る風邪なら来ないんじゃないかな?」


 そもそも咲良の場合は山科だからな。

 なかなか平日に足を伸ばすのも厳しい。


「誠大、――若干ドライだよね。……知ってたけど。」

「知ってたのか。――まぁ、幼馴染だしね。――知ってるか」

「うん、知ってた。それで、そんなドライな誠大が来てくれたんだ。お見舞いに。――どうして?」


 ベッドの上に両手を突いて。伊織が僕の方に体を向ける。

 病み上がりで暖かくして火照ったのか、頬は赤い。

 熱があったからか瞳は少し潤んでいる。

 パーカーの胸を膨らみが押し上げる。

 彼女が首を傾げる。少しだけ上目遣いで。


「彼女が風邪を引いてもお見舞いに来てくれない誠大が、お見舞いに来てくれた」

「それは、じゃないってこと。僕は心配したんだ」

「私を心配してくれた。幼馴染の私のことを? それとも交換スワップ恋人の私のことを?」

「どちらでもない。どちらでもないんだと思う。僕が心配したのは伊織だよ。幼馴染だからとか、恋人だとか、そういうことじゃない。――伊織だから心配したんだ」

「――私、――だから?」


 伊織は不思議そうな顔で僕を見る。

 少し姿勢を整える。彼女は太腿の上で両手を重ねた。


「伊織。今更だけどさ。――本当に今更なんだけどさ」


 僕はそっと自分の手を重ねる。彼女の手の上に。


「――誠大……?」


 そして体を寄せる。きっとずっと好きだった君に。

 恋人交換スワップなんて虚構を経て、僕はやっと気づけたのだから。


 静かに息を吸った。

 背筋を伸ばす。

 君の瞳を見つめる。

 そして言葉が音に変わる。

 

「――好きなんだ。伊織。――僕と本当の恋人になって欲しい」


 ――恋人交換スワップじゃなくて。







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