第24話


『矛盾してるだろうが。お前は、魔素炉の魔素を使っていたはずだよな?』

『無論である。だが、生前は隠れることだけが目的で、魔素を扱えたわけではない』

『だから、それが矛盾してるって…いや、待てよ、そういうことか』

『…吾輩の時代でも、この件は迷宮入りだったし、ここが魔素炉だと気づけぬ現代人の愚かな想像力では、到底真実には辿り着けぬだろう。しかし、それは罪ではない。ダンジョンだけに、迷宮入りってな。…お後がよろしいようで』

 

 イコは、ゴミを放るようにスタークを背後へ投げた。すると偶然、彼の背後に立っていたミームの腕の中に着地する。彼女は、スタークをぞんざいに扱うイコを見て、スライムの柔らかさでは満足できなかったのだと推測した。次は、自分の慎ましやかな胸を狙われるのではないかと恐怖心を抱いた。抵抗する為に数歩下がり、イコから距離をとってマイクロスクロールに右手を添える。何も問題はない、彼には魔素が無く、私の方が強者であるはずだと考えながら、敵意をイコに向け続けていた。深い思考状態に没入していたイコは、そんな彼女の敵意に気付かず、迷宮の真実に肉薄しつつあった。…人間と魔物、それがネックになってるんだ。おそらく、ダンジョンコアを開発した知的生命体は、人類ではなく、むしろ魔物に近い生命体だったんだろう。魔物と人間の魔素形状が異なるせいで、俺達はダンジョンコアから得た魔素では魔導が発動できなかったんだ。当然、化石燃料の素となったであろう古代の魔物も、歴代の人類とは魔素の形状が違った。従って、それを元に魔素を抽出しているダンジョンコアの魔素は、人類に扱うことはできないんだ。古代の知的生命体が人類であるという固定概念が、真相に匿名性を付随させてやがった。顎に左手を添えながら、イコは再びダンジョンコアを右手で撫で始めた。ミームは、あれ?襲われないのかな?という感じで、警戒しながらもイコに近づいた。


「魔物と人間の違いってなんだと思う?」


 とても真剣な顔で、ミームは問われた。これまでの彼の行動からいかがわしさを省き、今の論点を探し出そうともがく。普通に、私見を聞かれているという結論に至った。


「…体内に魔石を内蔵しているか…とかですかね?」

「正解。では、人間と魔物の魔素を生み出す仕組みの違いは?」

「…確かぁ、人間の場合は大気から魔素を集めて、それを保存してるって聞いたことが。でも魔物は…解らないです」

「半分正解。人間は、大気から魔素を吸収する性質がある。だから、人類の居住地近辺では魔素が溜まり辛く、魔物が出現する確率が下がるんだ。対照的に、魔物は魔素を体内から捻出し、体外へ放出する。その為、魔物の居住地近辺では、大気中の魔素溜まりは増えていく一方で、一度魔物が生まれた土地からは何度も魔物が誕生するんだ。このことから人間と魔物の間には、植物と人間のような循環構造があることがわかる」

「でも、植物は人間を襲いませんよ?」

「まぁな。だが魔物が存在しなければ、魔法も存在しないんだ。魔法の利便性に憑りつかれている俺達は、奴らに感謝するしかない」

「くっ…確かに」


 ミームは、スタークを抱える腕に力を込めた。

「因みに、今の説明からあることが推測できるんだが、何だと思う?」

「……………えっと、わかりません」

「大気中の魔素は、魔物の体内にある魔素と同様の形状である可能性が高いってことと、人間は魔物と同一形状の魔素を大気中から吸収しているはず、ってことだ」


 イコの推論には、大きな問題点があった。人類は、これまでも魔物から採取した魔石から魔導を起動してきた。つまり、化石燃料から抽出された魔素は、何も問題なく使えるはずだというのに、問題は起こっている。ミームとの問答のなかで、この筋道だてられた理論のなかから、イコは矛盾点を探し出そうとしていた。


「は、はぁ…確かにそうかもしれませんけど、それって今の状況とリンクしてます?」

「してるな。恐らく、魔物と人間の魔素の形状差が問題の根底にあるんだ」

「え?でも循環構造が成り立っているなら、人間と魔物に違いはないんじゃ?」

「だから困ってるんだ。魔素粒子論は間違いなく正しくて、人類の魔素は粒のような形をしているはずだ。可能性があるとすれば、人間は体外から吸収した魔素を粒子状に変換する仕組みを持っているはずなんだが、ならダンジョンコアの魔素は問題なく使えるはずなんだ。だが、現実問題としてダンジョンコアの魔素を扱えていない」


 古くから学者たちが検証してきた魔素粒子論が、今更間違っているはずもなく、イコも細菌魔導を開発する際に、その性質を何度も検証してきた。人類の魔素形状に、疑う余地はなかった。


「普通に、逆なのでは?」

「…ん?」


 余りにも盲点だったミームの発言に、イコは無表情で彼女を見返した。急に投げられたボールを、思わずキャッチしてしまうような感覚だった。


「魔物側が、体外へ放出する時に魔素の形状を変えているって言いたいのか?」

「えっと、多分そっちの方が論理的なのでは?おそらく、イコさんの考えでは、ダンジョンコアに流れる魔素の形状が人類の保有する魔素の形状とは異なる為に、新計画に発生している問題が起きてるってことですよね。でも論理的には、魔物とダンジョンコアに共通する魔素の形状が人類に共通しないわけがない…と、循環構造のせいで考えている。先ほど例に挙げられた植物の場合でも、人間の排出した「二酸化炭素」を「酸素」に変換する仕組みを持ちます。でもそれは、人間と同じ空気を吸っているのを、否定している訳ではありませんよね。おそらく魔素には、「魔物の魔素」と、「人間の魔素」の二種類が存在していて、それらは同様の作用を起こせるけれど、まったく同一のものではなく、形状が異なっている、というのが現状ではないかと。同じ気体だけど「酸素」や「二酸化炭素」みたいな、固有名詞を持たないだけなのでは?」


 イコは、唖然としつつミームを見つめた。彼女をラナに紹介された時、魔導士としてはバヘイラ学院主席並み、学者としてはそれ以上の逸材だと言われていた。自分を凌駕する情報へのピントの合わせ方に、彼女の豊かな才能を感じさせられていた。


「正解…だと思う。その視点からなら、魔素の形状差は証明できそうだな。つまり、人間と敵対する魔物は、人間の為に魔素を生み出していただけではなく、皮肉にも変換作業までやってくれてたってことか。だとすれば、俺達が研究すべきは、ダンジョンコアだけじゃないってことになる」

「はい。魔素の形状を変換できるであろう魔物の体構造と、変換式を記述する為にダンジョンコアの魔導式を分析する必要がありますね」

「一緒に来たのがミームじゃなかったら、迷宮入りしてたかもな」

「そ、そうですかね」


 少し俯いたミームの耳は赤らんでいた。イコがたまに見せる優しさや、素直に相手を賞賛する子供っぽいところが、彼女のハートにダメージを蓄積している。普段の横暴な態度からのギャップは、余りの高低差から吊り橋効果さえ育んでいた。


「よし、じゃぁ早速始めようか」

「…始めるって?」


 ドキッと胸が高鳴り、上目遣いでイコを見返すミーム。心臓の音がうるさくて、先ほどのような考察力を発揮できずにいた。


「ダンジョンコアの魔導式の解析だ。どっちにしろ必要になるからな」

「あ、さいですか」


 誰しもが一度は小説で読んだことのあるような、物語の恋愛とは対極の位置に立つ人物がイコだと、ようやくミームは思い出した。彼は魔導の虫けら、胸の中で三回唱える。そうしてミームの心の中で最大限に冒涜されつつも、イコはダンジョンコアの解析を始めていた。宙に浮く球体を優しく叩くと、どこか虚しい空洞音が返ってきた。


「こいつは魔素を貯蓄しているのかもしれないな。許容上限まで魔素が溜まった時の為に放出用の穴があるんだろう」

「可能性は高いですね。となると、上下の四角錐が地底から魔素を吸い出しているのでしょうか?見た目は…ただの積み木みたいな感じですけど」

「…だと思う。古代文明のことは知らんから、もう少し調べてみないと何とも」


 イコは、珍しく歯切れが悪かった。流石の彼も古代文明の前では無知なんだと、なんとなく可笑しく思えて、ミームはクスリと笑ってしまう。それから彼の横顔を見れば、既に古代の英知に夢中になっており、子供のようにダンジョンコアを観察していた。そんな彼の顔に、ミームもまた夢中になっていた。彼は、まるで衛星のように球体の周囲を何度も周回し、違和感を探し出そうとしている。全体にくまなく触れ、叩きながら、構造的に何か動的な部分はないかと探り続けていた。おっ?という、石の下からダンゴムシを見つけた子供のような顔をすると、下部の四角錐をゆっくりと引っ張った。すると、引き出しのように板が引き出され、そこには魔導陣が描かれていた。


「…おっと、こいつは…時間が必要になるな」

「えっと、どうしたんですか?」


 ミームはイコの横から、彼の見つめる先を覗き込んだ。すると、そこには直径にして1メートル程度の魔導陣があった。ようやく目的の品を見つけたのだと喜ぼうとしたところで、イコが微妙な反応をした理由が理解できた。そこに描かれた古代文字は、現代で扱っているどの魔導言語にも該当していなかったのだ。


「…これって、文字の解読から始めることになります?」

「いや、時間を短縮する方法に心当たりがある」


 そう言うと、イコはミームの胸元を見つめ始めてしまった。やはり、そうした欲望が彼の中に渦巻いているのだと、ミームは数歩だけ後ろに下がり、再びマイクロスクロールを構えた。すると、イコはそんなミームに容赦なく近寄ってくる。即座に魔導を起動しようとするも、どうにも体が上手く動かず、頬が赤らむだけで何の抵抗もできない。拒絶を主張する自意識と共に、承諾を望む自意識の存在が明らかになってしまった。そんな自分の隠された気持ちに気付くと、更に頬は赤くなった。少しでも顔に籠る熱を冷まそうと、左右に首を振るも、その間にもイコの手はミームの胸元へゆっくりと伸びる。まずいまずいまずい…ここまで守り抜いてきた純潔を、こんな野蛮な場所で失ってしまうの!?それも会社の同僚相手に、愛のない関係を!?と、ミームが焦りに焦る中で、彼女に抱きかかえられていたスタークが回収された。イコは、何故か自分へ向けられる憤怒の視線の理由が分からず、首を傾げるしかなかった。


「1階層に戻る。ついてきてくれ」


 ミームから放たれる憤怒の視線から逃れるように、イコは先導を開始した。

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