第13話


 小さな木造建築二階建ての、やや都心部からは離れた場所にあるアパートがイコの家である。アパートには、よく解らないハート形の葉をつける植物が、幾重にもツタを絡めており、まるで人の視線から避けるように、こっそりと都市の隅に根を張っていた。そんな都市に埋もれた場所の中にイコは珍客を招いた。


「さてと、自由に読んでくれ」

「…馬鹿な…なんということだ」


 ウィッチは、イコの部屋を見て驚愕していた。極一般的な1Kは、まだ人口の少なかった頃の、古い知識しかない彼には刺激が強すぎたようだった。室内は、ベッドと本棚と机に埋め尽くされ、ほとんど足の踏み場がない。学問の監獄、そんな場所にさえ思えた。この狭さでは、倉庫と間違われてもおかしくはない。


「イコ殿は、高名な学者じゃ?」

「いや、ちんけな窓際サラリーマンだ」

「窓際サラリーマン?聞いたことのない仕事だ」

「仕事って言うか…総称っていうか。まぁいいや、俺は飯を食う。そこら辺に転がってるノートが俺の魔導書…ってかメモ帳ってか、とにかくお前の目的は多分それだ」


 イコは、冷蔵庫を開けると、そこから一枚の分厚い肉を取り出し、フライパンで焼き始めてしまった。ジューというBGMが鳴るなか、ウィッチは一冊のノートを取り上げた。それは、どこにでもあるような学生用の品物で、期待していたような特別感はない。それでもイコに可能性を感じていたウィッチは、期待外れだと投げ出すことなく、初めて異性に触れる時のように緊張しながら丁寧にノートを開いた。


 偶然にも、表紙には「魔喰増倍菌華」と書かれている。自分の魔導を無効化し、魔素量差を覆してしまった秘術が、一冊のノートにまとめられている。それを暫く読み進めるとウィッチの予感は確信へと変わった。


「つまり、魔素粒子論を応用した魔導だったのか。…深い、深すぎるぞ」

「あぁ、お前の魔導を無効化したやつな」


 魔素粒子論とは、肉体内に保有する魔素の形状を示す理論であり、文字通り形状は粒子状である。例えば、魔素消費量「1」のFB(火球)の魔導陣があるとする。これによって魔導を起動する時、魔素保有量の同じAとBの使用者では威力差が出てしまう。保有量に差が無い両者において、どうして威力が異なるのか。それは、個人間に保有される魔素粒子の大小の差に起因している。


「つまり、とても少ない魔素量のイコ殿は、とても小さな魔素粒子を持ち、それを利用した菌状の魔導を起動している…ということか」

「正解だ。捕捉するなら、細菌並みに小さな俺の魔素粒子は、他者が起動した魔導を構成する魔素の隙間に入り、捕食・増殖しているって訳だな。極小の領域内では、魔導も脆弱なわけだ。つってもそんな隙を付けるのは、世界で俺くらいだが」


 イコは、己が魔素量の少なさに悲観することなく、途方もない研究を続けることによりある種の才能だと言える領域にまで昇華していたのだ。測定器の結果が「1」でも、それは粒子の数を表した数値ではない。


「ふむ、この基礎があれば、何か面白いことが出来そうなものだが、イコ殿以外の魔素粒子では、同様の作用は起こせないだろうな。子供すら大きすぎるだろう」

「あぁ、色々考えた。対象の魔素を体内で直接食えば、もっと簡単に相手を無力化できるんじゃないのか…とかな。でも、それは出来なかったな。どうにも、体内にある状態の魔素は、魔導に昇華した時のような脆弱性はないみたいだ」

「魔素を魔導に昇華することにより、脆弱になる…か。言いえて妙だな。対象を破壊するのに都合がよくなればなるほど、魔素自体は弱っていくとは」

「魔導の脆弱性に関しては研究論文をまとめようかとも考えたが、論文を発表すれば俺の魔導も明るみに出そうで、面倒ごとが増えそうだったから止めた。人に褒められる為に魔導を開発してるわけじゃないしな」


 焼き終わったステーキを皿に盛ると、魔導開発用の机に座り、それを頬張りながらも会話を続ける。BGMは、一定の音からモニュモニュという不規則な音に転調した。


「…一つ疑問がある。これほどの魔導開発の才能があれば、もっと金を稼ぐことも可能だったのではないか?なぜ、己が才能を証明しようとしない。魔素量の大小は、才能の大小に直結したはず。さぞ息苦しい思いをしたはずなのに見返そうとは思わなかったのか?」


 生前の自身を思い返し、ウィッチは言葉を発していた。魔術の才能が無い――と、学会から追い出され、孤独と戦う日々ほど辛いものはなかった。いつか見返してやるという反骨精神だけが彼の全てだった。


「ん~…別に」


 とだけを返事とし、イコはもう一切れ肉塊を口に放りこんだ。美味そうに咀嚼しながらも、どこからか取り出したノートを眺めている。机の上に転がるペンを取り上げると、それで何かを書き込み始めてしまった。直ぐにウィッチは理解した。もはや自分の声など聞こえてはいないのだろうと。宇宙を漂う星が、いつの間にか他の星の引力により惑星と化し、知る由もない何星かに引き付けられ、その周りを廻り続けるように、魔導の周回軌道上を彼は漂っているのだ。そこにある引力は、きっと愛だとか呼ばれるもので、生前のウィッチには終ぞ訪れなかった感情だった。


 ウィッチは、より自分よりもピュアな感情に出会い、探求とは何か、愛情とは何か、深淵とは何か、その答えに少しだけ近づけた気がした。

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