第55話 ザクセン

 ザクセンの事実上の首都である、湖畔の街オーザ。

 人口は定住者が六万人ぐらいと、さほど多くはない。

 だが草原を行き来する旅人や商隊が、常に定住者と同じぐらいには滞在している。

 この地方の中心である街なことは間違いないのだ。


 バロが住んでいるザクセンの言わば宮廷は、その街の中にはない。

 一応役所のようなものはあるのだが、住居や政治に関しては、それを見下ろす山岳の麓にある。

 ミルディアも基本的には、石材やレンガを使った建築物が多い。

 だがザクセンにおいては、石材がさらに多く、またレンガは日干しレンガであることが多い。

 燃料となる木材が、あまりないということだろうか。


 実際のところそれは、ある程度は正しかった。

 木材がないのは本当で、多少は魔境の木材を使うが、基本的には木が貴重ではある。

 ただ燃料に関しては、普通に魔石が使われていたりする。

 魔境がミルディア国内よりも、ずっと多いのだ。


 ミルディアの貴族の家に比べると、質実剛健とも言えるザクセンの宮廷。

 実際のところは政治を行う場所であり、戦士たちが鍛える場所でもある。

 ザクセンの主戦力は騎兵。

 地球の歴史においては、モンゴルの騎兵は中国全土のみならず、ロシアから東ヨーロッパまで、広大な版図を支配した。

 ザクセンも大河を渡ることが出来れば、その戦力は大きく活かされるだろう。

 馬の飼料自体は、むしろミルディア国内の方が、調達は簡単なはずだ。

 いずれはこの戦力でもって、ミルディアを征服するのかもしれない。

 そんなことを考えるトリエラである。




 留学期間は約一年。

 何を優先に学んでいくかは、ちゃんと決めているトリエラである。

 主に二つ、力と知識が重要だと思っているが、トリエラとしては珍しく、知識の方を重視した。

 それは無駄な礼法などに、時間を割かなくてもいいからである。

 またこれからの季節、北方のザクセンも暖かい夏になってくる。

 そしてザクセンの古い歴史は、さらに北上したところで長老衆が管理しているらしい。


 バロが言うに、魔境を突っ切っていけば、かなり早く到着するということ。

 だがそのためには足手まといになるような人間は、とても連れて行けない。

 また馬車も使えないような場所を進むため、馬に乗れなければ話にならない。

 側仕えの人間がいなくても大丈夫なのか、と問われてしまった。


 バロの認識としても、それがミルディア貴族に対するものであるらしい。

 確かに領都の本邸に移動してからは、トリエラは身の回りのことを、使用人にやらせてきた。

 そのための人員も、この留学には同行している。

 だが別邸に住んでいた頃は、かなりの部分を自分でやっていたのだ。

 また馬に乗るより走った方が速いが、馬に乗れないわけでもない。


 ただ一人ぐらいは、一緒に来てくれないと困る。

 そういう役回りは、当然ながら戦闘力の高いランとなる。

 トリエラと同行し、将来の公爵の覚え目出度くなるというのが、今回のザクセンに同行した貴族の子弟である。

 だが魔境の中を進むなど、さすがにまだ危険すぎる。

 具体的にはレベルが15ぐらいはないと、回避も出来ずに足手まといになる。

 もっとも実際のところは、クラスにもよるのだろうが。


 斥候や狩人などの、隠密スキルを持っているクラスであれば、少なくとも足手まといにはならない。

 だがそれでも子供だと、かなり難しいであろう。

 トリエラ自身でさえも、疑問視されている。

 そこはランが、トリエラの実力に関しては保障する。

 とても10歳の少女ではない戦闘力だと。


 だがバロは己の孫であろうと、自分の目で見なければ信じない人間であるらしい。

「近く魔境に行かなければいけないとは思っていたのだ」

 そこでトリエラの実力を見て、問題ないようであれば、北方の神殿に連れて行くという。

「神殿?」

 どうやらザクセンの宗教的中心地は、ここにはないようである。




 訓練場でトリエラは、大人を相手にしても、相当に善戦していた。

 ローデック家の私兵の中でも、トリエラに勝てる人間はそうはいない。

 騎士階級にまでなると、さすがにまだトリエラに勝つ者の方が多かったが。

 ただしそれも、魔法は抜きにしての話である。


 ザクセンの戦士たちはおおよそ、ローデック家の騎士に比肩するほどの力を持っている。

 しかもこれは接近戦だけの話であって、ザクセンの戦士の得意とするのは、弓術である。

 前世に比べれば弓矢の優位性は、魔法による障壁などを考えれば、絶対的なものではない。

 それでも騎乗した状態から矢を放ち、馬によって離脱する。

 この戦法は相手が盾を用意していなければ、相当に有効ではある。


 トリエラが前世で習得していたのは、古流である。

 ただ古流武術と言っても、基本的には江戸時代以降の戦闘を前提としている。

 弓術は一応存在するが、あまり重要視されていない流派が多い。

 なぜなら江戸時代以前の戦国時代に、鉄砲が普及しているからだ。


 なので古流というのも、本当に合戦で有効なのかは、色々と議論はされていた。

 もちろんただの喧嘩にならば、充分に活用出来たものだが。

 基本的に古流というのは、武士の基本装備を前提に、技術体系が存在する。

 ただ甲冑を装備していることも、ある程度は考慮しているのだ。

 お互いが防具はさほどなく、そして刀の大小を備えている。

 その前提においては、確かに強いのだ。


 トリエラの動きを見て、バロは頷いた。

「明日の狩りに付いてくるといい」

 そうやって声をかけられたのは、トリエラの他にも数人の少年少女がいたのである。

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