三章 若き魔王の初恋(1)
「僕の正式名称は長いから、ルイと呼んでね」
そう言われたティーゼは、反射条件のように「私の事はティーゼでいいです」と答えてしまい、気付いたらルイに腕を引かれ、屋敷の庭先に連行されていた。
いつ用意されたのかは知らないが、辿り着いた先にはテラス席が当然のように用意されており、三つ分の紅茶からは、香ばしい湯気が立ち上っていた。テーブルに並べられているのは、どれも口に甘い上品そうな高級菓子だった。
ティーゼは促されるまま席に座り、紅茶に口をつけた。全種類の菓子を味見し、どれも一級品の美味さだと肯いたところで、ふと我に返る。
なぜ自分は今、魔王とその宰相と、優雅にお茶なんぞしているのだろう?
「反応が鈍いですよ。全部の菓子に手をつける前に気付きなさい」
「え。心が読めるんですか、何それ怖い」
「残念ですが、あなたの愛嬌も色気もない顔に全部出ています」
「くッ、余計な単語が多すぎる……!」
愛嬌なんて更々ねぇよ、とティーゼは半ばやけくそで舌打ちした。
彼女は甘いクッキーで気を取り戻すと、こちらを微笑ましそうに見つめている魔王――ルイに向き直って尋ねた。
「で、一体どういう事なんですか? 先に言っておきますが、私は恋愛経験ゼロですよ」
「そんなこと一見して予測済みです」
「あなたには質問していませんが」
「まぁまぁ落ち着きなよ、二人とも。君たちだけ仲良くなって羨ましい」
これで仲が良いように見えるのか、という指摘は、階級に弱い一般市民と部下の口からは出て来なかった。
二人が黙りこんだのをいい事に、ルイは、想い人について話し始めた。
お相手は人間の女性で、とても情熱的で女性にしては背が高いらしい。しかし、ルイは、魅力的な女性という表現を言い換えた説明を長々と続け、ティーゼは結局のところ、その女性について詳しく知る事は出来なかった。
彼が言うには『とても美しく気高い方』なのだという。
美貌の魔王の心をがっちりと掴んだぐらいだから、かなりの美女なのだろうなと、ティーゼは自分なりに推測を立てた。
ルイは、距離を縮めたくて頑張っているが、なかなか進展していないのだと、最後に吐息をこぼした。
「言い方や態度に、何かしら問題点があるのかなと悩んでいるところなんだよ。ほら、僕は魔族で、彼女は人間でしょう?」
「私からすると、種族の違いがあっても、恋愛感に大差はないように思いますけど……それで、私にどうしろと?」
「女の子同士の方が打ちとけやすいと思うし、まずは、本人を見てもらおうかと思って」
「えッ、そして仲良くしてもらおうって寸法ですか? その展開はさすがに早すぎません?」
ティーゼは主張したが、ルチアーノが「偵察は大事ですよ」と真面目な顔で、上司を全力擁護した。
◆
とても高価であろう紅茶と菓子を頂いてしまった事もあり、ティーゼは、渋々二人に付き合う事にした。ルイが喜々とした様子で闊歩する後ろを、ルチアーノと並んでついてゆく。
しばらくすると、ルイが「あ」と何かに気付いて路地裏へと身を隠した。彼に手招きされるまま、ティーゼとルチアーノもそれに続き、彼が窺っている方へ物陰から顔を覗かせた。
「ほら、あれが愛しのマーガリー嬢だよ」
ルイは、まるで恋する乙女のような顔で、うっとりとその名を呟いた。
彼と同じ方向を見たティーゼは、正直、強い困惑を隠せなかった。どう反応すれば良いのか分からず、とりあえず、失礼にならない程度に言葉を濁して尋ねてみた。
「……あの、ルイさん? あれらのどこにマーガリー嬢がいらっしゃるのか、透視能力のない凡人の私には分かりかねるのですが」
「あはは、何言ってるの。僕にもそんな羨ましい能力はないよ」
いやいやいや、あんたが何言ってんの。歩いている集団、全員ほぼ同じ背丈で、同じ甲冑で揃えているから区別が出来ません。
通りからこちらに向かって歩いて来るのは、銀の甲冑に身を包んだ騎士達だった。腰には紋章入りの同じ剣を差し、足並みから呼吸まで揃えているようにも見える。
ティーゼは、もしかして魔王はすごく残念な人なのかも、と思い始めた。
「えっと、ルチアーノさん? あなたにはルイさんの想い人が、どの甲冑か分かりますか?」
「残念ながら分かりかねます」
「二人とも、ちゃんと見てごらんよ。先頭の騎士が彼女だよ。歩く時に、手が斜め十度違っているだろう? それから足音だって違うし、ほら、二秒かけて辺りを見回した時の首の傾き方とか、手を振り切った時の指の感じも、女性でしょう?」
甲冑の集団に瞳を輝かせるルイの発言を聞いて、ティーゼは咄嗟に両手で口を塞いだ。堪え切れず口まで這い上がって来た「何それ怖い」という言葉を、どうにか両手の内側に抑えつける。
すると、彼女の後方から通りの方を覗いていたルチアーノが、「ばっちり聞こえておりますが」と冷ややかな声を上げつつ、ティーゼに聞こえるよう囁いた。
「陛下は、常にあの方の様子を見に行かれておりますから、好みから不得意まで、現在はあらゆる事を把握されております。また、先日もスリーサイズがぴったりのドレスを贈り――」
「待って待って待って、それって一般で言うところのスト――」
「それは言わないで下さい。陛下のお耳が汚れます。恋は盲目と言いますでしょう、まさにソレです」
つまり、魔王はストーカーするほどに、騎士団に所属している美女に惚れているのだろう。
ティーゼは頭を抱えた。関わらない方が良かったかもしれないと、今更ながら後悔が込み上げてくる。しかし、ここは高級菓子を頂いた件もあるので、相談を受けた者として、それらしい質問をルイにしてみる事にした。
「……ちなみに、どこに惚れたのか訊いてもいいですか?」
「出会いかい? それはね、僕がなんとなく空を飛んでいる時に、害獣を素手で倒す彼女の姿を見て――」
「待って、ちょっと待ってお願いですから。どこから突っ込んでいいのか分からなくなりました。空を飛べるの? というか、素手で害獣をぶっ飛ばす女の人が存在するの?」
そういえば、彼らは生粋の魔族だった、とティーゼは遅れて思い出した。
魔族は人型も多いが、魔力を解放した本来の姿は異形だと聞く。高位魔族は種族の特徴がある翼を持っているとも言われており、とすれば、空を飛ぶ事も可能なのだろう。
気になる事と言えば、ルイが惚れたという出会いの場面である。
聞き間違いでなければ、素手で害獣を倒すような女が、あの甲冑集団に紛れこんでいるという事になるのだが、害獣は馬や牛よりも大きく凶暴な生き物だ。ギルドではBランク以上の仕事であり、ティーゼが知る限り、強力な武器を用意して倒すものだ。
苦悩するティーゼを、ルチアーノが物珍しそうに見降ろした。
「なんですか。空を飛んでみたいのですか」
「なんか下等生物を見るような視線をひしひしと感じるのですが、別に羨ましがっていませんからね? そもそも、ルチアーノさんなら私を落としかねないので、絶対に頼んだりしません」
「ひどい言われようですね。私の飛行は魔族の中でも安定的で完璧ですよ。落とすのなら、深い海の上に決まっているでしょう」
「尚悪いわッ」
もうヤだ、こいつに一発くれてやってもいいかな!?
この喧嘩を買ってやろうかと本気で悩み出した時、ルイが移動を始めたので、ティーゼとルチアーノは会話を切り上げて彼の後を追った。
甲冑の集団は、町の巡回を一通り終えると、ルイが「マーガリー嬢だよ」と指摘する甲冑を筆頭に、灰色のコンクリート造りの建物へと入っていった。
騎士団の支部には、敷地を囲うように高い塀はあったが、前門は解放されていた。敷地に入ってすぐの広場で、騎士達が早速、甲冑の頭部分を脱ぎ始めた。
ルイに再度教えてもらい、例の甲冑の人物を見つめていたティーゼは、次の瞬間「あ」と声を上げていた。甲冑で隠れていた頭部分から現れたのは、真っ赤に波打つ美しい髪だったのだ。
その甲冑の人物は、切れ長の鋭い目付きさえも美しいと思わせる女性だった。顔立ちはどこか中性的で、整った目鼻立ちに加えて、毅然とした鮮やかなエメラルドの瞳も目を引いた。
「マーガリー嬢は、ベンガル伯爵の長女で婚約者はいらっしゃいません。国境騎士団の副官を務めており、剣の他に、槍使いとしてもトップクラスの戦闘技術の持ち主です」
ルチアーノが、小さな声でそう説明した。
マーガリー嬢が、汗で湿った髪を背中へと払った。表情に愛想がなくとも、きゅっと結ばれた唇にすら気品を覚えるのは、彼女が貴族としての立ち居振る舞いを身に付けているせいなのだろうか。
とはいえ、美しいという印象よりも、真っ先に威圧感で押されそうだった。
敵を射殺さんばかりの眼差しと、厳しいピリピリとした雰囲気を見る限り、生粋の戦士である事を生き甲斐にしているようにも見える。ティーゼは、ルイの恋が進展していないのは、受ける側にそのつもりが毛頭にもない可能性を思った。
「……あの、つかぬ事を申し上げますが、そもそも彼女は、恋愛に興味を持ってくれますでしょうか」
「大人の男女は、誰でも燃えるような恋をするものだよ。見てよ、あの情熱的な瞳を」
「情熱的というか、あれは威圧的な――」
「まぁ見ててごらんよ」
ルイはそう言って、色気たっぷりのウインクを一つすると、ティーゼが止める間もなく、堂々と歩いて行ってしまった。
見ていてと言われたが、本当に大丈夫なのだろうか。
ティーゼは不安になったが、ルチアーノに「陛下のおっしゃる通りに」と返されてしまい、ひとまずは、マーガリー嬢とルイのやりとりを観察する事にした。
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