第3話

 それから、ふた月ほど経った。職場の連中の間では、一宮に優しくしている御前崎の評価が高まっているらしい。それが近づいてきた目的かもしれないが、一宮が満足しているなら問題ないだろう。といっても遊びに行ったり、仕事帰りに飲みに行く程度の関係だが。


 今も二人で公園のベンチに座り昼休憩をとっている。あの夜、俺たちの秘密を見抜かれた公園だというのに一宮の顔は緩みっぱなしだ。見方を変えればネガティブな一宮二楽しみを与えてくれた陸希には感謝してもいい。


 当の陸希は自作弁当を広げていて、コンビニのパンを食べる一宮はまじまじと見つめている。


「料理もできるんですね」

「まだ練習中だよ」

「そんな事ないです。卵焼き美味しそうだし」

「そう? 食べてみる?」


 陸希は箸でつまみ上げると、一宮の口元に近づける。


「それはまずいですよ! いや、卵焼きじゃなくて、食べさせてもらうって行為が」

「わかってるよ。まだ食べてもらってないし。それで、いらないの?」

「……欲しいです」

『あのな、俺がいるのを忘れてないか?』


 暗にイチャつくなと言ったつもりだが一宮には正しく伝わらなかった。


「二宮も食べたいって――」

『そんな事言ってないだろ!』


 俺の言葉は強がりとして陸希に伝えられ、彼女は吹き出してしまう。


「笑わせないでよ。そういえば二宮君、最近はあまり表に出てこないね」

「なるべく二宮に迷惑かけないようにしたいんです。でも困らせてばかりかで。何でもできて、みんなから認められている陸希さんとは大違いだ」

「私より一宮君の方がすごいよ。目標があって、頑張ってて。私は言われるままやっているだけだから」


 そう言うと陸希は顔を伏せ、寂しそうにつぶやいた。


「自分らしくって難しいよね。私もなりたい自分になれるかな?」

「二宮を逃げ場にしている僕が言っても説得力がないですけど、陸希さんなら何にだってなれると思います」


 一宮にしては気の利いたセリフだ。しかし顔を上げた陸希は冷ややかに話を切り上げる。


「悪いけど急ぎの仕事があるから先に行くわ」


 そして食べかけの弁当箱に蓋をして立ち上がる。職場に戻っていく後ろ姿を、一宮はただ目で追うしかできなかった。


「余計な事を言ったかな?」

『考えすぎだ』


 陸希を怒らせたのではないかと一宮は気にしているようだが、俺が気になるのは彼女の豹変ひょうへんぶりだった。あの他人を拒絶するような目。あんな陸希は見た事がない。いや、ある。いつだ?


 そんな思考を一宮はさまたげる。


「僕が悪いんだ。無神経すぎたんだ」

『じゃあ聞くが、あいつを怒る理由は何だ? 原因がわからないのに決めつけるのはやめろ』


 気にするならフォローする俺にも気を使え。


 そんな感じで勝手に落ち込む一宮の相手をしていてから、すぐそこに人がいるのに気づかなかった。一宮が顔を上げた事で話しかけてきたのが松阪だとわかる。いつも通り、好印象を与える笑みを浮かべていた。


「御前崎さんが一緒にいると聞いたけど、彼女は?」

「さっきまでいたけど職場に戻ったよ」

「そうか。良い機会だから少し話さないか?」

「いいけど、何かな?」


 一宮は隣に座ればと勧めるが松阪は断った。見下ろしたまま話し始める。


「実は海外赴任が決まったんだ」

「すごいね。おめでとう」

「うちの部署から二人行く事が決まってね、もう一人は私が選んでいいそうだ」

「そう」


 そして、松阪はさらりと言った。


「御前崎さんに着いてきてもらうつもりだ。できれば人生のパートナーとして」

「……それは僕じゃなくて彼女に言うべきだよ」

「最近仲がいいらしいじゃないか。一宮からも言ってやってほしい。かげながら応援している、と」


 松阪からすれば一宮が邪魔なのはわかる。しかしこの物言いは許せない。


『一宮、変われ。俺が追い払ってやる』


 返事もなく主導権も移らない。もう一度言おうとしたが、強い意思が伝わってきて任せる言葉にした。


 そして一宮は拳を握りしめて立ち上がる。それでもま見上げているのは変わらないが臆してもいない。


「嫌だ」

「これから出世が約束されている私のいう事を聞いておくのは損にならないと思うよ」

「脅しても駄目だよ。君の思い通りに動くつもりはない。きっと陸希さんだってそうだ」


 一宮の握られた拳は震えている。しかし声は違った。頼もしくさえある。


 強い言葉を受けた松阪は困惑して言った。


「陸希? 今は御前崎さんの話をしているはずだけど」

「そうだよ。彼女の話だ」

「彼女の名前は真希まきだよ。部署の名簿を見た事ないのかい?」


 それを聞いて一宮は驚愕きょうがくする。もちろん俺もだ。本名と違う名前を名乗る理由が俺と同じだとしたら。ついさっき見たばかりの冷たい表情に感じた引っかかりと結びつく。彼女も二重人格。あのタイミングで入れ替わったに違いない。おそらく、俺と最初に話した時もだ。普通なら二重人格なんて信じるはずがないのに最初から確信していたのも納得がいく。


 黙ってしまった俺たちに松阪はさらに脅しをかけ、立ち去った。


「私に盾突いた事を後悔しなければいいね」


 いつもの一宮ならしばらく引きずってしまいそうな言葉だったが、それどころではない衝撃を受けて立ちつくしていた。

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