第二章 オーバーヒールの代償

第18話 二人の獣は欲に溺れる

 頬を赤く染めているユイナとマリオン先輩。俺と鼻が触れ合うほどの物理的距離。二人の呼吸は荒く、一律でない。チクタクと時間を刻む時計とは別に、二人の少女の吐息が頬を掠める。


断じてその他の音は聞こえない。


 俺たちのいる生物室は昼間でも薄暗い。カーテンが閉まっているからか、ヒールの出来を観察するために、わざと部屋の照明をつけなかったからか。どちらにせよ、俺が押し倒されているという事実に関与しない。


「アストさぁん、なんれすかこれぇ? 頭がふあふあしてぇ」


 ユイナはトロンと虚な目で、そっと俺の右半身に抱きついている。顔全体がほんのりと赤く、酒に酔っている風に見えるが飲酒はしていない。


「ふーぅ、ふーぅ」ゴクンと生唾を飲む音が聞こえた。


 マリオン先輩は俺に今にも噛み付いてきそうだ。獣の目で、ジッと見つめてくる。彼女の決壊しそうな本能を、理性という堤防がギリギリせき止めていた。


「どうしてこうなったんだよ…」



──時は少し遡る。


 俺とユイナは約束の小屋へと向かう途中、校舎沿いを歩きながら、小規模な議論をしていた。


「その、マリオンちゃんには蘇生したこと教えないんですか?」


「俺は教えた方がいいと思う。禁忌制約に『受けた攻撃を蘇生された者へ』っていうのがあるから、五人全員に話さないとマズイんだよ」


「それは危険ですね…。アストさんが傷ついた時に大変なことになりそうです」


「でしょ? けどさぁ、正味マリオン先輩とくらいしか、接点が無いわけよ。エレナは昨日のテストでちょっと話せたってだけで、仲良くなるには程遠いし」


 シシリー先輩、オリヴィア先輩、イザベル先輩も同様に接点が無い。仮に校内で見つけたとしても、なんて話しかければいいのやら。


「じゃあ、皆んなが集まる場所に行くのはどうです?」


「皆んなが集まる場所?」


「部活ですよ。ほら、マリオンちゃんが言ってたじゃないですか。『シシリーちゃんが最近部活に来てない』って」


「たしかに言ってた気がするけど、よく覚えてるなぁ」


「記憶力いいんですよ、わたし」


ユイナは得意そうに、人差し指でこめかみの辺りをトントンとしている。キラキラと瞳が輝いて、むしろ頭が悪そうにも見えてしまう。


「…だから。お姉ちゃんと違ってアストさんのこと、一生忘れませんよ?」


「お、おう。素敵な愛情だね。ははっ、俺は幸せ者だぁ…」


 突然ユイナの瞳から光が消えたかと思えば、飛んでくるのは重い重いプロポーズ。俺の顔が引き攣っているのを、俺自身も感じていた。


「あっ!もうマリオンちゃんがいますよ!待たせちゃったみたいです」


「なんか、ユイナはすごいね」


 俺の呟きは聞こえなかったらしい。ユイナはすでに、マリオン先輩のいる小屋まで駆け出しており、彼女の後ろ姿はどんどん小さくなってゆく。


女心と秋の空。といえども彼女は異常気象。


 ヤンデレから快活少女までの守備範囲を、たった一人で担い完遂するとは。どこまで属性を盛るつもりなんだ? ジャンゴよりも多彩な美少女属性は、どれもユイナのプラスにはたらいているし…。


「アストさん遅いですよ。マリオンちゃん待たせてるんだから、私みたいに走らないと」


「ごめん、考え事しててさ。あんまり気が使えなくて。マリオン先輩も待たせてしまってすみません」


「ぜっ、全然待ってないです。それがしもさっき来たところなので…」


 マリオン先輩は相変わらず変な言葉遣いだった。それでもまぁ、可愛いですよ。むしろその対人慣れしてない所とか、男子に人気そうなポイントですよね。


「ぷっ、アハハっ!『それがし』って、マリオンちゃんいつの時代の人ー?」


「あっ、あっ」マリオン先輩が機能停止してしまった。


 マリオン先輩にユイナは刺激的すぎる。こんな太陽が近くにあったら、先輩が燃え尽きてしまいそうだ。


「ユイナ、マリオン先輩はガラス細工の如く扱いなさい。内気な子はとっても貴重で可愛いから」


「はわっ!? わっ、わたし? かわ…いい…?」


混乱している姿も愛おしい。どこかに閉じ込めてずーっと可愛いって言いたい。


これが…母性?


「むむっ! それは聞き捨てなりません! 私だってアストさん思いのいい女じゃないですか!」


「可愛いは無限にあるって知らないのか? ユイナとはベクトルが違うんだよ」


「私も可愛いってこと?」


「そうだけど?」


「それ、告白と受け取りました! 喜んでお受けします!」


 ユイナは俺に飛び込んでくる。フットワークといい、テンションといい、コイツも中々ぶっ壊れてんな。いつか気付いたら入籍させられてそうなんだけど、コイツを止める法律が無いってマジ?


「ちがうって! 発想がオフロードを突っ切ってるって! 早く先輩にヒールを教えないと、昼休みもそんなに長くないからね」


「むー」ユイナは俺に抱きついたまま頬を膨らませる。


 上目遣いとのコンボ。自分の良さを分かっているな。いったい何人の男を落として来たんだい?


「マリオン先輩、早くしましょう。時間の分かる場所の方が良いんですけど、何処か知ってます?」


「それなら、いつも私が使ってる『生物室』はどうですか? 触媒も豊富にありますし、時計もあります」


「ありがとうございます。じゃあそこにしましょう。ユイナ聞いてた?」


「分かりませーん。アストさん連れてってー」


 ユイナはそう言うと、俺の背中側に回り込み、ヨッと乗っかってきた。所謂おんぶの体制。いつしかエレナにもしたが、彼女は嫉妬でもしているのだろうか?


いや、勘違いかも知れないし、この思考はやめておこう。


「アストさん号しゅっぱーつ!」


俺はまだ知らない。


これからの自分が、その生物室で押し倒されることを。


二匹の獣に取り押さえられ、脳内を掻き乱されることを。





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