第31話 5月1日 始まりの日 ——side 高橋優理

 私は……お父さんが厳しく、女の子の友達はいるけど男の子の友達にはむしろ避けられていた。

 門限も厳しく学校が終わったらすぐ家に帰らなきゃいけなくて……休みの日も自由に出かけられない。

 中学の頃からそうで、私と一緒にいてくれる友達が少なくて……


 でも最近、そんな私にお友達ができた。


「クロちゃーん? どこですか?」


 にゃーん。


「もーこんなところで。何してたのですか?」


 いつも気まぐれな黒猫のクロちゃん。最初に出会ったのは一ヶ月と少し前だ。

 家の中から、川の方に黒い影が見えて、私は吸い寄せられるように玄関に向かいさっき見えたものを追いかけた。

 猫だと思ったのだけど、追いかけているうちにどんどん小さくなっていく影。不思議だったけれど、不思議と追いかけずにはいられなかった。

 そうしてたどり着いた先は川辺の大きな岩の上だった。そこに一匹の黒い猫がいた。

 とても美人さんで可愛くて、私の姿を見るとニャーと鳴く。


 私はその猫ちゃんをクロと名付け、時々家の近くの川縁で遊ぶようになった。誰かに会うわけでもないし、いざというときは家の近くだからすぐに戻れると思ったから。

 そうやってコソコソとクロちゃんと会っていた日々は少し心が安まるように感じていた。


 そんなある日、突然お父さんが言ったのだ。


「今まで干渉して済まなかった。今日からは自由に過ごしなさい」


 突然そんなことを言われても、いつも遊んでくれる友達がすぐ出来るわけでもなし。

 学校で一緒にいることが多い雪野さんだって、いつもは部活で忙しく頻繁に遊ぶことだって出来なかった。


 そんなわけで……干渉も減った私は、ある意味で寂しさが増したように思う。

 私は益々、クロちゃんに依存するようになったと思う。


 そんな、ある日のこと。


 ニャア!


 家の近くの川べり、橋の下。

 いつもは遊んでくれるクロちゃんが機嫌が悪いのか、私が追いかけると逃げ出してしまったのだ。


「えー今日はどうしたのですか? クロちゃん!」

 ニャア!!

「追いかけっこですか? 負けませんよぉ」


 私は無我夢中で追いかける。なんだか楽しくなってきていた。

 普段あまり運動をしてこなかった私は息が切れてきたけど、それでも足を止めることはなかった。

 階段を上りすぐ横の道路を端って追いかける。


 するとクロちゃんが橋の欄干に登ったので、私も同じように上った。なぜか身体が軽く一足で。

 市内に流れる水路を渡る橋の欄干は、それほど高くない。

 その後のことはあまり覚えていない。


 クラスメイトの男の子、確か西峰たつやさん。彼がクロちゃんと私を助け……川に落ちたのだ。


「えーっ!! 西峰君、どうして?」


 私はただただ驚いた。ほとんど接点がないのに、下手したら大けがすることだってあっただろうに。たまたま通りかかった私を助けてくれた。

 慌ててクロちゃんを抱いたまま、川べりに駆けつけると彼は川の中で平然と立っていた。服はびしょ濡れだけど、何ともないみたいだ。思わず手を伸ばし、上がるのを手伝った。

 上がってからびしょ濡れになった西峰君。迂闊で、無我夢中になりすぎた……私のせいで。

 私は西峰君の濡れた顔をハンカチで拭いた。それくらいしかできることがなかった。


「わ! そんなのいいって」

「だって……私のせいで、西峰君びしょ濡れになって……怪我をしてたかもしれないのに」


 私は、申し訳なさや情けなさなどいろんな感情が押し寄せてきていた。必死になっていたのだと思う。

 結局、西峰君は私を一切責めることもなく、さらに私を安心させようとしたのか笑って……濡れたまま帰ろうとしたのだ。

 このまま、帰ってしまうなんて……。


「西峰君。私の家ここから近いから、お風呂入っていってください、お願いです。服も乾かさないと風邪引いちゃいます」


 私はそう言わずにはいられなかった。

 最初は遠慮していた西峰君も、家に寄ってくれたのだった。


 まさかお風呂まで一緒にはいることになるとは、その時思ってもいなかったけど。


 ☆☆☆☆☆☆


 その夜。


 メッセージアプリの通話機能で、同じクラスで仲良しの雪野さんと話した。その中で、西峰君との出来事を話すと軽く引かれたみたいだった。


「えっ?? お風呂一緒に入ったの? それって……すごいね」

「そ、そうですか? タオル巻いていましたし、裸を見られてないですよ?」

「いや、そりゃそうだけど。同じクラスメートだったとしても、ロクに話したことないんでしょ? 何より男だよ?」


 確かにそうなのかもしれないけど……あの時のことは後悔していないし、嫌だとも思わなかった。どうしてだろう? クロが、よく懐いていたからなのかな? 不思議と、私は西峰君に安心感のようなものを抱いていたと思う。


「た、確かに男の子ですけど」

「たぶんほとんどの男は、そんな状況になったら優理を襲っちゃうと思う。ルックスもよいしスタイルもパーフェクトだし」

「そうなのでしょうか? 西峰君は大丈夫だと思いますよ?」

「はぁー。わたしゃ心配だよ。男はどいつもこいつも同じだって。そうじゃなかったら、手を出せないチキンなんじゃない?」


 どうしてだろう? 私はカチンときてしまった。

 雪野さんこういうことを言う人じゃないのに、という戸惑いもある。


「むっ、違います。西峰君は私を庇って川に落ちても私を責めず平然と帰るような人なんです。堂々としていたし、気が弱いことはないと思います!」

「……そっかぁ。優理もついに春が来たのかな。ごめんね、西峰君のことを優理がどう思っているのか知りたくて、ちょっとキツく言っちゃった」

「ううん、大丈夫です。でも、春はもう来てますよ? もうすぐゴールデンウイークです」

「いや、そうじゃなくてね。ちなみに、西峰君はお風呂で前屈みになってなかった?」

「あ、えと。それは…………なっていたような?」

「やっぱりねぇ。まぁ、優理に勃起してたのなら大丈夫かなぁ」

「ぼっき……?」


 雪野さんが聞き慣れない言葉を発したので、私も思わず口にしてしまった。

 すぐにかーっと頭に血が上るのを感じる。それって……保健体育の授業で習ったアレだよね……確か男の人は性的興奮を覚えるとそうなるんだっけ……?

 そう考えたら、急に恥ずかしくなってしまった。


「え……それって……? 私の身体を見てそうなったのでしょうか?」

「そうそう。優理と一緒にお風呂に入って、タオル越しでも裸に近い状態を見て、肌が触れあったら……そうならない男なんていないって」


 一段と顔が熱くなる。顔から火が出るような思いだ。

 私の身体を見て、西峰君が性的興奮を覚えた——。


「ううぅぅぅ……恥ずかしい」


 私は布団を頭から被る。西峰君が……私の身体で……。

 そう思うと、私も西峰君の顔や、身体からだを思い出す。

 思っていたより西峰君はがっしりしていた。


 お風呂の隣に座って、肩が触れあったときの感触を思い出す。

 温かくて、柔らかさもあるけど力強さもあった。


 思い出していると、次第にドキドキしてくるように感じた。

 同時に体の中心が熱くなる。


「〜〜〜〜〜っ」


 声にならない声を上げる私。

 じんわりと、身体の奥から何かが染み出てくるような感じがするけど、これをどうしたらいいのか分からない。ただ、足をもじもじさせるだけ。


「私も興味が出てきちゃったな……西峰っちに。優理にふさわしい男かチェックしないとね」


 そう言い放つ雪野さんのさんの声。しかし、西峰君のことを思い出してもだえる私の耳に、雪野さんの声はほとんど入ってこなかったのだった。

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