第6話 5月1日 妹の千照(ちあき)とvtuber

 制服の乾燥が終わり、俺は着替えて高橋邸から帰ることにした。

 午後六時過ぎ。日が長くなっているとはいえ、もう薄暗い。


「じゃあね高橋さん。また明日、学校で」

「う、うん……あ、あの……」

「ん? あ、そういえばクロのことお父さんに言わないとね」

「ううううう。そうでした……。でも、頑張ります」


 高橋さんは、「むん」と言いながら両手拳を握りしめて気合いを入れる。


「そうそう。その調子。じゃあ、高橋さん、バイバイ」

「あっ……う、うん……ばい……ばい」


 高橋さん、なんかしょんぼりしてる? まあ、これから父親との対決だ。気が重くなるのも当然か。

 俺は濡れて重くなった鞄を持ち、家に向かって歩き始めた。

 

 ☆☆☆☆☆☆


「ただいまー」

「あーお兄ちゃん遅いぃ!」


 妹の千照(ちあき)が、リビングのドアから顔だけ出して俺を非難する。彼女はキャミソールにパーカーを羽織っている。おそらく、いつも通り下はパンツ一枚だろう。


「ごめんごめん、ちょっと友達の家に寄ってたら遅くなった」

「ふうーん? 朝も遅かったし何か怪しくない?」

「ないない」


 俺はとぼけて千照の横を通り過ぎる。そしてリビングを抜けて自分の部屋に向かおうとした。


「お兄ちゃん? ちょっと待って」

「ん?」


 呼び止められたから振り向くと、千照が胸元にかぶりつくように寄ってくる。ピタッとくっついて俺の首元に鼻を寄せた。


「ちょっ、何さ?」

「くんくん」


 そして匂いを嗅ぐ仕草をする。くすぐったいので止めて欲しいのだが、なぜか妹は離してくれない。

 こんなに近いのに、中学生らしい(?)胸の膨らみが俺の腹に触れているのに、高橋さんと違ってまーったくドキドキしない。

 もちろん、俺の身体も反応しない。ラフに羽織ったパーカーから胸元が見えるのにガン見しようとも思わない。

 生足で寝転がったらパンツも見えるのだろうけど、見ても何も感じない。

 一方、これが高橋さんだったらと……想像するだけでやばいのに、凄い差だ。


 とはいえ、妹が嫌いだとか可愛くないかというと、そうでもない。普通に可愛いとは思うし。


 学校では何度も男子から告白を受けるらしい。

 千照は男子が皆子供っぽいと言って断っている。俺から見れば、千照も普通の中学生なのだが。


 舐めるようにしてしっかりと俺の匂い嗅いだ千照。彼女は気付いたことを問い詰めるように言った。


「んー、やっぱりうちのと違うボディーソープの匂いがする。シャンプーも! お兄ちゃん、どこかお風呂入ったでしょ?」

「あーえーっと……うん」


 言い訳を思いつかず、俺はついそう答えてしまった。それを聞いた途端、千照の目がキラリと光る。


「ほう……もしかしてヒナちゃんと一緒に入ったの?」


 千照は幼馴染みのヒナと顔見知りで、よく一緒に遊んでいた。最近は俺とヒナとの関係を気にして遠慮していたが、二人はよく連絡を取り合っているようだ。


「もしかして……ヤッた? したの……?」

「千照、お前さぁ、どこでそんなこと覚えてくるんだ?」


 ううーん。中二の千照の方が、高橋さんよりよっぽど知識がありそうだな。


「いいじゃん。ね? それでヒナちゃんとやったの?」

「やってねー!! ヒナじゃないし! ……あっ」

「エー。じゃあ、浮気じゃん! ダメじゃん!」

「浮気って、まだヒナとは付き合ってないし」


 この先、ヒナと付き合っても二股かけられて須藤先輩に寝取られるだけなんだよな。そう思うと、告白をどうするかが問題だ。


「まだ告白してないの? 早く告白すればいいのに。絶対OKなのになぁ……お兄ちゃん、ざぁーこ♡」


 ……また変なこと覚えてきやがったな。

 千照は応援しているつもりなのだろう。俺とヒナがうまく行くように。


 俺たちと遊ばなくなって遠慮して、少し寂しい思いをしているだろうに。

 千照が俺を後押ししたから、タイムリープ前は俺からヒナに告白できたのは確かだ。


「どうしてよそでお風呂に入ったの?」

「俺が川に落ちて、友達の家が近かったから、お風呂に入れて貰ったの」

「ふうん……つまんないの」


 よかった。どうやら、友達が男だと勘違いしてくれたようだ。

 もし高橋さん……女の子だとバレたら、めちゃ問い詰められそうだ。


「千照は何を期待しているんだ?」

「ううん。お兄ちゃんちょっと元気が無さそうだったから……もしかしてその友達に掘られ——」

「おいっ」

「ぷぷっ。お兄ちゃん分かりやすくて、ざぁこすぎる」


 千照がふざけて笑う。でも、これは彼女なりの励ましだったのかもしれない。


 こんなに優しく元気なのに。千照が近い将来、部屋に引きこもってしまうなんて信じられない。

 引きこもった部屋から叫び声や、泣き声が聞こえてきて、とても俺は話しかけることができなかった。家族の雰囲気も最悪になった。そうなるのは絶対いやだ。

 いつまでも、調子こいて俺を弄って欲しい。


「えっ? お兄ちゃん?」


 思わず、片手で千照を抱き締め、片手で頭を撫でていた。

 俺の胸に顔を埋める千照はすぐに力を抜いて身を任せてくる。

 やがてゆっくりと顔を上げ、上目遣いで俺を見る。少し顔が上気して赤くなっている。


「お兄ちゃん、どうしたの?」

「あ、悪い。何でもない。嫌だったか?」

「ううん……前良くしてくれてて……嫌いじゃなかったから」


 そっか……。妹がそんな風に思ってくれていたなんて知らなかったな。

 千照の身体の温もりが尊いもののように感じた。

 俺は千照を抱いたまま続けて聞く。


「なあ、千照、その、5月20日に誰かと会う予定あるか??」

「20日? そんな先のこと分かんないよ」


 そりゃそうか。まだこの時点で問題となる人物に接触してないのかもしれない。


「じゃあさ、もし20日に誰かに会うことになったら教えてくれるか?」

「えっ? ……分かった。いいよ」


 千照が不審がると思ったのだが、あっさり従ってくれそうだ。

 俺のことを意外と慕ってくれてたのかな?

 タイムリープ前は気付かなかったことだ。


「それでさ、千照の方こそ好きなヤツとかいないの?」

「んー。リアルではいないかな。vtuberなら?」

「へえ、誰よ?」


 俺が聞くと、千照は一瞬俺から目を逸らした。

 不機嫌になったわけでも無いし、どちらかというと少し恥ずかしそうな表情に見える。


「……あ、もうこんな時間……そろそろ動画がアップされるかもだから部屋に行くね。あとでアドレス送るね、お兄ちゃん」

「うん。わかった」


 そう言って千照は自室に戻っていく。

 うーん。そのvtuberと何かあるのか? まるで恥ずかしくて俺から逃げたようにも見える。


 5月20日……朝帰りした千照。光を失った瞳を思い出す。表情もなく、ただそこにいるだけの存在。

 何も話さず、痩せ細っていく痛々しい姿。


 でも今は……。表情豊かでなんだかんだ言いながらも、俺に優しく接してくれて、そして慕ってくれる妹。

 去って行く後ろ姿を見て、俺は絶対守ってやると決意する。


 vtuberか。まさか、須藤先輩と何か関わりがあるのか?

 念のため明日高橋さんにも話しておこう。

 どちらにしても千照を……大切な妹を傷付けた奴に復讐してやる、と強い決意をする。


 必ず暴いてやる……! 



 ☆☆☆☆☆☆



 そしてその翌日。登校し、教室に入ると……。

 なぜか俺の席の隣に、高橋さんが座っていた。


「おはよう、西峰君!」


 どうやら、高橋さんがそこにいた男子にお願いして代わってもらったらしい。

 ど、どうして?

 ちょっと嬉しいような気もするけど、ホントどうして?

 でもこれは須藤先輩へのプレッシャーになるのかもしれない。俺と、高橋さんが仲が良いところを見たら、どう思うだろう?


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