第2話 5月1日 高橋優理(ゆり)と猫とお風呂(1)

 ほっぺたをつねるけど、普通に痛い。他のアプリなど開いても、5月1日というのは間違いなさそうだ。

 しかし、俺は6月1日の夕方、同級生の高橋さんを助けようとして川の底に沈んだ記憶もある。死んだのか俺?

 いやいや、生きている。


 じゃあ、この記憶は何だ? 夢? それとも、前世の記憶? もしかして転生?

 俺は自分の顔をスマホに映してみた。いつもの俺の顔だ。6月1日の俺はもっと頬がこけ、やつれていた。

 それに比べると普通に健康そう。そりゃそうか。この時期は、幼馴染みへの告白を考えていた頃で、しかも勝ち確だと思っていた。

 でも、現実は……。


 そんなことを思いながらも、もし未来の記憶が事実なら? と考える。


「未来を変えることができる?」


 だったら、何をする?

 幼馴染みを取り返す? うーん。俺を裏切った幼馴染みだ。取り返す意味なんてあるのか? と思う俺と、でもどうしてヒナはああなってしまったのか? 本当にあれがヒナの真の姿なのか? と疑う俺がいる。

 本当にヒナはあんなやつだった、というなら話は早いけど、俺はどうにもひっかかる。一旦保留。


 じゃあ、復讐? 須藤先輩に?

 俺の中の記憶が「本物」であるのなら可能だ。


 未来を知っていれば、色々と手を打つことができる。

 例えば、須藤先輩の彼女になる高橋さんを寝取るとか。いや、それが出来るほど俺に経験があるのかというと無いのだけど、記憶という武器がある。

 それを使えばもしかしたら……俺をあれだけ苦しめた、須藤先輩に復讐ができる。


 ニヤリとしてしまう。

 ふとスマホに映った俺の顔を見ると悪役っぽい表情をしている。


 それに。

 妹が引きこもりになった原因を調べたい。5月20日、きっと何かあったはずだ。

 幸いまだ十分に時間がある。

 今から手を打てば、きっとなんとかなる。


 俺はそう思いながら、立ち上がる。

 二度目の5月1日の朝日は、やけに眩しく思えた。


 ☆☆☆☆☆☆


 1回目と同じように、5月1日を過ごす。


 帰ってから妹に何か最近変わったことがないか聞いてみよう。

 放課後、そう思いながら下校していると「あの橋」が見えてきた。


 記憶の最後に川に落ちた橋。その時、女の子が一緒だったっけ。あれは確か——。


「ちょっと待ってください!」


 快活な明るい女の子の声が聞こえた。その声に振り向くと、同じクラスの高橋優理(たかはしゆうり)さんが制服姿で俺の方に向かってくる。


 あの時と同じだ。

 ただ、彼女の様子は全然違う。編み込みんだ黒髪は艶があり、さらさらだ。

 お金持ちのお嬢さんって感じで学内トップクラスの美少女。身だしなみはきちっとしている。

 そして……未来の記憶では須藤先輩とつきあっていた。

 この時期にも、川に飛び込んだという噂があった。じゃあ、これから彼女は川に落ちるのか?


 止めたほうがいいよな? 彼女も、ある意味彼氏を寝取られたわけだ。それがどんな相手であっても、憔悴しきったぼさぼさの髪になった彼女の姿は見たくない。


「ちょっと、高橋さん」


 俺は声をかけようとしたとき、高橋さんはそれより早く通り過ぎ、橋の欄干に上った。


「ん?」


 彼女の視線の先には黒い猫がいて、追いかけている。それにあまりに夢中だったため、俺に気付かなかったようだ。でも橋の欄干を上って走る姿は猫が乗り移ったよう。


「ねえ、どうして逃げるのですか!?」


 半泣きになりながら、高橋さんは橋の欄干を渡っていく。しかし、それはとても危うく見える。

 俺も思わず欄干に上って彼女を追いかける。この後高橋さんは川に転落する。それを俺は知っている。

 つまり、高橋さんを助けられるのは俺しかいない。


「キャッ!」


 高橋さんがふらついた。

 追いかけていた黒猫が急にUターンしたのに驚いたようだ。


「危ない!」


 高橋さんの足下を黒猫が駆け抜け、高くジャンプし俺の胸に飛び込んでくる。なんで? と思うけど今は気にしていられない。

 俺は黒猫を片手で抱きつつ加速した。


「うおおおおおお!」


 俺は思い切り高橋さんを突き飛ばし、橋の内側に押しやった。

 その甲斐があって、高橋さんは橋の内側に飛び降りる。

 一方俺はバランスを崩す。まずい、このままでは俺と黒猫が川に落ちる!


「あっ……! 西峰君?」


 高橋さんが駆け寄ってきて俺に向けて手を差し出してくれた。だけどもう既に俺は川の方向に倒れ始めている。


「頼む、高橋さん!」


 俺は胸に抱いていた黒猫を高橋さんに向けて放り投げる。

 よし。高橋さんは驚きつつもうまく黒猫をキャッチした。


 俺はそれを見て安心し……そのまま川の方向に倒れていく。

 身体がふわっと浮く感じがして、目にするものが全てスローモーションになったようにゆっくり動く。その時、


「ニャア」


 高橋さんの抱く黒猫が鳴き、片目を閉じた。

 あ? 何だこの猫?

 いや、猫はどうでも良い。結局俺は川に落ちるのか。

 って、もしかしてまた時間がまき戻る……?


 バシャーン!


 水しぶきが飛び散り、俺は川に落ちた。全身を覆う水をとても冷たく感じる。

 俺はそのまま肩にぶら下げていた鞄とともに川に沈む。時間は戻らない。


「西峰君! 大丈夫?」


 まったく大丈夫じゃないけど、なんとか川の浅瀬に立ち上がることができた。

 全身が水で濡れている。にもかかわらず高橋さんが駆け寄ってきて、岸の上から白い華奢な手を俺に差し出す。その動作に一切の躊躇がなかった。

 とても綺麗な手で、ずぶ濡れた俺が触れるのに気が引ける。


「俺、濡れて汚れてるよ?」

「とにかく、つかまってください!」


 手を取れ、という強い圧を感じた。俺は申し訳なく思いながら、高橋さんの手を握り岸に上がる。

 高橋さんの手が濡れる。でも、それを気にしない様子で俺の顔を高そうなハンカチで拭い始めた。


「わ! そんなのいいって」

「だって……私のせいで、西峰君びしょ濡れになって……怪我をしてたかもしれないのに」


 高橋さんは瞳に涙を浮かべていた。

 俺のことを気遣ってくれてるのか。優しいんだな。

 抱きつくようにして俺の顔を拭っているため、顔が近い。その端整な顔立ちと、柔らかな身体の体温にドキドキした。

 近すぎるため、ブラウスが濡れて水色のブラが薄く透けて見えるのに気づき、慌てて視線を外す。で、でも……結構大きいんだな……着痩せするのだろうか。


 さて、記憶の中では、確かに高橋さんは川に落下し怪我を負ったという噂だった。幸い、俺はどこも怪我をしていない。


「俺が勝手に勘違いしちゃっただけかも」

「勘違いですか?」


 高橋さんは黒猫を追いかけた結果川に落ちたのだ。

 彼氏のことで悩んでいたワケでは無かった。それは俺の勘違いだったわけだ。

 そうと分かればもっとやりようはあったろう。川に落ちたのは俺の自業自得で、少なくとも高橋さんのせいじゃない。


「い、いや、なんでもない……ハッ、はっっくしゅ!」


 悪寒が身体に走りくしゃみが出る。初夏とはいえ川の水は冷たかった。ずぶ濡れの服も重い。これは風邪を引くかもしれないなと思った。

 俺は濡れた鞄を手に取り肩にかける。こりゃ中の教科書はずぶ濡れだろうな……。


「じゃあね、高橋さん、また学校でね。橋の欄干にはもう上らないでね」


 そう言って帰ろうとすると、ぶんぶんと顔を横に振って高橋さんが言った。


「西峰君。私の家ここから近いから、お風呂入っていってください、お願いです。服も乾かさないと風邪引いちゃいます」


 え? つきあってもいない同級生の女の子の家に行くとかハードル高いんですけど!?

 とも思ったけど、


「ハックション! や、やっぱり……お願いします」


 俺は寒さに耐えきれず、高橋さんの家にお邪魔することにする。

 そうだ、この子は須藤先輩の彼女になる。復讐をするのならハードルとか言ってられない。


 俺の隣にいる高橋さんも少し濡れていて寒そうに見える。

 そんな俺たちを見て、黒猫がにゃあと満足げに鳴いていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る