第31話 調子が狂うぜ……
「あ、あのっ、お身体洗いましょうか〜!?」
俺は浴槽でひっくり返った。
縁に頭をぶつけ馬鹿みてえな格好で、扉を開け入ってこようとしているリリィを「来るなァ!」と押し止めて、急いで体を布で拭き取り着替えて外に出る。
「いけない! 凄く濡れてます、体調崩しちゃいますよ」
髪から水をぼたぼたと垂れ流しながら歩き去ろうとするとリリィが強引にでも拭こうとしてくる。
よいしょよいしょと背伸びをして一生懸命に。
「……いいよ。自分で出来るし」
「ああ……っ」
彼女はずっとこんな感じで、とかくお節介を焼いてくる。
朝食だろうが夕食だろうが色々と。
必要以上に執拗に。
理由を聞けば、
「耳を聞こえるようにしてくれましたし、良くしてくださってるので」
などと供述を──少しでもお役に立ちたいとのことだ。
そう言われましても……俺はどんな顔で受け入れたらいいのか分からない。
「ふっ、素直になればよかろう」
「恥ずいんだよ……!」
「ヴィーナスさんもっ、何かあればおっしゃってください!」
「ん、では、今日も私の稽古に付き合ってくれないか?」
「喜んで!」
朝食が終われば午前中は剣の稽古だ。
魔法使いになるとはいっても、身体が資本。高名な魔法使いは皆、人並み以上に剣を使えるものだからな。
探窟家御用達の宿なので裏には訓練場がある。
俺はヴィーナスとリリィが打ち合っているのを軽く見届けてから奴隷市場に足を運んだ──毎日一時間の滞在が日課なのだ。
♧♧♧♧♧♧
午後は魔法の訓練だったり息抜きに出かけたり、まあいろいろだ。
「呪いの歌詞がえっと──死は闇より暗く〜〜〜」
今日は魔法の訓練。
一音一音、歌詞一つ。
『詠唱そのものが魔法である』──という魔法概念を基に作られた唄魔法。
『音』をトリガーにしているので俺との相性はすこぶる良い。
実戦では誰よりもシナジーを発揮してくれるのは間違いないな。
「あ、音外したぜ」
「え──ほんとですか?」
「半音……いや、もうちょい誤差かな。気持ちだけ上げてこう」
「わかりましたっ」
間近で聴きながらの調律。
一言助言するだけで確実に合わせてくる様は、まるで精密機械。
悪魔に魅入られるほどの逸材ってのは伊達じゃない。
「そこは少し声を震わせて。魔力がより伝わるように」
「はい!」
で、恐ろしく素直。
素直過ぎると言ってもいい。
リリィというエルフはもう少しユルユルな性格だったと思うんだけど……正史とのズレがあるみたいだ。
その理由は多分、俺が脅してしまったせい。
この子は俺の指先一つで魔法が解ける状況にあり、悪魔を退治してから改めて会いに行く正史とは明確に違いがある。
じゃあ悪魔倒せばいいじゃんって話だけど、それは無理。
イベント発生のトリガーを引こうにも、多くの前提条件となるイベントをクリアする必要があるのだ。そんな時間はないし、そもそも主人公じゃない俺には前提イベントの発生すらままならないかもしれない。
「あの……」
「んあ?」
とはいえ順序さえ無視すれば奴隷市場での一幕のように、俺ならばリリィを迎え入れること自体は簡単。
他のメインキャラよりも明確にイージーな上、俺との相性も良い。
そんな理由からリリィを選んだ。
「エルさんは凄いです」
「……んな事言っても何も出ねえぜ」
「へへ……ほんとの事言っただけですよ」
俺がどれだけ打算まみれでもリリィはやっぱり素直だ。
愛らしくはにかんで真っ直ぐ俺を射抜く。
エメラルドの瞳に吸い込まれそうになる。
「それに……強い目をしてる」
「強い……?」
……ヒロインさん特有のパワーを感じる。
「はいっ、とっても。それに奥の方に大きな自信を感じます。憧れちゃいますね……」
「……お、おう。自信なんてねえけど」
「そんなっ、ご謙遜を」
近い近い近いって顔……。
「ぁ……」
「ちょいと出掛けるわ」
突き放し、扉に手をかける。
さっさと行こうとした瞬間、背中に温かい感触が抱き付いてきた。
……んだよ、調子が狂うな。
「わたっ、私も行きたいです!」
そういや最近一人での行動が多かったかな。
「……いいぜ。行こう」
「はい! 行きましょう!」
♧♧♧♧♧♧♧
お出かけ──つっても適当に手持ちが少なくなってしまったアイテムを買うだけ。簡素でつまらないものだ。
買い物袋を持とうとしてくるリリィから死守しつつ、反対の手を彼女に引っ張られ歩く。
右へ左へ、進路に迷いはなく目的とする場所があるみたいだ。
引っ張られて行くとやがて噴水のある広場が見えてきた。
そこでは大道芸で日銭を稼ぐ者たちがおり、今まで見てきたどの街をも上回る賑わいを見せている。
「行ってきますね!」
「……っ、ちょま!?」
ここはリリィの街。
彼女が輝くために存在する街。
噴水の前に行き歌い出す彼女を俺は止めるなんて愚行はせずに、観客に徹し手拍子で盛り上げた。
英雄の活躍を唄う『アリーゼは彼方』はリリィの壮大で奥行きのある声使いにマッチしていて、大観衆が形成されるまで瞬くほどの時間しかかからない。
かくして熱狂の中、俺は押し流され、単なるエキストラとして気持ちよく歌い上げる彼女を見守り続けたのだった。
「すみません……! どうしても歌いたくなって──!!」
広場を脱するとリリィは頭を下げた。
よほど衝動的に行動したんだろうな、ステージを降りた彼女はこの世の終わりみたいな顔してたし。
「ん、あぁ……いいって。俺も楽しかったし。それにサプライズだったんだろ?」
「はい……びっくりするかなって」
正史でもリリィのサプライズライブに招かれる展開があったからびっくりはしていない……なんて野暮な事は言わない約束だ。
「……びっくりしたぜ〜。なんたって俺ぁ小心者だからな」
「へ? エルさんが? そんな、あり得ないですよ……!」
それこそあり得ねえって。
どんな見られ方してんだ? 俺は……。
最近は多少マシになったとはいえ、変わらずネガティブな野郎だろ。
けど、俺自身がどんなにそう思っていたとしても、リリィは目を輝かせ両拳を握り締めて追撃してくる。
「凄い魔法使いで! 凄い
「……………………」
……嘘、だろ???
立ち眩みがする。
ミーシャからの信頼も少しずつ厚くなっていたような感覚はあったけれど、あれはそれなりに長く過ごしたからであって……何だこれ。
俺が?
俺が?
いくら何でもこれは……。
「どうか、しましたか?」
「ぁ……いや。リリィがそう思うなら……まぁ、ありがとよ」
客観視できない。
俺、なんかしちゃいましたか? って感じだ。
短期間で人に強烈な羨望を抱かせるヒーローってのは、某少年漫画で幾度となく見たことはある……俺がそれになったってことなのか?
いや、確かにリリィは特殊な環境にいたし、メルヘンな部分もあったような記憶もある。
それでも、それでも──そうだ、あの窓。
「……はは、俺じゃん」
朧げに映るそいつはどうしようもなく俺だった。
こんな弱そうな奴の何処が良いんだか……まあいいや、計画を進める上では
卑しく釣り上がった口角をズリ下げて、窓から半歩下がる。
視界が広くなったおかげで、店の外壁に張り付いた紙に気が付いた。
「ん、これは……?」
近寄って綴られた文言を読み取る。
「パーティーメンバー募集の張り紙ですね……」
「あぁ……わりいけど、読み上げてくれねえか?」
見間違えかもしれん。
「え、いいですよ。えと──」
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数多のダンジョンへの挑戦、まだ見ぬ財宝への渇望。
強者どもよ我が元へ集え。
Sランク以上の魔法使いならば報酬は言い値で出そう。
沿岸都市ブランコ。
フリッツ・ドラコシア。
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「4つくらい先の街だな。それに都市名のところは魔法的に描かれてる、紙の材質からして移動したら書き変わるつくりだな」
「そこまでするなんて……すっごく困ってるのでしょうね」
「……そうかもな」
受け応えつつ、優しいリリィが抱いたような心配とは全く異なる──そう、別の考えに至る。
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