何よりも大切なもの

 Vtuberをしない日が続く。一昨日の夜から、昨日、そして今日。

 ツイッターには配信が無いことを心配する視聴者の声が届く。

 罪悪感に胸を痛めながらも、私はそっとスマホを置く。

 チャンネル登録者は前回の配信でかなり伸びていた。

 幾つかの小規模事務所からの勧誘があったが、まだ返信できていない。

 今はあまり、そういうのには興味は無かった。


 今日、家に帰ってやったことを説明しよう。

 ご飯を食べて、風呂に入って。そしてベッドに横たわる。それくらいだ。

 唯も同じく、私と同じ行動をした。

 当たり前のことのように、まるでいつもそうだったみたいに。

 Vtuberのことなんて、まるっきり頭から無くなってしまったみたいだった。


 そして今。

 電気の付いた部屋の中で。

 隣で仰向けになっている唯はスマホをいじって、対する私は考え事に頭を回している。

 ぽちぽちとスマホを触る音を耳に受け止めながら、私は考える頭を止めなかった。


 けれど。考え事は一向に纏まらない。

 遠回りをして答えに辿り着こうとしても、結局は始まりの場所に戻ってきている。

 それでも。辿り着くべき場所は決まっていた。

 ──Vtuberの引退である。


「…………」


 終着点が決まっているとはいえ、問題は経路と行き方であった。

 唯に『これからどうするか』を聞くべきなのだろう、というのは分かる。

 でも。今の唯にそれを聞いていいのか、というのがずっと分からなかった。

 Vtuberの話はしばらくは封印すべきなのか、結論は早めに出すべきなのか。

 あぁでも。やはり、遅くにすればするほど、より悩まされる問題なのも明確だった。

 ならば。もう今、聞いておくべきなのだろうか。と、私はそのまま、息を吸う。


「唯。……Vtuber、これからどうする?」


 瞬間、辺りがしんと静まり返った。

 唯は指の動きを止め、持っていたスマホを枕元に置く。

 溜息か深呼吸かどちらともとれる「はぁ」という息を天井に漏らした。


「もう少し、してから再開、かな。……お姉ちゃんに、迷惑かけたくないから」


 優しい答えだった。

 けれど、声は固くて、苦しい。

 本心で無いのが簡単に伝わる。

 だから私は再度、唯に問うてしまう。


「……唯、ほんとはどうしたいの?」


 できるだけ優しい声で問うたつもりだった。

 そんな声に、唯は小さく「──あ」と声にならない声をあげる。

 仰向けのまま横目で唯を見る。唯は天井を見上げずに、私の方から顔を背けていた。

 そんな唯は数拍を置いて、ゆっくり、恐る恐ると言った風に声を返してくる。


「ほんとはって。……ほんとも何も、あれが本心だから。Vtuberはお金のためにも、続けなきゃいけないからさ」


 唯は無理をしていた。

 どうしようもなく、それは分かってしまう。

 唯の言葉を『そっか』と簡単に受け入れられたら、どれほど楽なのだろう。

 けれどそれは、逃げでしか無かった。


「お金かぁ……。でも、私にとったら、唯の方がめっちゃくちゃに大事だから。Vtuberはもう、無理しなくていいんだよ」


 唯を見遣る。

 背中しか映らない。

 そんな背中は、ほんの少しだけ震えていた。

 何かを考え込む間の後に飛び出した声もまた、少し震えていた。


「で。でも、私のことを優先してたら、生活が危うくなるじゃん……」

「お金なんて、バイトの量を増やせばどうにでもなるよ。おばあちゃんおじいちゃんだって頼ってくれって言ってくれてる。唯がそんな心配をしなくてもいいんだよ。……だから、唯のほんとの気持ちを教えて」


 泣き声が耳に届く。

 次いで、鼻をすする音も。

 胸が痛かった。けれど今更、引けなかった。。


「お願い。教えて」


 追い討ちをしているようで、これもまた胸が痛む。

 正直。今の生活が定着してきた中、バイトを増やすのは気が重い。

 祖父母だって歳が歳ではあるので、頼るのも如何なものだろうかという感じではある。

 Vをやめる、というのつまり私の負担も増えるということ。

 しかし。そんなことどうでもよくなるくらい、唯に負担をかけたくない。


「…………」


 もうすぐクリスマス。

 けれど、私の家にサンタはいない。

 これから先、訪れることもない。

 私はそれを知っていて、唯もそれを知っている。

 それを理解した時の唯の悲しさなんて、計り知れない。

 だから。少なくとも、もう、唯に悲しい思いをして欲しくない。

 けれど。もうさせてしまった。今も、させてしまっている。

 私は唯の家族として、お姉ちゃんとして、失格なのかもしれない。

 そんなお姉ちゃんだけど、唯にはずっと笑っていて欲しい。

 これが私の本心だから、唯の心の内を、私に教えて欲しかった。


「……お、姉ちゃん」


 唯は私を呼びながら、ベッドから身を起こした。

 二人を覆っていた毛布を引っぺがしながら、唯は私に覆い被さってくる。

 そのまま手を回して、ぎゅーっと抱き締めて、ひどくむせび泣いた。


「ごめんね、唯」


 唯の身体を全身に受けながら私は思う。

 やはり。この話題は早かったのだろう、と。

 もう少しだけ、心を安定させる期間が必要だったのだろう、と。

 後悔しても遅い。手櫛を入れながら、片方の手であやすように背中を撫でる。

 けれどそんな時、私の耳に、唯のしゃっくり混じりの鳴き声が届いた。


「お姉ちゃんっ……私、私ね……」


 その声を受け止めて「うん」と、小さく頷く。


「……私。私、なんのために。Vtuberをやってるのか、分からない」


 放たれたそれは、唯の本心だった──かは分からない。


「最初は。ただ。お姉ちゃんと。仲良くなれたらいいって、思って。それが願いで。始めたVtuber活動なのに……」


 けれどそれは、酷く震えて。悲しく響く。


「でもさ。あんな、すごく大きな事件になっちゃって……」


 唯の言葉を受け止める。けれど、抱えきれず溢れてしまう。


「怖い。すごく怖い。……もう。Vtuberなんて──やりたくない」


 頷く以外に出来なくなって。私は泣いちゃダメなのに。


「だって──」


 唯にバレないように、私も静かに涙を流しながら。


「私の願いはもう……叶ったから」


 最後の言葉を耳で聞いていた。


「……うん」


 これ以上、私は何も言わなかった。

 否。言えなかったのだろう。

 私の部屋から駆け出す唯の姿を、呆然と見送って、終わりだった。


 部屋の電気を消す。

 目を瞑る。

 明日は聖夜祭。

 そう思うと中々、眠れなかった。

 遠足前日にソワソワして眠れない小学生のソレとは全く違う。

 沢山の不安が私の中を支配していたから。眠れなかった。



         ※



 金曜日。

 この日を待ち侘びていた気がするのに、気分は重かった。

 外は雪が軽く積もっていて、早朝の新聞配達は無かった。


 私は布団に篭って思考する。

 昨日の唯の言葉を思い返す。

 唯はもうVtuberをしたくないと言った。

 それならもう早い。Vtuberは引退するべきだ。

 ライブ配信をするべきは、今日の夜だろうか。

 そう思っているのに心には何かが引っかかっている。

 唯との距離が離れたり近付いたりで、凄くモヤモヤしていた。

 でも。今の私には、その時間になるまではどうしようもなかったのだろうと。

 そう思い込んでいた。


 やがて登校時間となった。

 雪が多少あったが通常登校だった。

 けれど。無理に登校しなくてもいいらしい。

 折角の聖夜祭ではあったので、いつも通りに唯と肩を並べて家を出る。

 互いの傘を天に向けて、ただ、とぼとぼと。

 さくさくとした雪が私の足に絡まってくるようで、いつもより遅いペースだった。

 唯は仕切りに周りを見渡しては、安心したように一息を吐く。それを繰り返していた。

 周りの視線が、ストーカーの視線が無いか、それがきっと怖いんだな、と。

 唯の抱えてる不安は、抱えてるトラウマは、私の想像以上に大きなものかもしれない。

 それに今更ながら気が付くと、唯は私の視線に気が付いたようだった。

 取り繕った笑顔で「楽しみだね」と言った。私は頷く以外に出来なかった。

 気が付けば学校に辿り着いていた。


「じゃあ。友達との用事が11:00までだから。待ち合わせは、その後で。それが終わったらラインするね」


 そんな風に、私たちはお互いの教室へと歩んだ。

 今日は高三も授業が無い──と見せかけて、今日の高三生は『自習』だった。

 ちゃんと見張りの先生がいるくらいには、ちゃんとした自習の時間である。

 けれどまぁ。もう大学・就職が決まっている生徒は自由の時間だ。

 適当に教室を抜け出して、聖夜祭に参加してもいいのだ。


 現在時刻は8:35。

 自習の時間が始まる。

 途端に私の胸をモヤが覆って。

 私の頭を邪念が占めて。

 唯への不安が離れない。

 ──けど。


「…………」


 今は学校の中だから唯は大丈夫だ。

 夜の配信で全てが終わる、その時まで、あと少し。

 そう言い聞かせながら、私はイヤホンを耳に付けた。

 好きなバンドの曲で、気を紛らわそうかと試みる。

 顔を机に突っ伏して、流れる曲に耳を澄ました。


 恋愛ソング。

 耳障りの良い前奏。

 ギターの独特な音色が心地よい。

 前奏後に出てくる歌唱パートが好きだ。


 歌詞に意識を向けると面白い。

 その歌の主人公には憧れの女性がいて、いつも遠くから見つめている。

 けれど。自分の手は到底彼女には届かない。それも主人公は分かっている。

 それでも。その人を手に入れたい。そんな妄想が綴られている。

 自分のものにしたいのに。偶然に身を任せて、その人と結ばれる未来を想っている。

 奇跡に縋る主人公だけれど、失敗が目に見えているから想いなんて伝えられない。

 結局は。主人公の儚い妄想のみで、歌は終了する。

 そんな。進展が一つも無い夏の恋のお話。


 窓の外を見る。

 季節感が無いなぁ、なんて思いながら。

 こんなところで机に突っ伏しているのも、私らしくないなぁとも思った。


 すぐ前にも、こんなことがあった。

 私の行動がどうも遅くて、唯に不安な思いをさせていた。

 それは今も同じだろう。唯は、きっと今も不安なのだ。

 あの様子から、それが察せないほど私の性格はヤワじゃない。

 今の時刻は8:50。講堂で行われる聖夜祭の開会式は9:00。

 一、二年生は。今頃から教室から講堂に向かうだろう。

 それなら──。


「舞?」


 私が席を立ち上がるのにいち早く反応をした恵が、私の方を振り返る。

 一拍遅れで、他の生徒の視線も監視役の教師の視線も独り占めにした。


「……恵。今から生配信してくる。……前みたいなやつじゃないから、安心して」


 小声でポツリ。恵に向けて零して。

 そして──。


「先生! ちょっと、お手洗いにいってきます!」


 前方に言い放つ。

 教師からの答えを待たずに、私は教室を飛び出した。


 私の行動は遅い。

 不安がっている妹を放っておくなんて、お姉ちゃんとして失格だ。

 けれどそれは。私も不安だから──って、そんな言い訳は通じない。

 唯は、私以上に恐怖しているのだ。

 あぁ、そんな大切なことに、なぜ気が付けなかったのか。

 いつも私は、何か大切なことを忘れている。

 今、気が付けただけ、マシなのかな。


「……よし」


 階段を駆け降りる。

 二階から一階への階段は、二年生で埋め尽くされていた。

 人の間を縫って、縫って。私は唯を目指す。


 冬の魔法にかけられた私は。

 冬の魔物に連れ去られ、あなたを連れ去りに参上しよう。

 そしてそのまま、ずっと離さないで、一緒にいよう。


 一階に降り立って、首を回す。

 この廊下も既に一年生でいっぱいだった。

 けれどなんというか、好きな人って輝いていて見つけやすい。

 私の視線の先の先に、唯が俯きがちに歩いているのが映った。


「唯……」


 誰にも聞こえない小さな声で、その名前を呟きながら。

 距離を詰めて辿り着いた彼女の、その前に立つ。

 人の流れを私でせき止めて、唯以外は、私という障壁を避けながら進んでいく。


「お姉ちゃん!?」


 唯は朝から元気が無かった。

 しかしこれは、流石に驚いたのだろう。

 私の方にバッと顔を向けると目を見開いた。

 そんな唯の耳に顔を寄せて「今から、配信、できる?」と息を切らしながら、小声で問う。

 困惑した表情の唯に早口で「引退ライブ」と告げると唯の顔色は少し明るく変化した。

 それでもまだ唯は「でも……」と不安げで、上がった顔も少しずつ下がってゆく。

 こんなにも急に押しかけたのだ。その不安も当然だ。

 私はいつも唐突で、馬鹿だ。めっちゃ馬鹿だ。

 また唯を不安にさせてしまっている。

 でも。こうするしか、無いと。私は信じているから。

 今は。今だけは──。


「……唯! 大丈夫!」


 立ち止まる私たちを押し退けるように身体が当たる。

 周りの人混みに身体を押されながら、私は彼女に手を差し出した。

 唯を安心させるために、根拠も無い言葉を、ここで一つ。


「私がいるから! 大丈夫!」


 また少し困惑した表情になった唯は、やがておかしそうに笑みを溢した。


「じゃあ。うん。……お姉ちゃんに、任せてみる」


 嬉しそうに頷きながら、差し出した私の手を、ぎゅっとハグみたいに熱烈に握る。


「じゃ、行こう!」


 奇異の視線を浴びながら。

 人の流れに逆らって、抜け出して、私はまた階段に向かって。

 唯の横に並んで、階段を駆け上がりながら──。


「私はさ! 高嶺の花子さんが自分に惚れてくれる妄想をするくらいなら、当たって砕けてしまえって、いつもそう思ってるの!」

「え、なんの話!?」

「日本を代表するバンドの曲の話!」

「なんでそんな話になってるの!?」


 私たちは屋上を目指す。

 不安がはらむ聖夜祭なんて私も唯も楽しめない。

 唯の担任には、後で私から誠心誠意、謝罪しよう。

 そんなわけで──。


 これが最後の配信だ。

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