第一章 第02話 職員室にて

「あらあ、今日の職員会議は上野原うえのはら先生も出るんですね」

「はい、そうなんです」


 ここは職員室。


 子どもたちを見送った後、俺たちは会議のために戻ってきたのだ。


 俺の右でパイプ椅子いすにちんまりと腰かけている上野原さん。


 お茶をすすりながら彼女ににこやかに話しかけたのは、養護教諭ようごきょうゆ――いわゆる「保健の先生」のくろしろ先生だ。


 髪はショートカットですそを前にかる~くカールさせているがらな人だ。


 いつものようにナーシングエプロンを着けている。


 ただ、この人はひとみの色がちょっと変わってるんだ。


 何と言うか……うっすらと青みがかっているように見える。

 たまに茶色っぽい瞳の人はいるけど、青ってなかなかないんじゃないかな。

 髪の色は別に金髪とかじゃなくて、普通に黒なんだけど。


「どんな感じなのか、ちょっと緊張してます」

「まあ大事な会議ではあるけど……そんなに肩肘かたひじ張らなくても大丈夫よ?」

「そうなんですね……」


 黒瀬先生の机は俺のちょうどうしろであり、事務の先生二人――正確には先生ではないが――の机とくっついた級外部の「しま」にある。


 ちなみに級外ってのは、学級担任以外の人たちのことだ。


 事務の二人は今日、出張か何かで朝からいない。


「どう? 実習の方は」

「大変だけど、楽しいです。子どもたちも可愛いですし」

「そうね。まあちょいちょい生意気なのもいるけど……八乙女先生とか」

「えっ」

「おいおい、冗談とふんどしはまたにしてくれよな……」

「出た」


 黒瀬先生は、一般的な保健室の先生というイメージからそう遠くない、優しくて包容力のあるタイプの人だと思う。


 だけど……何でか知らんがみょうに俺にからんでくるんだ。

 確か二十七、八くらいだったはずだから結構年下なのに。


 ――もしかしてあれか?


 二年ほど前だったか、彼女が本校ににんしてきた時の歓迎会で「何か冗談みたいな名前ですね」って言っちゃったやつ。


 あれは――申し訳なかった。


 他人ひとの名前をいじるとか、ないよな。

 確かに失言だった。


 でも、その時黒瀬さんってばにこにこ笑いながら、俺の両ほっぺたを思いっきり左右に引っ張ってくれちゃってさ……まあ、あれが上手うまころんで仲良くなれたようなものだから結果オーライってことで。


 ああ、ちなみに彼女は既婚者だ。


 旦那だんなさんが俺の高校時代の後輩だったことは、あとで知った。

 と言っても、彼は俺が卒業したあとに入学してきたんだけどね。


 旦那も俺の前任校で教員をやってるが、彼の場合あくまで後輩だ。


 似たような言い方だけど「職場の後輩」と「年下の同僚どうりょう」ではニュアンスが大分だいぶ違う。


「まあもし何か困ったことがあったら、今更かも知れないけど相談してね?」


「はい、ありがとうございます」


「そうね。上野原さんはもうすぐ研究授業だもんね。……ほら、八乙女やおとめさん、例のもの」

 

 突然話に加わってきたのはうちの学年主任の不破ふわ先生だ。


 彼女の机は俺の右隣で、上野原さんはちょうど俺と不破先生にはさまれる形になっている。


「え、例のもの?……あ、もしかして」

「そうよ。ほら、早く受け取りなさいって」

「ははー、ありがたく頂戴いたしまする~」


 俺はそう言って、不破先生が差し出したものを押し頂く。


 それは、こんのハンカチにつつまれたA5版ほどのサイズのものだ。

 結構ずしりと来る。


「……八乙女先生、それ何ですか? 何かお弁当みたいですけど」

「弁当? うーん、しい」

「惜しいって、八乙女先生、不破先生にお弁当を作ってもらってるんですか?」


 上野原さんが聞いてくる。

 若干、詰問きつもん調な気がするが……何か勘違いしてんのだろうか。


「いやいや、弁当の時間にしちゃあ中途半端でしょ。これにはね、俺の大好物が入ってるんだ」


「大好物って……何です?  食べ物ですか?」


「そうだよ」


 ……何か今日はやけにぐいぐい来るな、上野原さん。


 お腹でもいてんのかな。


 まあでも、実習が始まったばかりの頃が嘘みたいに、彼女はこんな感じで割と親しげに話してくれるようになった。


 そこは素直に嬉しい。


とりさかしなのよ。そんなに大した料理じゃないんだけど、いつだったかお弁当の日にちょっとおすそ分けしたら気に入ってくれたらしくて」


「や、本当に美味しかったんですよ。じゃなきゃ作ってくださいなんてずうずうしくお願いしたりしませんって」

 

 そうなのだ。

 不破先生の言う通り、おかず交換したら思いのほか美味しかったのだ。


 思わずべためしたところ「家族の分作るついでに作ってあげようか?」なんて言うもんだから、お言葉に甘えてしまったというわけで……あれ、もしかして社交辞令だったのか?


「ああ、あの時の。何か大騒ぎしてましたもんね、八乙女先生ってば。不破先生のお弁当をガンして」


 黒瀬先生がニヤニヤしながら言う。


「いくら隣とは言え、普通じろじろ見ます? 他人ひとのお弁当」

「いや、それは、まあホント、すいませんでした」


 まあ自分でもちょっと失礼だったかなと思う。


 で、酒蒸しだけど、とり本体の味ももちろん良いのだが、肉の下にまったしるがめちゃくちゃ美味しいのだ。


 肉汁にくじゅうあぶらと日本酒の風味、ほどよい塩加減。

 あの時思わず「ジョッキで飲みてえ!」と叫んでしまった。


「肉汁? ジョッキ?」

「普通の人だったら、その二つの言葉は結びつかないわよね」


 首をかしげる上野原さんに、不破先生がくすくす笑って言う。


 ――言っておくが、汁物が好きなわけじゃない。


 いや好きだけど、そうじゃなくて元々飲む用に作ったものではない、美味しい汁が好きなのだ。


 筑前煮ちくぜんにの汁とか、茶碗蒸しからみ出てるあの透明な汁とかたまらないね。


 豚の角煮はそのままだとちょっとすぎるが。


「俺は汁が好物なんだよ。汁好きなんだ」


 そう言って俺はマグの中のお茶を一口ずずりとすすった。


 同好どうこうと「しるマニアファミリー」というブログを運営していることは、とりあえず黙っておこう。


 ちなみに、その同好の士には先ほど出た黒瀬先生の旦那も含まれている。

 彼はそれとは別に、ラーメン食べ歩き系のブログもひらいているけど。


「ふふ、汁好きってのは分かったけど、ジョッキでとか想像しただけで胸が悪くなりそう」


 黒瀬先生がまたからんできた。


「まあそのくらい美味かったってことさ」

「でも……汁好きって何か……ちょっと変態っぽいかも」

「……はあ?」


 何言い出すのこの子は……上野原さん?


「いえ、何でも……ないです」


 ……汁好きが変態ってどういうこと?


――――――――――――――――――――――――――

2013-01-18 一部修正&調整しました。

詰問きつもんのルビが「けつもん」とか……穴があったら入りたいです。

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