§030 きっかけ
私達は夜食の焼きシイタケを平らげ、静かな夜を過ごしていました。
ビスケちゃんはお腹いっぱいになったのか眠ってしまいましたし、ハルトも騒ぎ疲れたのか目を瞑っています。
ただ、私は冒険者としての初日を出来るだけ謳歌したいという想いから、どうにも目が冴えてしまっていました。
そのため、
既にボロボロになってしまった黒い背表紙の小説。
そこには金色の文字でこう書かれていました。
――『とある魔女の冒険譚』。
私がこの本に出会ったのは、私が魔女になるよりも、魔導士になるよりも、もっともっと前。
やっと読み書きができるようになったぐらいの幼少の頃だと思います。
内容は、ちょっとだけ口の悪い魔女の女の子が世界を旅して様々な人と出会うという極々ありふれたもの。
決してベストセラーになったというわけでもなく、何か目新しい特徴があるというわけでもないのですが、それでも私はこの本が大好きでした。
私が魔導士を目指すきっかけとなった本と言っても過言ではないかもしれません。
魔女というのは全てを超越した者、世界の中で最も全知全能に近い存在です。
そんな彼女でも世界にはまだまだ知らないものがたくさんある。
彼女が旅先でゆくりなくたくさんの出来事に遭遇して新鮮さや感動を覚えているのが、当時の私にはとても羨ましく写り、同時に輝いて見えたのです。
そうして、いつしか私は彼女のように世界を冒険してみたいと思うようになって、12歳になったその日に家を飛び出したのでした。
まあ、この時はさすがに自分が本当の『魔女』になってしまうとは夢にも思いませんでしたけどね。
私は懐かしさも相まって、そんな本を軽く撫でてみます。
この本を手に取ったには、何百年振りのことでしょうか。
おそらくですけど、ハルトが塔から連れ出してくれたことによって、少なからず私の心にも変化が生まれたのでしょうね。
敢えて言葉にするなら、「人間らしい感情が戻ってきた」という感じでしょうか。
先ほどはハルトから昔の話を振られた時には、懐かしいという感情しかないと言いましたが、今は、この静かな夜の雰囲気がそうさせるのか、ほんの少しだけ寂しさを感じます。
そうして、私は感慨深げに夜空に浮かぶ月を眺めます。
「ラフィーネ、起きてたのか」
すると寝ていたはずのハルトが声をかけてきました。
「それはこっちの台詞ですよ。乙女の感傷を覗き見るとは、なかなかいい趣味してますね」
私が悪態をつけば、ハルトも悪態を返してくる。
だから、今回もそうなると思っていました。
しかし、ハルトは私の言葉には乗らずに、別の問いを投げかけてきました。
「その本は何か大切なものなのか?」
私が大事そうに本を撫でていたのも見られていたのかもしれないですね。
ハルトの声音はこの夜におあつらえ向きな静かさで、きっと今は真面目な話がしたいのだろうなというのが伝わってきました。
私が相手に合わせるというのは釈然としませんが、私もこの夜の雰囲気を楽しみたかったので、静かな声音で答えます。
「ええ、私が幼少の頃、母がよく読み聞かせてくれた小説です」
「母さんか……。実は俺もその小説読んだことあるよ。いつだったか忘れたけど誰かに勧められて読んだんだ。その主人公って何となくラフィーネに似てるよな?」
「そうですか? 銀髪で『魔女』ってところぐらいしか共通点ないと思いますが……」
「いや、口が悪いところとか」
「殴られたいですか?」
私が握りこぶしを作ると、ハルトはケラケラと笑いました。
そして、焚き火を軽くつついてから一拍置くと、少しだけ真剣な表情に戻して言いました。
「ラフィーネにはまだ話してなかったよな。俺がなぜ『呪い』を集めているか」
「そう言われればそうですね。ハルトが『呪い』を集めていることは聞いていましたが、なぜ集めているのか聞いていませんでしたね」
「せっかくの機会だしここで説明するよ。ちょっと俺のステータスを見てもらってもいいか?」
「ハルトのですか?」
俄には意味がわかりませんでしたが、私は言われるがままにハルトを対象にして
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【ステータス】
名前:アイバ・ハルト レベル:26 職業:転生者
HP:630/630 MP:0/0
筋力:260 体力240 敏捷:245 魔力:0 知力:25 幸運:340
経験値:3300/15500
装備:聖剣・クラウン・サラー(未完成・3/10) 鉄のバックソード キメラ製の服 黒ウルフの外套 革手袋 革靴 パンツ(黒)
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【ステータス】
名前:ラフィーネ・アメストリア レベル:2 職業:付与魔導士
HP:70/70 MP:600/600
筋力:25 体力15 敏捷:22 魔力:200 知力:50 幸運:15
経験値:55/300
装備:冒険者(剣士)の外套 冒険者(剣士)の服 冒険者(剣士)のブーツ 魔女の髪留め 懐中時計 下着(水色)
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改めて見ても出鱈目なステータスですね。
『魔女』の頃は気にも止めませんでしたが、人間に戻った私のステータスと比較するとその異常さは更に際立って見えます。
私も先ほどのファングウルフとの戦闘でレベルが1つ上がったようですが、ハルトは3レベルも上がってるじゃないですか。
まあ、ファングウルフを何匹か倒してましたし、何より『終焉の魔女』である私を倒したんですから、それぐらいの経験値が得られて当然ではありますけどね。
それよりもハルトは私にステータスを見せて一体何が言いたいのでしょうか。
『転生者』という職業は元々気になっていましたが、それ以外に特に気になるところは……。
「ってあれ?」
私がハルトのステータスを注視しているとレベル以外に以前と不自然に変わっている箇所を発見してしまいました。
「以前ステータスを見たときよりもクラウン・サラーの数値が増えてます。以前は『2/10』と表示されていたと思いますが、今は『3/10』です。これってもしかして……」
「多分ラフィーネの思い描いているとおり。剣が吸収した『呪い』を数値化したものだよ。ラフィーネの呪いを吸収したから数値が一つ上がったんだ。これで俺の目的がわかっただろ?」
「このクラウン・サラーの数値を『10』まで貯めることでしょうか?」
「ご名答」
「クラウン・サラーの数値が『10』になった時、一体何が起きるんですか?」
「それは……」
今までになく真剣な表情を湛えたハルトに、私はゴクリと唾を飲みます。
「実は俺も知らないんだ」
「(ガクッ!)いやいや、意味わからないですよ! 何が起こるかわからないのに集めるって貴方はどれだけ暇人なんですか! 全世界のブラック企業で働いている人達に謝ってください!」
「いや話は最後まで聞けって。ラフィーネには見えてるんだろ。俺の職業が」
「『転生者』ですよね? 私も長年
「『転生者』とは俗に言う異世界人のことだ。俺はどうやら神の導きでこの世界に転移させられた人間らしい」
「え? ということはハルトはこの世界の人間じゃないってことですか?」
「そうなるな」
「どうりで。頭のネジが飛んでいるとは思っていましたが、そういうわけだったのですね」
「残念ながら頭のネジは関係ない。俺に備わった特別な力は、このクラウン・サラーを持っているというだけだ。他はこの世界の人間と変わらない。そして、俺は転生の際に神から啓示を受けた。――呪いを全て集めた時に主の願いが叶う――とね」
「願い……。ハルトの願いとは?」」
「本当に何もわからなくて申し訳ないんだが、俺も自分の『願い』が何なのかはわかっていないんだ。それが何よりも大切なもので、命を賭してでも叶えたい願いだったということだけは覚えているんだが、実は転生の際に前の世界の記憶を無くしてしまったみたいで……」
「え、それじゃあ本当にハルトは何のために旅をしているかわからないじゃないですか」
「そうだよ。だから俺もラフィーネと同じだと言ったじゃないか。俺は自分の記憶を取り戻すために旅をしている。でも、俺がこの世界の人間でない以上、この世界をいくら探し回ったとしても俺を知っている人は現れないだろう。そこで、俺は苦肉の策として、神の啓示のとおり、『呪い』を集めることにしたんだ。きっとその『願い』というものが何なのかわかれば、俺の記憶も自ずと取り戻せるだろうと思って」
「……そうだったんですね」
私はハルトの言葉を聞き終えて視線を落とします。
確かに前から気になってはいたんです。
私が記憶を探す旅をしたいと言った時、ハルトがすんなりと受け入れてくれたこと、その際に「結局俺もラフィーネと同じだから」と言った言葉の意味を。
でも、今のハルトの話で、これらの疑問はストンと落ちました。
……ハルトも私と同じだった。
正直、異世界とか、転生とか、願いとか、呪いとか、どうにも馴染みのない単語だらけで理解が追いついていない部分があります。
でも、これだけはわかりました。
今話してくれたのはハルトの核心部分。
『運命の塔』では話してくれなかったことを、今、私に打ち明けてくれたことを。
……ああ、ハルトは本当に私を仲間として信用してくれたんですね。
その事実にほんのりと心が温かくなるのを感じました。
「ありがとうございます。ハルトの話を聞けて……なんていうか嬉しかったです」
私は若干頬を赤らませながらも、素直にお礼を言います。
いくら性悪の私でも、これがどれだけ大切なことかをはき違えるほど馬鹿ではありません。
そうして、ハルトにゆっくりと視線を向けると、どういうわけかハルトも頬を赤らめていました。
「だから……少しずつでいいから……」
「はい?」
「少しずつでいいから、ラフィーネのことを教えてくれるか。今のラフィーネのこと、魔女の間のラフィーネのこと、魔女になる前のラフィーネのこと。もしかしたら、思い出したくない過去を話させることになるかもしれないけど、俺はラフィーネのことをもっと知っておきたいんだ。仲間として……」
その言葉に私は思わず目を見開いていました。
大変失礼な話ですが、ハルトはいつもヘラヘラしています。
口は悪いし、すぐに冗談で流すし、何ならゲンコツを見舞われたことだってあります。
そんなハルトが照れながらも、私に歩み寄ってくれているのです。
実を言えば私だってハルトのことをもっと知りたいと思っていました。
同時に私のことももっと知ってほしいと思っていました。
でも、きっかけというか……どうやって歩み寄っていいかがわからなくて……。
昼間にした過去の仲間の話は、何となく気まずい雰囲気になってしまいましたし……。
けれど、そのきっかけをハルトがくれました。
私はその気持ちに応えるように、ハルトを見つめ返すと、高鳴る心臓をどうにか鎮めて、満面の笑顔を湛えます。
「もちろんですよ。私もハルトのことをたくさん知りたいし、ハルトにも私のことをたくさん知ってほしい。もちろん、相手の受け入れられないところもあると思いますし、言いたくないことを無理に話せとは言いません。でも……私はハルトが歩み寄ってくれたことが、『仲間』として何よりも嬉しいです。ありがとう……ハルト」
そうして、私は瞑目すると静かな声音で続けます。
「じゃあ、今日は私が魔女になるきっかけのお話をしましょうか」
私はゆっくりと言葉を紡ぎます。
それはまるで母が子供に小説を読み聞かせるように。
そう、今から話すのは、とある女の子が魔女になるまでのほんの一片の思い出。
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