§023 もふもふ

 ハルトが狩りに出掛けた後、私はハルトの言葉に甘えて水浴びをすることにしました。


 今は春。

 夜になると昼間に比べれば気温がだいぶ落ちますが、水浴びをするにはちょうどいい気温です。

 正直、昼間には大汗をかいてしまったので、水浴びをしたいなと考えていたところでした。

 普段はデリカシーのないハルトですが、こういう気遣いができるところは素敵です。


 そうは言ってもハルトも男です。

 狩りに行ったふりをして、実は私の肢体をその目に収めようと、物陰で様子を窺っているかもしれません。

 そのため、私は野営地から少しだけ下流に当たる場所に移動することにしました。


 私はルンルンと鼻歌を歌いながら、川に沿って歩きます。


 しばらくすると、水浴びにおあつらえ向きな場所がありました。

 野営地の川原はどちらかというとれきに近い石がゴロゴロしている場所でしたが、ここの川原は柔らかな砂が敷き詰められ、水流もいくらか穏やかです。


 私はここで水浴びをすることに決めました。


 私は木陰に隠れると、まず、普段はストレートに下ろしている銀色の髪をポニーテールに結い上げます。

 続いて、赤色の外套の紐を解き、近くの木にひょいと引っかけます。

 これで私はブラウスにスカート、それにブーツという出で立ちです。


 念のため、ハルトが近くにいないことを目視で確認した私は、両腕をクロスさせ、


 ブラウスの裾に手をかけようとした瞬間――


(ガサガサガサ)


 背後の茂みが微かに揺れました。


 それは、風が揺らす葉擦れなどとは明らかに違い、何者かがそこに潜んでいることを確信させるものでした。


「……ハルト?」


 私は反射的に身構えると、音のした方向に向かって恐る恐る声をかけてみます。

 けれど、もしハルトだったらこんな登場の仕方はしないだろうとも思いました。


 そうなると……この茂みの中にいるのは……魔物?

 ハルトはこの辺りには魔物はいないと言ってたのに。


 私は咄嗟に一度脱いだ外套を手に取ると、意を決して茂みの中に問いかけます。


「誰! そこにいるの!」


 すると、更なるガサガサという音。

 そして、私の声に呼応するように姿を現したもの。それは……


「きゅぃ」


「と、鳥?!」


 ――小さな鳥のような小動物でした。


 あまりにもコロコロした見た目だったので一瞬タヌキか何かかと思いましたが、くちばしと羽があるので鳥で間違いなさそうです。


 全長20センチほどの丸みを帯びたフォルム。

 コバルトブルーの瞳に、黄色いくちばし。

 柔らかそうな体毛は金色と白色の中間色で、キラキラと微かな光沢があります。

 そして、何より特徴的なのは頭上に跳ね上がった立派な鶏冠とさかとチークを塗ったような赤い頬紅です。

 全体的に見ればヒヨコに近い様相をしていますが、その特徴的な鶏冠と頬紅がどうにも私が思い描くヒヨコとは合致しません。


 これは一体どういう生物なのでしょう。


「…………」


 私は一瞬思案しましたが、わからないことは考えても無駄です。

 見た感じ害はなさそうですし、余計なことを考えるのはやめましょう。

 とりあえず、現れたのが凶悪な魔物でなかった事実に私は安堵のため息を零します。


 私はすっかり落ち着きを取り戻しましたが、一方の小動物さんはというと突如目の前に現れた私を警戒しているのか、ふわふわしてそうな体毛を逆立てて小さい身体なりに私を威嚇してきます。


 私はどうしたものかと思いましたが、ふと、小動物さんの足に血が滲んでいるのを認めました。


 野生の動物に襲われたのでしょうか。

 回復魔法はそれほど得意ではないのですが、これくらい対象が小さければ私の力でも傷を癒すことができるかもしれない。

 私はそう考えて、できるだけ警戒心を抱かせぬよう膝を折って屈むと、優しく手招きしてみます。


「おいでおいで、私は怖くないですよ」


 言葉が通じるのかはわかりません。

 ですが、私は出来る限り身振り手振りを合わせ、自分に敵意がないことを小動物さんに示します。


 けれど相手は野性動物。

 こんなことで警戒心を解いてくれたら何の苦労もありませんよね。

 小動物さんは怯えたように後退ると、足を引き摺って茂みの中に隠れようとします。


「ちょ、ちょっと待って!」


 私は咄嗟に小動物さんを呼び止めると、そういえば……とスカートのぽっけをまさぐり、ハルトに隠れて食べようと思っていたビスケットを一欠片取り出します。


「きゅい?」


 すると小動物さんは足を止めました。

 ビスケットの甘い香りに誘われたのでしょうか。

 依然として訝しんだ目をこちらに向けていますが、鼻をひくひくさせながら少しずつ私の手元に近付いてきます。


「食べていいですよ」


 私が小動物さんに向かってビスケットを差し出すと、警戒しながらもくんくんと匂いを嗅ぎ、一口だけその黄色いくちばしで啄ばみました。


「きゅい♪」


 お、どうやら気に入ってもらえたようです。

 小動物さんは明らかな歓喜の声を上げると、むしゃむしゃとビスケットを頬張りました。


 私はそんな彼(いや彼女かもしれないですけど)があまりにも愛らしくて、ついつい手のひらに乗っけてしまいました。


 嫌がられるかなと思いましたが、彼は彼で満足気な表情を浮かべています。


 どうやら警戒心は解けたようですね。


 手の上で一心不乱に残りのビスケットを咀嚼する彼を見ていたら、不思議と笑みがこぼれてしまいました。


 そして、今度はこの子の足に視線を向けます。

 血で滲んだ傷口は肉が抉れて、かなり痛々しい状況になっていました。

 これは擦りむいたとかそういうレベルのものではなく、何か爪のようなもので引っ掻かれた痕のようでした。

 私が想像していたよりも傷口は深そうです。


「これは早めに治してあげた方がいいですね」


 最初は食事中に悪いかなとも思いましたが、傷口にばい菌が入ってしまっては魔法の効きが悪くなる可能性もあります。

 一瞬、先ほど収納ルームを展開した時の負の感情が蘇ってきましたが、私のエゴで小動物さんが苦しむのは耐えられません。


 私は意を決して小動物さんの足に手をかざします。


「お食事中にごめんね。――治癒の光キュアヒール――」


 私が詠唱すると小動物さんの足はたちまち柔らかな光に包まれ、血が滲んでいた生傷は見る見るうちに正常な状態に戻りました。


 よしっ!


 私は魔法の成功に思わずガッツポーズを決めます。

 レベル1の、しかも300年振りの回復魔法でしたが、どうやら無事に彼の傷を癒すことができたようです。


「きゅいん♪」


 小動物さんも自分の足から痛みが消えたことに気付いたのでしょう。

 最初は不思議そうに足を動かしていましたが、すぐに歓喜の声を上げると、今度は羽を大きく拡げて、バサバサと羽ばたいてみせました(飛びはしませんでしたが)。


 私には彼の言葉はよくわかりません。

 そのため、もしかしたら私のエゴなのかもしれませんが、何となくお礼を言われているような気がして、心が温まる気がしました。


 私はしばしの間、彼のもふもふな体毛を撫でてあげました。

 すると、彼は安心しきったのか手の上で横になると、小さな寝息を立て始めました。


「まったく……私のことをどれだけ信用してるんですか。こう見えても私は世界を滅ぼそうとしていた魔女なんですよ?」


 そんなとても野生動物とは思えない態度に、私は微笑みながら悪態をつきます。


 でも、案外動物というのは鋭いという話を聞きます。

 この子はもしかしたら私にはもう『魔女の力』が宿ってないことがわかってるのかもしれないですね……。


 私は「ふぅ」と溜め息をつくと、彼を起こさないようにゆっくりと立ち上がります。


「私が水浴びをしている間、ここで眠っていてくださいね」


 そう言って私は木にかけた外套のぽっけに彼を優しく収めます。


「さて……」


 気を取り直して私も水浴びですね。


 予想外の事態にだいぶ時間を使ってしまいました。

 ハルトは30分したら狩りから戻ってくると言っていたので、わりと時間がありません。

 このままではハルトに心配をかけてしまうかもしれませんし、手早く済ませなければいけませんね。


 そうして、今度こそと両腕をクロスさせ、ブラウスの裾に手をかけると――


(ガサガサガサ)


 またしても背後の茂みが大きく揺れました。


 まったく今日は来訪者が多いですね。

 さっきの小動物さんの親がお迎えに来たのでしょうか。


 小動物さんとの出会いですっかり緩み切った思考になっていた私です。


 私は緩慢に振り返って背後の茂みに視線を向けます。

 しかし、茂みから這い出してきたものを視界に捉えた瞬間、私の思考は現実へと引き戻されました。


「……え」


 私は小さな声を漏らして、その場に凍り付きます。


 大きく茂みを揺らして私の目の前に現れたもの。

 それは何を隠そう――大きな狼――の群れだったのです。


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