§005 最期

「――――え、」


 最初、何が起きたのかわかりませんでした。

 だってガキンッという鈍い金属音とともに――私の宝剣が突如として砕け散ったのですから。


 星屑の如く散り散りになる刀身を見て、これはきっと私の錯覚なのだろうと思いました。

 だって彼の魔力は0。

 魔力を纏った私の剣を砕くなど到底不可能なはずなのです。


 しかし、どうやらこれが現実。

 先ほどまであれほど煌びやかに輝いていた私の剣が柄だけを残して見るも無惨な状態となり、他方で、漆黒に輝く彼の聖剣は無傷のまま私の眼前に迫りつつあるのです。


「――くっ」


 予想外の状況に、一瞬、反応が遅れましたが、こう見えても私は世界最強の魔女。

 剣が私の身体を貫く前に魔法を発動して回避することは可能です。


 まずは彼から距離を取りましょう。

 よくわからないですが、やはりあの聖剣は危険な香りがします。


 そこまで思考して、私はすぐさま魔法発動の予備動作に移ります。


 手に魔力を集中させて風を操って……って。


「あれ、」


 しかし、私はある事実に背筋が凍るのを感じました。


 ――魔法が思うように使えないのです。


 こんなこと300年生きてきて、一度も無かったのに。


 もう手加減などと言っているいとまはありません。

 私は焦りに焦り、全身全霊の力で体内に流れる魔力を手中に集めようとします。


 しかし、どういうわけか魔力が一切言うことを聞かず、ばらばらに暴れ出すのです。

 まるで私のものではなくなってしまったように。


 その結果、せっかく組んだ構成が空虚に霧散してしまいます。


「あぁ、」


 散り行く魔法陣の残滓を見て、私は敗北を悟りました。


「悪いな」


 最期にハルトの声が聞こえます。


(ズサッ)


 同時に彼の剣が勢いよく突き立てられ、その剣は正確に私の心臓を射抜きました。


「あ、、ぁ」


「ラフィーネ様ぁ――――っっっっ!!」


 私は声にならない声を上げ、同時に私達の戦闘を見守っていたビオラも悲痛な叫び声を上げます。


 もはや私には回復魔法を使う気力も残されていませんでした。

 わずかに残っていた魔力も、まるで血が流れ出るようにどんどん体外に放出されていきます。


 魔力を失った魔女など赤子も同然。

 段々と身体に力が入らなくなった私は、剣を引き抜かれると同時に、その場にゆっくりと膝をつきます。


「…………」


 ああ、これが死ぬってことなんだ……。


 そんなことを漠然と思いながらも、なぜか自分が笑みを零していることに気付きました。


 あれ? なんで私は笑っているんだろう……。

 世界を終わらせるという神からの使命をまだ果たせていないのに……。


 けれど、意外にも、その答えはすぐに出ました。


 そう。私はホッとしていたのです。

 世界が無くならなくてよかった……と。


 戦闘が始まる前にはもう……わかっていたんです。


 私にはやはりこの世界に未練はありません。

 でも、この世界には未練を残している人達がたくさんいます。

 そんな人達の未来を……この世界について何も知らない私が……無碍に扱っていい道理はありません。


 そんな当たり前のことに気付かせてくれたのは、間違いなくハルトでした。


 私は彼に感謝します。

 自分では抗うことができない運命を……剣の一振りで止めてくれたのですから。


 私の魔力が霧散した結果、終極魔法――『世界の終焉クレアシオン』――も消失しました。

 彼は終焉の魔女・ラフィーネに勝利し、世界を滅亡の危機から救ったのです。


 『呪い』を奪うというのは今でもよくわかっていませんが、彼もこの結果にはきっと満足していることでしょう。


 ――今度こそ、この世界に悔いはありません。


 そう改めて心の中で復唱すると、私は薄ら瞼を開けます。


 どれ、最期に英雄様のお顔でも拝んでおきますかね。

 そんな婆くさい台詞を吐きつつ、私は涙で霞む視界の中、ハルトのことを見上げます。


 しかし、どうしたことでしょう。

 彼は勝利に酔うどころか、どこか物憂げな表情で私のことを見ていました。


「……どう、、して」


 私は声にならない声でそう呟きました。


 貴方は終焉の魔女・ラフィーネに勝ったのですよ?

 世界を終焉から守ったのですよ?


 それなのにどうしてそんな顔をしているのですか。


 まるで最愛の人を失ったかのような。

 泣き腫らして涙も枯れてしまったかのような。

 そんな悲しそうな表情をしているのです。


 ただ、ぼやける視界と遠退く意識に、段々と思考は奪われていきます。

 何が現実で何が幻なのかもわからなくなり、視界は暗転しました。


 命の灯が消えていくのを感じます。

 もはや力は入らず、ゆっくりと身体が傾いていきます。


 ああ、もう本当に……これが最期なのですね……。


 そう悟った次の瞬間、倒れ行く私の身体を支えるものがありました。

 そこには確かな人間の温もりが感じられたのです。


 ああ、これはきっとビオラですね。

 私の唯一の友。

 本当にあなたは最期まで……。


「……ビオラ。とても温かい」


 私は残された力を振り絞って、支える腕に手を這わせ、重たい瞳をゆっくりと開きます。

 しかし、私の視界に映ったのはビオラではありませんでした。


 ……あれ? 貴方は………………。


「■■」


 無意識に声が漏れました。

 ひどく懐かしく感じるのに、誰かの名前。

 同時に声も聞こえたような気がしました。


 ――君が元気になったら、また世界を見て回ろう。


 記憶にないはずなのに、私の記憶に色濃く残る台詞。


 これは■■の声?


 私はそんな懐かしいような、でもすべて幻想であるかような回想に思いを馳せつつ、またゆっくりと瞼を閉じます。

 同時に目に溜まっていた涙が零れ落ちました。


 ああ、私は今更になって思い至ってしまいました。


 この世界に留まるべき理由――未練――。


 ――私は……貴方と世界を見て回りたかった……。


 私は何でこんなに大切なことを忘れていたのでしょう。


 悔やんでも、悔やみきれない想いが私を襲います。


 私が終極魔法を使う前に貴方のことを思い出していれば。

 いや、せめてハルトと戦う前に思い出していれば、やり直すこともできたでしょうに。


 ……ああ、でもそれはきっと違いますね。

 私が■■のことを思い出すことができたのは、おそらくハルトのおかげ。

 彼に一刀両断されなかったら、愚かな私は自身の人生を省みることなどなかったでしょう。


 これはもう自業自得。

 受け入れるほかありませんね。


 私は心の中で笑います。


 それにハルトに斬られてよかったと思えることもあるんです。


 それは、■■が大好きだったこの世界を壊さずに済んだこと。

 魔女になって大切なものを失った私が、■■の大切にしていた世界まで壊してしまったらそれこそ言い訳のしようがありませんからね。


 何から何までハルト様様です。


 終焉の魔女を失ったこの世界が今後どのような発展を遂げるのかはわかりません。

 それでも私は確信しています。

 この世界は今よりももっともっと素晴らしい世界になると……。


 身体から何かがすっと抜け出るのを感じて、私は心の中で静かに瞑目します。


 どうやらお迎えの時間が来たようですね……。


 本当は私もこの世界の行く末を見守りたいところですが、あとは英雄様にお任せして、私は永い眠りにつくことにします。


 願わくば、来世でもこの素晴らしい世界に戻ってこられることを信じて……。


「ご武運を、春斗はると


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