#18 華麗なる彼女の一撃、崩れ去る白滝

「今日来ておいて、良かったよ、明日は定休日だもんね、この店」

良くご存知なのですね。ところで、ご注文は?」

「あ、そうね。注文だよね。みなさん、どうなさいますか?」

 独り陽気な白滝を除き、とんでもなく重い空気が充満する中で、僕らはそれぞれアイスコーヒーやらクリームソーダやらを頼んだ。猪熊は、五十円の「ゆで卵」単品を注文する。あくまで旅費の節約を優先するつもりらしい。


「いや、今日の城下町巡りコースも、彼女に教えてもらったんですよ。とってもいい街ですよねえ」

 はははは、と高笑いした白滝は、「そうそう、トイレに行きたかったんだ。ここでもらしちゃ嫌われちゃうよ」と席を立った。スキップでもしそうなくらい、足取りが軽い。迷いもせず、一直線にトイレへ向かったところを見ると、店内の状況も把握済みらしい。


「あの、ウェイトレスさん」

 僕は急いで、「えっちゃん」に声を掛けた。

「はい、何か」

 硬い表情で、彼女は近付いて来る。

「僕らはあいつ、本名は白滝って言うんですが、奴と同じ大学の学生です。ご迷惑をおかけして、大変申し訳ない。迷惑ですよね?」

 早口で、僕は言った。

「いえ、その……。まさか本当にここまで来られるとは思わなくて」

「趣味の掲示板いうのは、どんな内容ですか?」

 阿倍野が訊ねた。白滝に失恋以外の趣味があるなんて、聞いたことがない。

「はい、スキューバ・ダイビングのホームページなんですけれど。ダイバー同士の情報交換用の掲示板で。この島、いくつか有名なダイビングスポットがあるんです」

 奴がダイビング? 聞いたこともない。

「そこについ、この島で働いてる、って書き込んでしまって。そうしたら、同じ県内に住んでるからって、あの人、『ホワイト・ナイト』さんがすごく熱心にレスを下さって。気象のこととか詳しくて、掲示板では色々有名な常連さんなんです。離島が好きで一度行ってみたいから、色々教えて欲しいっておっしゃったので、それで……」

 なるほど、いい子だ。気の毒に、そこを白滝に付け込まれたのだろう。


「そう言うたら、ダイビングスーツ着た女の子が好きとか言ってましたわ、白滝くん。ネットで画像集めてるって」

 阿倍野が小声で言った。

「とりあえず、奴の始末は我々がつけます」

 僕は彼女に、そう言い切った。

「戻って来たあいつは、『これは運命だ』とか何とか理屈をつけて、『付き合ってくれ』と言い出します。しかしあなたは、顔色一つ変えずに、奴を振ってください。できるだけ、氷のように冷たく鋭い言葉で」

「そんなことして、大丈夫でしょうか?」

 彼女は不安げな表情になった。

「心配要りません。何かあったら、俺が白滝さんに一撃くらわして眠らせます」

 猪熊が、力強い口調で言った。


 こうして話がまとまったところへ、晴れ晴れとした顔をした白滝がちょうど戻って来た。

 そこに「えっちゃん」が、飲み物を四つお盆に載せて、「お待たせしました」と近付いて来る。熱い視線を送る白滝を無視して、四人それぞれの前に、グラスを置いていく。

「いや、これは違うんで」

 猪熊が、慌てたような声を上げた。彼が頼んだのは、ゆで卵だけのはずである。なのに、彼の前にもアイスコーヒーの入ったグラスが置かれたからだ。

「わたしからのサービスです、どうぞ」

 彼女はにっこりと、猪熊に笑いかけた。おお、マジですかと彼は喜びの声を上げる。

 それを見た白滝は、露骨に顔をしかめた。なぜ彼女は、猪熊なんかに親し気な態度を取るのか。こんな髭面のむさ苦しい男に。そんなことを思ったのだろう。


「おい、猪熊。ありがたいと思って、味わって飲めよ」

 横柄な口調でそう言ってから、奴は彼女に笑いかけた。

「ごめんね、気を遣わせちゃって。こいつ、金がないもんだから。困ったもんだよ」

「いえ」

 彼女はあくまで素っ気ない。しかし白滝は、なおもめげない。

「優しいね、えっちゃんは……。そんな君とのこの偶然の出会い。僕は感謝したいよ。これは、運命だと思う」

「はあ」

「これからも時々、ここに立ち寄ってもいいかな?」

「遠すぎますよね、立ち寄るには」

「距離なんて、問題にはならないさ。だって、僕は……」

 白滝は、わざとらしくうつむいて、少し黙り込んだ。そして再び、顔を上げる。

「君のことが、好きになってしまったかも知れない。一緒に居たいんだ、ずっと」

 よくもまあ、こんな歯の浮いたようなセリフを、これだけの人に囲まれた状態で、平気で吐けるものだ。


「一つ、お聞きしたいんですけど」

 顔色一つ変えずに、えっちゃんは言った。

「確かホワイト・ナイトさんは、ダイビング歴5年なんですよね?」

「あ、ああ。正確には、5年にはちょっと届かないけど……」

 我々のほうをちらちらと見ながら、白滝はうなずいた。こいつの「ちょっと」というのは、どれだけ幅が広いのだ。

「じゃあ、ハンド・シグナルで告白してもらえると嬉しいです。ダイバー同士ですもの、私たち」

 彼女は初めて、白滝に微笑みかけた。僕らには分かっていた。これは勝利を確信した者の笑みであると。


 驚愕で、白滝の顔が歪んだ。奴の嘘が、ガラガラと音を立てて崩れて行く。

「……いや、それが、ちょっと度忘れしてね……」

「ハンド・シグナルを度忘れしたりしたら、海中では命を落としかねないですよね。それでは、一緒に潜ることなんてできないですよ。どうか頑張って、思い出して!」

 追い打ちをかけるように、彼女は白滝を励ました。素晴らしい。「えっちゃん」、大したものだ。


 ここで猪熊が、奴の肩を叩いた。

「白滝さん、ここまでにしときましょう。俺ら、白滝さんのこと、良く分かってますよ」

「どういうことですか?」

 彼女が、不思議そうな顔をして訊ねる。

「ダイビングどころか、海で泳いだことも、ろくにあらへんと思いますわ、白滝君」

 阿倍野がここで、とどめを刺した。

「え……そんなことって……」

 ショックを受けたように、両手のひらで彼女は、口元を覆った。

「嘘をつく人、無理です。ごめんなさい」

 ここで白滝は、がっくりとうなだれた。勝負がついた。


(#19「全員ダウン、そして近づく激しい嵐」に続く)

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