#3 罠にかかった猪熊、また騒ぎを起こす白滝 

 あまりよそでは見かけない「ロイヤルクラウン・コーラ」をケース内に見つけた僕は、これにしようと決めて、良く冷えたその缶を手に取った。

 ところが、レジへ向かおうとする僕のシャツの裾を、後ろから引っ張る奴がいる。白滝だ。なぜかは知らないが、うっとりとした表情を浮かべていて、妙と言うか不気味である。

「なんだよ」

「一郎さん見ましたか、レジの子。ほら、あの右の方の」

 そう言われてレジのほうを見ると、小柄な女の子が大沢さんからお金を受け取っている。明るい茶色のショートヘアで、顔が小さい。

「似てるんですよ、みさきちゃんに。いや、背の高さはだいぶ違うし、みさきちゃんは黒髪ロングでもっと丸顔で色も白くて目も大きいんですが、それ以外は。いいなあ、かわいいなあ」

 そんだけ違ったら似てないだろと思いつつ、へえそうなのと、そのままそのレジに向かった。いちいち相手をしてはいられない。


 レジの前には猪熊がいたが、こちらも何だか様子がおかしい。ジーンズのポケットを、あちこち探っている。微笑みを浮かべてじっと待っているレジの子はなるほど結構かわいらしくて、みさきちゃんとやらに似てるのかどうかはともかく、白滝の言うことはわかる。

 あれ、とかおや、とかつぶやきながら、いつまで経ってもポケットをもぞもぞやっている猪熊に、僕はついにしびれを切らした。

「おい、早くしろよ」

「いや、それがですね、財布が見当たらないんですよ。おかしいな。大沢さんか、一郎さんのところにでも忘れてきたかな」

「車の中じゃないか? まあいい、ここはとりあえず俺が出しといてやるよ」

「おごりってことですか」

 そう言ってにやりと笑うひげ面に、ふざけるな後で返せと怒鳴りつけそうになったが、レジの女の子がにこにこ見ている手前そんなわけにもいかない。何も言わずに、二人分の代金をレジカウンターに置いた。お釣りを渡してくれる彼女の手が触れた時には何だか得をしたような気分になり、ケチくさい言動を控えて良かったなと思った。


 僕がレジで金を支払っている間、猪熊はポケットから携帯電話を取り出して、ディスプレイ画面を眺めていた。お前、人に金出させといて礼も言わずに携帯チェックかよ、と嫌味の一つも言おうとしたその瞬間、猪熊は店内に響き渡るような大声を出した。

「うおっ、やられた!」

 声に驚いて飛び上がりそうになった僕に、奴は携帯の画面を指さした。

「見てくださいよ、これ! 波州大の連中にしてやられました」

 それは同じバイト先で働いている、竹中という男からのメールだった。後ろに並んでいた白滝が、一緒にディスプレイをのぞき込む。


[やあ、猪熊くん。昨夜は俺の大事な「バルバロッサ」をぶんどってくれてどうもありがとう。しかし、君もなかなかに迂闊だ。うちのトイレのタンクの上に、財布を置いて帰るなんてね。哀れな財布は我々が丁重に、団栗浜どんぐりはまの砂の中に埋葬させてもらったよ。もしも彼女を救い出したければ、せいぜい頑張って探すこった。ざまあみろ。

*大ヒント 黄色の監視台 *]


「バルバロッサ?」

 僕は首を傾げた。

「そりゃあれです、テンピン号のことですよ、あいつはそんな名前で呼んでて。そんなことより、ひどいじゃないですか、竹中の奴。勝負で負けた癖に、逆恨みもいいところだ」

「でもさ、ちゃんとヒントもくれてるわけだし。親切じゃないか」

 白滝が無責任なことを言う。

「馬鹿言わないでくださいよ。どうするんですか、俺の財布」

 猪熊は悲鳴を上げる。

「竹中たちも、徹夜明けでわざわざ団栗浜まで財布を埋めに出掛けるのは大変だっただろう。敵ながらあっぱれ、波州大グループ」

 僕は重々しくうなずいて見せた。

「何でみんな連中の肩を持つんすか、おかしいでしょう」

「どうせ海に行くつもりだったんだ、団栗浜でいいじゃないか。ヒントもあるんだし、みんなで手分けして探せば何とか見つかるさ、きっと」

 さすがにからかってばかりでも気の毒なので、僕は猪熊をなだめた。

「まあ、それは助かりますが」

 しぶしぶ、という感じで彼はうなずいた。


 レジがまだの白滝を残して炎天下の店外へ出ると、大沢さんと阿倍野が車の前で待っていた。

「さあ、こうなったら急いで行きましょう」

 猪熊がさっそくキーを回す。例の太鼓風の音を立てて、エンジンが動き始めた。

「おい、白滝は?」

 大沢さんに言われて店内を振り返ると、白滝はレジの前に立って、例の店員の子と何やらしゃべっている様子である。携帯を手にしているところを見ると、番号を聞き出そうとしているのかも知れない。何やってんだと思いながら見ていると、奴は突然彼女の手を握った。女の子は小さな悲鳴を上げて、奴の手を振り払う。近くにいた男性店員が、大声を出して白滝につかみかかる。

「大変だ!」

 と僕は叫んだ。

「白滝の奴、また何かやらかしたぞ」

「おい、乗れ!」

 いつの間にか助手席に乗り込んでいた大沢さんがそう言いながら身を屈めて、シートの背もたれを前に倒した。僕と阿倍野は、狭い隙間をすり抜けるように、リアシートへ乗り込む。その時、コンビニのドアが開いて、白滝が走り出て来た。その後ろから、中年と若い男の二人の店員が追い掛けてくる。

「出せ! ずらかるぞ!」

 大沢さんが叫んだ。あんな騒ぎに関わっては大変だ。


 猪熊が即座にクラッチをつなぎ、アクセルを思い切り吹かす。大沢さんがドアを閉めるのと、テンピン号が走り出すのとはほとんど同時だった。見捨てられたことに気づいたらしい白滝が何やら叫んでいるが、エンジンの爆音で聞こえない。

 テンピン号はそのまま、空いた県道へと走り出た。「デイリーストア」の看板がはるか後方に見えなくなった辺りで、猪熊は「ふう」と大きなため息を付いて、額の汗を拭った。

「どうなったでしょうね、白滝の奴」

 と僕は後方を振り返って言った。

「知らん。自業自得だ」

 大沢さんが、冷たく言い放つ。

「とりあえず、一人減ったおかげでシートが広なったのは助かりますね」

 と、阿倍野もなかなか冷たい。


 僕は大沢さんと阿倍野に、猪熊の受難について説明した。大沢さんは「バルバロッサはないだろ、このボロ車に御大層な」と呆れ、阿倍野は「この時期の団栗浜はカップルだらけやろうなあ。むかつくなあ」と顔を曇らせる。やはりちっとも同情しようとしない二人の様子に、猪熊はまた「何でですか」と腹を立てた。しかしとにかく、四人で団栗浜へ赴いて、そのどこかに埋まっている財布を探してやろうということにはなった。

(#4「逆襲の白滝、背後に迫る怪物」へ続く)

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