第11話 七海さんちは『Seven Seas』

「こっちだよ」


 七海さんの先導に従い、オレと比良さんは水埜口駅のコンコースを歩いていた。

 オレたちは七海さんの誘いを受けて、彼女の実家であるレストラン『セブンシーズ』に向かっているところだ。


 写真を渡し損ねたことを思い出したのは教室に戻ってからだ。すぐに移動して部活紹介オリエンテーションに参加しなければならなかったので、ずるずると放課後まで気を揉んでしまった。あまり部活紹介が頭に入ってこなかったな。


 今日はさっさと家でリラックスしたかったので放課後に写真を渡して帰ろうとしたが、オレの腹が盛大に鳴った。

 作った人には悪いが、どうしても学食の食事を食べ切れなかったのだ。そりゃあ腹も減る。

 比良さんが慌てて自分のお腹を押さえたところを見ると、やはり彼女もお腹が空いているらしい。

 そんなオレたちを見かねて、七海さんは「これから時間あるなら、ウチに食べに来る? あんまり良くないけど、パパにサービスしてもらうよ」と誘ってくれたのだ。


 お弁当に入っている焼き魚を食べた比良さんがあれほど笑顔になっていたのだ。比良さんは即頷き、気になっていたオレも同意した。

 昼休みのアレコレを経て、わざわざ誘ってくれたのかもしれないと考えると、断る選択肢を選べなかったのもある。


 早速電車に飛び乗って、七海さんの後を付けている次第だ。


 まだ気まずさは残り香のようにまとわりついているが、目を合わせられないというほどではない。少しホッとしていた。


 途中で見つけたコンビニに、二人に断って寄っていく。

 サービスしてくれるとは言ってもあんまり頼るのも悪いだろう。財布の中身を確認して、一応諭吉を追加しておく。いつもなら電子マネーで支払ってしまうのだが、店によっては使えないところもあるし念のためだ。

 レジの前に置かれていたコンビニ限定の高級チョコレートをついでに買っていく。


「ごめん、お待たせ」

「これからおいしー料理食べに行くのに何を買ったのさ」

「手土産だよ。人の家にお邪魔するんだから必要だろ」

「えーっ、なにそれ、ずるい! 自分だけさらっとそういうことしちゃうの!? あたしも買ってくるから待ってて!」

「別にそういうのなくて大丈夫だよ」

「はるかが持ってくのに、あたしが持ってかないわけにもいかないでしょ! 負けちゃうよ!」

「負け……?」


 突然現れた勝ち負けの要素に七海さんは首を傾げた。

 比良さんはオレが買ったチョコの銘柄をふんふんと確認して、コンビニに突進していく。

 あっという間に戻ってきた比良さんは、鮭とばとポテトチップスを見せた。


「どーよ、この完璧なチョイスは!」

「なんで鮭とば?」

「おいしーじゃん」

「お酒のアテだね」


 手土産のセンスとしてはターゲットが年齢高めな比良さんについて話している内に、七海さんの実家が見えてきた。


 表には華やかなガーデンテラスがあり、弦草を纏う柵の向こうにオシャレなテーブルセットが設置されている。

 その脇に入口へと向かう小径があり、手前に看板が立て掛けられている。

 瀟洒な文体で『Seven Seas』と綴られており、店構えから予想される金額に気後れする。諭吉一枚でいけるのか?


「今はランチタイムも終わって空いてるはずだから」


 そう言ってさっさと進んでいく七海さん。

 比良さんと「ど、どうしよ……」「行くしかない」と勇気を掛け合い、後を追う。


「鮭とばなんか買ってくるんじゃなかった」


 それは今更な後悔だなあ。


 ちりーん、と涼やかな来訪を知らせるドアベルを鳴らしてお店にお邪魔する。

 入ってすぐに若いウェイターが寄ってくる。


「おかえり凪沙ちゃん。店の方から来るなんてどうしたの?」

「お疲れ様です、蓮沼さん。ママは手空いてますか? 友達を連れてきたので」

「ああ……、『Seven Seas』にようこそいらっしゃいませ。チーフを呼んで参りますので少々お待ちくださいませ」


 陰に隠れるように立っていたオレたちを認めるとウェイターさんはにこやかに言って、店の奥に戻っていった。


 しばらくして、七海さんによく似た女性がやってくる。

 七海さんを鋭くキリッとさせた感じだろうか。積み重ねたキャリアが滲み出ている。


「凪沙、おかえりなさい。そちらの二人がお友達?」

「ただいま。隣の席の比良奏さんと、前の席の七星遙くん。遙くんのお母さんが写真撮ってくれた人だよ」

「七星です。これ、簡単なものですけどどうぞ」

「比良奏といいます。よろしくお願いしまーす。これ鮭とばです」


 挨拶をして手土産を渡すと、どんな表情で受け取ればいいのか困った様子の七海母が残った。


「あ、ありがとう……。今度は気にしなくていいからね。凪沙の母です、ご来店、ありがとうございます」

「ママ、二人ともお昼ご飯を食べ損ねてるから、サービスで出してもいいものがあれば出してあげてほしいんだけど」

「あら……凪沙が作るんじゃないのね?」

「パパの料理を食べに来てもらっただけだから」


 七海さんはそう言って、オレたちに「こっち来て」と自ら席を案内する。

 七海母さんはその背中を見送り、オレと比良さんに向き直った。


「今日はゆっくりしていってね。七星くんには後で写真のお礼もさせてもらいたいし」

「いえ、そんな。写真撮ったウチの母も楽しんでいたので。七海さんはサービスするって言ってくれましたけど、ちゃんとお金払って食べたい気持ちもあるので、メニューも見せてもらえれば」

「えっと、あたしは千円しかないので、それで収まるメニューがあればなーって」


 遠慮がちに比良さんが言うと、七海母さんはからからと笑った。


「凪沙のお友達からそんないただけないわ。お金を払ってでも食べたいってなったら今度ご両親と食べに来てね」


 すぐに用意するから待っててね、と席につくのを促され、オレと比良さんは七海さんが立つテーブルの方に向かった。


 店の中は瀟洒な外見からは意外なほどシックな空間が広がっている。

 木目を活かした内装は上品さを担保しながらも、そっと心に暖かみを添えてくれる。自然派だ。

 森林浴に意義を見出しつつあるオレにとっては好ましいと言えよう。


「良いお店だな」

「ありがと」

「隠れ家的名店! ってテレビとかに出てきそうだよね」

「それ分かるわ」


 ひとしきり店を褒めると、七海さんは嬉しいのか悩ましいのか、表現に困る顔でスッと受けとめた。

 荷物を足元に用意された籠に入れ、


「……っと、忘れない内に今度こそ渡しておかないと」


 カバンの中から茶封筒を二つ取り出す。


 昼休みの後、汚れないようにカバンに戻しておいたのだ。オレはちょっとしたことですぐ汚れをつけてしまう癖があるようなので。

 厚い方を七海さんに、薄い方を比良さんに差し出す。


「これ、焦らしに焦らしたけど、入学式の時の写真。お母さんが印刷したけど、データも共有しておくから額に入れて飾りたいとかあれば業者に依頼して」

「わっ、ありがとー! はるかのお母上にもよろしくお伝えくださいまし」

「はいよ」

「こんなにたくさん印刷まで。申し訳ないな……、ありがとう」

「気にしなくていいよ。印刷までやったのはお母さんの趣味だし。中も確認してもらっていい? たぶんお母さんが加工とかもしてるはずだから。見本だと思ってさ」


 オレの言葉に二人は一斉に中の写真を検分し始めた。

 そして取り出した瞬間、同時に言葉を失う。


 気持ちは分からないでもない。下手すると写真屋で現像するより質があるからな。


「うわ……なんか……、すごくない……? 見本……?」

「これって……遙くんのお家で印刷したんだよね? お店の写真みたいだけど……」

「業務用に一歩劣るくらいの性能のプリンターがあるから。印刷紙の方は結構振るってるけど」


 そこらへんのスーパーに入ってるような店と比較したなら圧倒的にウチの方がレベルは高いだろうな。セミプロが我が家には二人いるわけだし。


「ガワがいくら良くても、中身が大事でしょ。写りが変とかある? そういうのはお母さんが弾いてると思うけど、混じってたら別のデータ印刷してくるし」

「そこまでしなくてへーきだから! データくれるなら、こっちでやるよ」


 手を突き出して制止のポーズを決める比良さん。七海さんも頷いているので、再印刷は別にいいか。


「そう? じゃあ『アドセル』でストレージ共有するわ。まだオレも確認してないから、ちょっと時間くれ」

「写真見させてもらってるから」


 二人が一枚一枚、写真をめくる仕事に移るのを見て、オレも『アドセル』を起動した。


 『アドセル』にはメインアカウントとサブアカウントのそれぞれに無料の機能が独立して紐付いている。使用者の判断で統合して使ったり、完全に個別のものとして扱うのも可能だ。

 オレの場合、メインは『七星遙』と連動させ、『熾光』は何もかもを完全に独立させている。電子マネーも別の名義で作っているくらいだ。


 今回は『七星遙』アカウントで使用しているクラウドストレージの機能を用いる。


 基本的に『アドセル』は全ての基本機能を無料で解放している。うざったい広告も滅多に出て来ない。

 では、どこでマネタイズしているかと言えば、月額課金制度だ。


 拡張機能を利用するにあたって、月額いくらの支払が必要となる。包括的なアップグレードでお得なサービスパックもあるし、ピンポイントで特定の機能だけを強化することも可能だ。子供の小遣いみたいな金額で解放できる項目も多いので使うか分からないけど一応やっておく、という人もいる。


 オレは、というよりウチの家族は言うまでもなく重課金の一家である。


 『アドセル』はスマホ・パソコン・タブレットを問わず利用可能な神アプリなので、写真などの画像データをとりあえずブチ込むのに最適なのだ。

 ストレージの主な課金要素は容量の増加であり、整理のできないオレたちは限界が来る度に課金額を増やしている。


 容量を確保するついでみたいに解放される拡張機能の一つに、ストレージの共有機能がある。

 制限や権限の設定も可能だが、細かくやると面倒くさい。


 グルーピングの機能を使い、オレと七海さん、比良さんのフレンドグループを作成する。この機能には課金していないので、メッセージチャットをグループ内で共有するだけのものだが、十分だ。


 七星家の共有ストレージ、お母さんがオレ関係のデータを保存する場所から該当のデータを探す。そのデータをコピーして、オレのストレージに作った真っ更なフォルダに入れておく。そのフォルダへのリンクをグループに貼り付けてやるだけだ。


 オレは念入りに今操作しているのが『七星遙』のアカウントであること、リンクを貼る場所が合っていること、そしてそのリンクから移動できるのは画像を入れたフォルダであることを確認した。

 オーケーだ。

 学びを得たオレは三度目の過ちを犯すつもりはない。

 トリプルチェックを超えて、フィフスチェックを終えたオレは満を持して二人にデータリンクを送信した。


「よし、リンクを送ったから後で確認しておいてくれ」


 オレがスマホから顔を上げて言っても、反応がなかった。


 七海さんも比良さんも、写真に見入っている。

 水を差すのも良くないかとオレはスマホに視線を戻した。『アドセル』内の、呟くように使える短文ウェブログ『ショーブログ』でチェックしている人たちから流れるタイムラインを眺める。


 ぽちぽちとコメントをしたり、返信したりしていると、芳しい香りが急速度でやってきた。

 しかしこの嗅ぎ慣れた香りは……。


「お待たせしたね」


 赤いボタンが印象的なコックコートを纏った男性が、皿を両手に持って現れたのだ。

 男性に気付いた二人も急いで写真を片付ける。


「僕がこの『Seven Seas』のシェフ、凪沙の父である七海航だ。そしてこれが僕好みのナポリタンだよ」

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