第15話
松井千里の元に一通のメールが届いた。
「今、あなたの友達である磯村美和について調べている。彼女は重大な秘密を抱えている。近いうちに天陽中学を訪ねる。男二人で行くから、見つけたら必ず声をかけてくれ。学校で会うのだから、もし変なことをしたら即刻バレる。だから、危険なことはしない。つまりあなたに危害を加えるつもりは全くないから、俺のことを信じてほしい。」
一度は迷惑メールとしてごみ箱行きにしたが、すぐに復元した。美和ちゃんの秘密? よくいる普通の陰キャのあの子に何が隠されているのか、彼女は気になり、メールの送り主に会うことにした。その予定は、誰にも伝えなかった。
確かに、千里に会いに来た人物の片方はずいぶん若かったし、もう一方の大人もヤンチャそうではあるが、悪い人には見えなかった。その場では、彼らは身分を明かさなかったが、後でもう一度、同じアドレスからメールが届いた。
「もし俺のことを信用してくれたなら、一つ頼みたいことがある。
今後、美和さんは過酷な出来事に直面することになる。その時には必ず彼女のそばにいて、彼女の支えになってくれ。
美和さんには、小学生の頃、二人の大切な人がいた。そのうちの一人はすでに死んだ。もう一方は失踪中だ。俺の調査がうまくいけば、その人物はじきに見つかる。その時が山場だ。美和さんのことをくれぐれも頼んだぞ。」
千里はこの文面を読んで、この人はもう一生かかわることはないと思った。美和ちゃんのことは、友達である私の方が探偵なんかよりもわかっている。友情を舐めないでほしい、と思った。
地下鉄に乗って移動する。新瑞橋で名城線に乗り換え、さらに大曽根から名鉄瀬戸線に乗り換えた。ここからは地下鉄ではなく、電車は地上を疾走する。栄で乗り換えればいいものを、わざわざ大曽根からにしたのは探偵の気まぐれなのだろうか。目的地に到着すると、白くて洒落た雰囲気のある建物が塀越しでも見えた。
昨日、やっと探偵からの依頼を果たした。教職員打ち合わせは生徒に内緒で不定期に行われるらしく、思いの外面倒な仕事だった。ランキングを盗撮する以前に、打ち合わせで皆が会議室にいるタイミングを狙うために、予定表を入手する必要があった。日直の仕事をわざわざ代わってもらって、日誌を担任のところに届ける時に、こっそり担任の机の中を拝見した。都合が良いことに、担任の席は職員室の一番奥にあって、人目につく心配はなかった。
ランキングなんか手に入れて、何に使うつもりだろう。どうやら僕の仕事ぶりを気に入ったようで、ツイッターだけでなくラインも交換してくれた。しかし、礼を言われただけで何の説明もないのだから、少し気になる。眼鏡女子からも聞いていた事件の話と、何か関係があるのだろうか。まあ、僕としては、美和さんを探し出してもらえればそれで満足だ。このことは、もう忘れようと思う。
ノースリーブの赤いユニフォームを着た五人の女子生徒が固まって歩いている。服の形から、あの中に松井千里がいることは間違いないだろう。バスケのユニフォームはノースリーブに膝丈のズボン、と相場が決まっている。
四人は正門の方へ行くようだ。一人だけこちらに近づいてくる。
「あ、あのう」
近づいてきた子が僕たちに話しかけた。
「おや、松井千里さん。俺が名探偵奥田晴嵐だ。よろしく。」
探偵は手を差し出したが松井さんは無視した。僕は彼の背後でクスリと笑った。
「美和ちゃんのことですよね。あの子は普通の日常を普通に送ってるだけですよ。いったい何がしたいんですか。」
「そうか、普通か。じゃあわざわざ足をのばしたのは無意味だったかもしれんな。」
「なぜこんなところまで来たんです? こんなところに男二人で来るなんて、体操服泥棒と間違われても知りませんよ。」
「どうしてわざわざこんなところまで来たのかについてはいつかわかることだから、今日は必要事項だけ。泥棒だと間違われそうになったら君が弁解してくれ。
最近の磯村美和さんの様子が知りたいんだ。何か変わったことはあるかい。」
「変わったことと言われましても、さっきも言ったように普通に学校来てるし、部活には全然行かないって言っても、それはいつも通りだし。あ、でも、とても下らないことだからたぶんお役に立てないとは思うんですが、一つ。」
「いや、ちょっと待ってください。学校、普通に来てるんですか。」
僕は口を挟んだ。
「ええ、来てますよ。」
「会わせてください! 学校に来てるんですよね⁉ それなら早く僕に会わせてください!」
「無理ですよ、どこの誰かもわからないあなたに。」
松井は怒った。
「僕は美和さんを心配しているんです。ただ彼女に会いたいだけなんです。」
「それなら、天陽中学校を頼らずに、自分で美和ちゃんの居場所を突き止めてくださいよ。私だって心配してるんです。毎日どこに帰ってるのかわからないんだから。
あなたが美和ちゃんにここを使って会おうとしたら、全力で私が阻止します。ここは変わっておりませんもの。」
松井はほとんど息継ぎをせずに話し続ける。
「本当にあなたにとって美和ちゃんが大切なら、私が心配しているのもわかるでしょう?
決してあなた方を信じるとは言いませんが、既に捜しているという行動は認めます。あなた方の力を、私は利用します、美和ちゃんのために。」
「やってやりますよ。」
「まあ、二人とも、信じるとか信じないとかは後にして、本題の話をしようじゃないか。
松井さん、それで変わったことというのは何だ。教えてくれ。」
「だから、たぶんお役に立つ話ではないですよ。初めに言っておきますが、期待なさらないでくださいね。
この間、駅前の本屋に寄ったら、美和ちゃんが雑誌を立ち読みしてたんですよ。女性向けのファッション誌です。あの子があんなに大人っぽい服に興味があるなんて、思いもよりませんでした。ちょっといい家の高校生とか、女子大生とかが着そうな服ばっかり載ってて、私も立ち読みはしたことがあるけど、熱心に読んだりはしません。あんな服、実際着るとなると勇気が要りますよ。それに、その雑誌は買わずに、難しそうなハードカバーの本をレジに持って行ったところは見ました。私がその店に入ったときに読んでるところを見て、その後チラッとレジの方に向かうのが見えただけなので、自信はないですけど。」
「なるほどな。」
「あと、テレビ雑誌を何冊もキープしていましたよ。全部来月からのドラマで主演する、名前なんだったかな。子供っぽい丸顔で毎週ニュースやってる人が表紙のやつでした。そんなに興味あるなら、難しい本なんて読まないで雑誌買っちゃえばいいのに。疎そうなのにファッション誌もテレビ誌もあんなに立ち読みして、そのくせ買わなかったら、さすがに不思議に思うでしょう。
あ、そうだそうだ。
「あけぼの……」
どこかで聞いたことがある気がするが、ピンとこなかった。
「まさかお前知らないのか。」
探偵は心底驚いたようだ。
「全然芸能人を知らないもので。」
「いくらなんでも曙を知らない奴はそう滅多にいないぞ。これを機に勉強した方がいいんじゃないか。」
探偵はスマホを操作し、僕に見せてきた。年の割には若々しく、輝きをまとった五人の中年の写真だった。
「不思議だと思いますよね。男子とか全く意識してなさそうなのに、まさか芸能人に恋してたなんて。だから服も大人っぽい感じを意識してたのかな。やけに真剣に読んでいたから、美和ちゃんはそんなにファッションに興味があるのかと思って、新たな一面を知った気になりました。でも、てっきりそれを買うものだと思っていたのに買わなかった。小難しい本なんか買っちゃって。結局美和ちゃんは美和ちゃんですね。」
「普段は、美和さんはお洒落な人なのか。」
「いいえ。とてもそうは思えません。ほら、あそこにいる子たちを見てください。みんな靴下の丈は短いでしょう。あれは足をきれいに見せたいから、ちょうどいい丈になるように、靴下を折って長さを調節しているんです。本当なら駄目なんですけど、みんなやってます。でも、美和ちゃんだけはしない。」
「やってることがちぐはぐだ。」
「あの、もういいですか。時間はあまりかからないと聞いていたから、友達を待たせてまして。今からハンバーガーを食べに行く約束をしてるんです。」
「ああ、全く構わないよ。今日はありがとう。」
「いえいえ、何のお役にも立てませんで。」
松井千里が去ると、探偵は早速僕に問いかけた。
「探偵助手一日目、どうだった?」
「感想なんて一つしかないですよ。ただただ疲れました。」
これは心の底から言える本音だ。
「曙くらい、知っとけよ。」
「分かりましたよ。覚えておけば良いんでしょう。」
「来週も調査だ。宿題は平日に済ませておけ。」
「そうですか、それは大変だな。いや、いいんです。せっかくの週末がなくなることくらいは、彼女のためですから。毎週毎週あなたと行動するのは、なんとも言えない気分ですけどね。」
言い終わると、スマホを開いた。曙を知らないということで小馬鹿にされた気がして、不愉快だった。覗き見ブロックを設定した上で、「曙」と検索した。その人気を示すかのごとく、ネットニュースがあれやこれやと書き立てていた。
帰り道、大曽根で探偵と別れ、僕は一人で学校へ向かった。探偵には忘れ物を取りに行くと伝えたが、それは嘘だ。
ラインで前原から呼び出された。僕が既読無視したせいで「俺を頼れ」の言葉のあとはなにも話していなかったが、突如メッセージが届いたのである。
(明日の夕方、学校の屋上に来い。話したいことがある。)
(本当に来るか来ないかはお前の自由。でも、俺はお前とあれっきりにするのは本望じゃない。)
僕は前原と会うことにした。
屋上に到着すると、前原は柵に寄りかかりながらコーラを飲んで待っていた。
「よう。久しぶり。」
「ケンカしてから初めて喋るのに、『よう』かよ。気に入らねえな。」
「お前の彼女のことで、話がしたいんだ。お前が眼鏡女子って呼んでる奥田さん、あの子に話を聞いたよ。ほら、奥田さんのお兄さんはこの学校のOBで、探偵をやってることで有名だろ。それで、詳しくその探偵業について聞いたんだ。」
「だから何?」
「俺が思うに、その探偵と絡むのは危険だ。瑞浪市知的障がい者連続殺人事件。あの有名な事件に絡んでるし、依頼者にそれの捜査の協力を代金代わりにやらせているそうじゃないか。お前も、捜査の協力してるのか。」
「してるさ。職員室に忍び込んで書類を盗んだりしたよ。」
「お前、鈍いな。どう考えてもおかしいぜ、その探偵。
瑞浪市で起きた昔のあの事件は、未解決だ。まだ終わっていないのかもしれない。探偵と一緒に、なんらかのトラブルに巻き込まれてもおかしくない。」
「今のところ大丈夫だ。
たださ、僕からも一つ言いたいことがあるんだけど。」
「何だ?」
「彼女、学校には普通に通ってるらしいんだ。でも会わせてもらえなかった。家から出て、どこから学校に通ってるのか突き止めて、会いに行くしかないみたいだ。」
「そうか。お前の決意は固いのか? 探偵と一緒になって彼女の居場所を探すんだな?」
「この先何が待っていようと、僕は彼女を探偵と協力して探す。」
「わかった。その言葉、決意表明として受け止めておくよ。
一つだけ理解しておいてほしいのは、俺は応援するが、完全にお前のことを理解したわけじゃない。お前が何か危険に巻き込まれるようなことがあれば、お前の決意がどんなに固くても、お前たちの捜査をやめさせるからな。」
「わかった。それでいい。」
「こうして普通に話したの、なんか久しぶりだな。俺は嬉しいよ。」
僕はフッと笑った。そして彼に背を向け、手を振りながら立ち去った。
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