夢幻花(むげんか)が実るとき

橘紫綺

第1話『悪夢に侵されて』


『もしも、皆が望んだとおりの夢を見られるとしたら、一体どんな夢を見たい?』



 さして広くもない穴倉の中。点々と灯る蝋燭の明かりが唯一の光源の中で、青年は自分をぐるりと取り囲んで座っている子供たちを見渡して、優しい声音で問い掛けた。

 年齢もばらばらな二十人ほどの子供たちは、皆、揃いの簡素な衣を着て、眼の下にくっきりと隈を浮かび上がらせながらも、こけた頬に笑みを浮かべて口々に囀った。

「ぼくね、おそらをとぶおうまさんにのって、いろんなところにいくゆめ!」

「わたしは、おひめさまになるゆめ!」

「ぼくは、おいしいもの、みんなとおなかいいっぱいたべるユメ!」

「う、うちは、シェキルさんのお話の中に出て来た色んなところを旅して、みたい、です」

「オレは絶対、悪者を倒す勇者の夢!」

「あたしは、お母さんと一緒に服屋さんをやっている夢」

「私は、昔のように皆と普通に暮らしていた頃の夢が見たい」

「あ、それわたしもみたい!」

「俺も見たい。死んじまった父さんや母さんと弟と」

「親友たちとまた遊びたい」

「それいい!! あたしも楽しい夢が見たい!!」

 あ、わたしも。オレも。と口々に子供たちが同意して盛り上がった時だった。

「馬っ鹿じゃねぇの! 見たい夢なんて見られるわけねえだろ。いい加減黙れようるせぇな!」

 その、怒りと憎しみの混じった痛烈な批判は、浮かれ切っていた穴倉の雰囲気を一変させた。

 ロイ――と、誰かが悲しげに名を呼べば、今にも泣きださんばかりの怒りの表情を浮かべた少年が、まっすぐに青年を睨み付けて立っていた。

「あんたも! なんでそんなこと訊いて来るんだよ! 見たい夢が見られるわけないのに!

あんたは知らないんだ! 俺たちがどんな夢を見るか! 俺たちが、毎晩どんな思いをして眠りにつくのか!」

ロイと、青年シェキルは呼びかける。

「俺たちはこのまま、二度とこの穴倉から出ることなく死んじまうって言うのに、なんでそんな無駄に希望を抱かせるようなこと言うんだよ!」

「やめてよ!」

 と、誰もが顔を背けて逃げ出してしまいたくなる現実を突き付けられ、子供たちの一人が悲鳴を上げた。

 それを皮切りに、外界と隔絶された穴倉の中に啜り泣きの声が響き渡った。

「嫌でも現実は怖いことしかないのに、少しぐらい楽しいこと考えて過ごしたっていいじゃない! なんでそんな意地悪言うの!」

「下手に現実逃避したって逃げられねぇからだろうが!」

「それでもまだ私たちは生きてるんだから、楽しいこと話して笑ったっていいじゃない! 

 それとも何? 長くないからってずっと泣いて暮らしてないといけないの?! 私たちは良い。でも、私たちより生きていないこの子たちまで、楽しい思いをさせずに終わりを待てって言うの?! どっちが酷いこと言ってるのよ!!」

 同年代の少女に泣きながら睨み付けられたロイが、ぐっと唇を噛み締めて身を引いた。

 誰もが不安げな、悲しげな眼でロイを見る。中には少女のように睨み付けるものもいた。

 味方を失ったロイは、今にも泣きださんばかりに顔を顰め、それでも泣いて堪るかとばかりに唇をしっかり噛み締めて、体を震わせながら睨み返す。

 青年シェキルは、子供たちを見て胸が締め付けられた。

 本来であれば、穴倉の中にいるような子供たちではない。

 青空の下、近場の草原で走りまわり、楽しげな歓声を上げていたはずだった。

 家の仕事を手伝い、家族と共に過ごし、恋をして結ばれて、幸せな家庭を築いていく未来があるはずだった。

 だが、事情は一変した。

 守護獣が、消えたのだ。

 国を守る守護獣。存在する限り、国の外からの災厄を防いでくれる絶対的存在。

 その守護獣の一体が攫われ、それを救い出すために片割れのもう一体が国を出て行って半年。それまでも時々潜り込んで来た《ナルメリア》と言う名の得体の知れない脅威が、ひっきりなしに入り込むようになっていた。

 元々、ナルメリアを討伐する組織はあった。

 しかし、ナルメリアの数があまりにも多かった。

 守護獣が消えたことで、守護獣の加護まで失い、本来の力が発揮できなかったことも原因の一つだったのかもしれない。

 それでも、物質化したナルメリアは物理力でどうにかできた。

 故に、守護獣によって生み出された武器を手に取り義勇兵として戦えるものは立ち上がった。

 語り部だったシェキルも義勇兵となった一人だった。

 初めは恐ろしかったが、打ち倒せないわけではないと知ってからは、何とか守護獣が戻るまで自分たちで国を守るんだと、互いに鼓舞して生きて来た。

 そんなある日、異変は起きた。

 今となっても『原因不明の病』としか言いようのない異変が。

 それは、伝染した。

 悪夢を見るのだ。

 悲鳴を上げて飛び起きるが、初めは内容を覚えてはいない。

 ただ、とにかく恐ろしい夢を見たということだけは覚えている。

 そんなことを言われても、誰もが守護獣を失った今の状況に対してのストレスによるものだと思って特別に気にしたりはしなかった。

 だから、誰も考えたりはしなかった。

 その悪夢のせいで死人が出るなど。

 まして、続出するなど。

 内容を覚えていなくとも、恐ろしい夢を日々見続け、十分な睡眠をとることが出来なくなった人々の眼の下にはくっきりと隈が浮かび、どんどん衰弱して行った。

 そして、初めに悪夢を見てから平均して九日後。突然他には見えないモノに怯え、発狂し、暴走し、悲惨な最期を迎えるようになったのだ。

 人々はそんな事件が立て続けに起きたことで、ようやく異常な事態だと認識した。

 だとしても、対処法が解らなかった。

 老若男女関係なく、それは起きた。

 外から攻めて来るナルメリアに、内から攻められる悪夢が引き起こす災い。

 国民は戦々恐々となった。

 実際に、夢に人が殺せるのかという声はあった。

 だが、他に原因があるとも思えなかった。考えるだけの余裕が人々から消えていたのだ。

 悪夢を見たものの傍にいれば自分にも移る。

 人々は、たとえ身内であったとしても、悪夢によって叫び目覚めるものたちから距離を取った。

 そんな中、語り部たちが立ち上がった。

 発症した者たちだけを一つ所に集め、少しでも心の負担を軽くさせ、悪夢を見ずに済むようにと、隔離して閉じ込めることが逆効果だということは百も承知で感染者を集めた。

 それが功を奏したのか、何もせずに悪夢に苛まれて行った人々の存命日数より、遥かに最悪の事態を引き起こす日数は稼げていた。

 だが、シェキルは思ったのだ。

 初めこそ怯えていただけの子供たちが、衰弱しているように見えても明るく笑っている姿を見て、何と痛々しい姿かと。

 悪夢を完全に消し去り、『病』から完全に開放してやることもできず、ただズルズルと命を長らえさせることが本当に良いことなのかと。

 今のところ、完全に悪夢から解放されたものはいない。

 結末は必ず一つで。時間の差がありはするが、結局は誰も救われていないのだということは、子供たちだって解っていた。

 解かっていて、楽しんで見せるのだ。

 これほど苦しいことはない。居た堪れないことはない。見ていて辛いことはない。

 だからこそ、シェキルの中に一つの想いが芽生えていたのだ。

 もしも、望みの夢を見ることができたなら。

 死へ誘う悪夢を見ずに、眠ることに恐怖を抱かずに済む方法があるのだとしたら。

「なあ、皆。もしも本当に望みの夢を見る方法があったとしたら、君たちは信じるかい?」

 無言で睨み合いをする子供たちに向かって、シェキルは意を決して問い掛けた。

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