第六話 墓守

 丘の上にゆっくりと棺を置くと、立っていた男性が棺の前に膝をついた。

「……中を見てもいいだろうか」

 突然の申し出に、ヴェーチルは咄嗟に身を固くした。

「その前に、あなたのことを教えてもらえませんか」

 毅然とした態度でヴェーチルが訊くと、男性は我に返ったように慌てて立ち上がった。その動きはどこか挙動不審であり、目を上下左右に泳がせながら口を開く。

「も、申し訳ありません。私は、ここで墓守をしています。その……フロールが帰ってくる日を待っていまして」


 ヴェーチルはその言葉の内容に違和感を覚えた。村の人々が立ち入らないネルソン村のアマリウスの丘の上で、わざわざ墓守をする男。そして、何よりここがフロールの墓であることを知っている人物。


 ヴェーチルがルーアにそっと確認する。

「ネルソン村の人はここに来ないんだよね……?」

 ルーアは自身なさげに頷いた。

「たぶん、そうだと思う。もちろん、ヴァレンヌさんの家の人が来ている可能性は否定できないけど」

 男性は困ったように目を逸らす。

「私は村の人間ではありません。その、村のそういった事情はちょっと分からなくて……」

 ヴェーチルとルーアが顔を見合わせて不安げな表情を浮かべた。その様子を見かねたレーンが横から口を開く。

「あの。あなたは、死者ですか?」

 質問は直球だったが、男性は特に動じることもなく、当たり前のように頷いた。だが、その顔はすぐに暗く落ち込んでいった。

「……どうやら、そうなってしまったらしいですね。こんなことになるなんて、思ってもいなくて」


 彼の発する言葉に違和感があった。会話が噛み合っているようで、どこか噛み合っていない。

 おっとりした雰囲気の男性で、垂れ目がより優しい印象を与えているが、どこか得体の知れない空気を纏っている。例えるならば、ウェリティに近しい雰囲気だ。


「あなたの名前は……」

 ヴェーチルが訊くと、男性の柔らかな表情に諦めの感情が上塗りされた。息を整えてから、数秒の沈黙を経て言葉を発した。

「私は、アンドラ・ブラシェールと申します」


 ここに居合わせた全員の動作が固まった。ただ呆然と男性の姿を見ながら、状況判断すらできずに立ち尽くしていた。穏やかな顔つきで、物腰が柔らかく、身につけている衣服はボロ布にも近しい薄茶の服だけ。

 誰もが驚きを隠すことができなかった。この目の前にいる人物が、アンドラ王だという事実に――。


「……名乗ったのは死んでから初めてです。自己紹介の仕方……いえ、会話の仕方すら忘れかけていました。皆さんに感謝しなければ」

 感謝と言いつつ、その顔は暗く落ち込んでいる。ヴェーチルは小さく咳払いをすると、呟くように口を開いた。

「聞きたいことは、たくさんあります。でも、あなたにまず聞いておかなければならないことは……」

「……何でしょう」

「どうしてこの街に、死者がいるんですか?」

 重要なことだった。これまでウェリティやアルジントと調べてきたことが、これで解決するかもしれないのだ。真実を知るための手段は、おそらくこれしかない。


 アンドラ王はヴェーチルの質問を真っ直ぐに受け止めていた。伏せ目がちに話を始める。

「……私は、神にあることを願ったんです。随分と昔、フロールと出会った頃に。私はずっと疑問を持っていたんです。『どうして人の命は平等じゃないのか。真っ当に生きてきた人間が、どうして重罪を犯した人間より早く死ぬことになるのか。死が訪れることは誰しも平等に与えられているのに、どうしてそのタイミングは不平等なのか』。私は神に祈り、伝えたのです……」

 そこまで言うと、アンドラ王は顔をぐっと歪めた。

「そして、神は私の祈りを聞いてくれました。死ぬ時は生まれた時に定められたものだから変えることはできない……、でも神は救いを与えてくださった。それがこの結果です。真剣に死と向き合って生きた人間、そして死を恐れず真っ直ぐに生きた人間に、神は二度目の生を与えたんです」


 ここまで聞いたヴェーチルは、思いのほか冷静な頭でアンドラ王の言葉を理解していた。

「でも、与えられたのは死者としての生です。普通の生とは違います」

「そう。それが、私にとって人生最大の過ちでした。願ってはいけないことを神に祈ってしまったのだと知った……」

 アンドラ王はその場に頽れるように両膝をつくと、震える手で顔を覆った。


 誰にも彼を責めることはできなかった。その願いは、誰しもが心の中で一度は考えてしまうような、普通のことなのだ。これが何の権力も持たない子供の願い事だったなら、神は叶えただろうか。

 願いの主がアンドラ王だったからこそ、この死者という悪夢が起こってしまったのだ。それでも、人間であるアンドラ王に、何も願うなと言う権利は誰も持たない。

 

「ねえ、棺の中、見せる?」

 沈黙を破るようにジェインが訊いた。レーンの反応も確認したうえでヴェーチルが頷く。


 棺に被せられた白い布が軽やかに取り払われて、透明なケースの中に横たわって眠る少女が姿を現した。


 それを目にしたアンドラ王は、ただ静かに俯いて、一切の声を上げることなく涙をこぼした。


「……本当に申し訳ないことをした。私が他の王族をもっと強く牽制できていれば……」


 アンドラ王の短い言葉に込められた思いを想像すると、ヴェーチルは涙腺を抑えることで精一杯だった。レーンは騎士らしく毅然と立っているようでありながら、その目にはぐっと堪えるように涙を浮かべている。


 アンドラ王が掠れる声で再び話を始めた。

「……この際なので、皆さんに話しておきましょう。墓荒らしと死者は、何ら関係がない。王がマルサス家と組んで、意図的に死者を蘇らせたわけでもない。彼らは、私の唱える平等を、ただ憎んでいた。死者を生み出したのは……すべて私の責任だ……」

 心身ともに弱った王を目の前にして、ジェインが辛辣な疑問をぶつけた。

「アンドラ王にそう思わせることが、マルサス家と組んだ王族たちの狙いだったとは思わないんですか? 責任感のある王に、すべてを押し付けたように見えます」

 アンドラ王は深く傷付いたような顔をした。

「え……?」

 その純粋な反応を見て、ジェインが悔しそうに頬を膨らませる。

「ほら。誰かの罪でさえ、自分のせいだって思ってしまうような人間なんだ……。だから、つけ込まれたんだ……」


 アンドラ王は人柄を利用されて、その他王族に騙された。すべては自分の責任だと感じてしまうような善人だからこそ、悪意のある人間に利用された。

 王族はマルサス家を利用して墓荒らしを行い、アンドラ王を苦しめたことで、神が死者を生み出す結果に繋がったのだ。

 同時に、マルサス家も実績を経てのし上がろうとした。だが、その責任を王もマルサス家も互いに持つことはなく、死人であるアンドラ王に押し付けたのだ。


「あなたが生きていたら、何かが変わっていたのでしょうか」

 ヴェーチルがつぶやくように言った。

「どうだろうか……。私はフロールの死を知り、何も考えられなかった。気がついたら……死んでいた。王として、本当に無責任だったと思う……」

「それは違いますよ」

「どうして?」

 アンドラ王が驚いて顔を上げる。

「あなたの祈りは報われて当然です。もちろん、我々みたいに死者になって苦しい思いをした人も、たくさん……本当にたくさんいましたが……。でも、きっとフロールさんがこの地に眠ったら、死者の悪夢も消えます。あなたが死者の解放を願ってくださるなら」

「もちろん願いたい。……ただ、これからの未来はどうなるのでしょう? やはり王によって平等な世の中は失われてしまうのか……」

 がくりと肩を落とすアンドラ王に、今度はジェインが口を開いた。

「それなら大丈夫。僕がダンベルグ教会を継ぐ。ルーフェス旧市街は、王だけでは成り立たない。教会の力も必要です。僕はもっと街を平等にしていきたい……ベル・ストリートだって、アンドラ王が統治していた頃の生活水準――それ以上に戻します」


 強く言い切った少年の姿に、ヴェーチルはじんと胸が熱くなった。ベル・ストリートで暮らしてきた人間にとって、この言葉は何よりも強く沁みるものがある。


 ジェインは軽く咳払いをすると、言葉を付け加えた。

「も、もちろん今は騎士団学校に通う。でも、誰かが教会を守らなきゃいけないなら、それは僕がやるべきだから」

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