第二話 死者について

 ルーアとウェリティが会話を交わしているなか、研究室のカフェ側の扉がノックもなく開いた。

 やって来た人物を見て、ウェリティがにこやかに手を振る。


「あら、アルジント。こんにちは。今ちょうど、ルーアに死者の話をしていたところだったのよ」

「何の話だ?」

 相変わらずの冷淡な口調である。

 そんな彼に対して、ウェリティは楽しそうに質問を投げた。

「『なぜ死者がこの街にいるのか』。あなたは分かる?」

 アルジントは二回まばたきをすると、考えることをあっさりと放棄した。

「分かるわけがないだろう」


 ウェリティは少々いたずらっぽく微笑んだ。

 そのまま表情を変えずに、ルーアに向き直って話を続ける。


「前に書物をくれた牧師さんの話をしたと思うんだけど、実は私が死者になる前に出会った人でね。調べ事をするために色んな図書館へ通っていた時に手渡されたの。それほど会話も交わさず、当時はよく分からないまま受け取ってしまったけど、中を開いたら本当に驚いた。――だって、私が研究していた死者について書かれていたんだもの」


「じゃあ、その牧師さんが全てを知っているんですね?」


 ルーアは自分でも驚くほどウェリティの話に興味深く聞き入っていた。

 いつもの定位置に座ったアルジントも、腰を下ろしてウェリティの話に黙って耳を傾けている。


「そうね、あの牧師さんが死者について詳しく知っている可能性は高いでしょうね」

「……だが、その人が今どこにいるか分からないんだろう?」

 アルジントが会話に割り込むと、ウェリティは困った表情で頷いた。

「それが問題なのよね。もう引退されたのか、教会にはいないみたいだし」

「ああ、この街の教会なら全て当たったから間違いないだろうな」

 アルジントは長いまつ毛を静かに伏せると、溜め息をついた。


 ルーフェス旧市街の教会をすべて探したということは、今は八方塞がりということになる。


「もうこれ以上の策はないんでしょうか……」

 ルーアには妙案など持ち合わせていなかったが、言わずにはいられなかった。


 アルジントは目を細く開けて薄笑いを浮かべる。

「そうだな、じゃあ方法を探す前に。……新入り死者の君は、今何を知りたい? 死者がこの街に存在する理由か? それとも自分が死者になった理由? 自分の死因?」

 こうも連続して質問されると、気が滅入りそうになる。

「そ、それは全て知りたいけど、知りたくもないような……」

「まあ、知っただけでは解決にはならないしな」

「解決?」

「そうだ。僕たちが晴れて神の赦しを得て、その国へ行くこと。――すなわち最終目的だ」


「人は死んだら神の国へ行く」ことは、この国の人間であれば小さな頃から身に染み込むように教えられる。

 ただ、罪人は裁きを受けて、赦しを得られない限りは神の国へ行くことができない。それもまた、この街に住む者なら子供でも知っていることだ。


 死後、この世に留まっているということは神の赦しを得られていないことと同意。つまり、ごく単純に考えるならば、死者になった自分たちにはがあるのだ。


「私は悪いことなんてしていないのに」


 ルーアの口から、自分でも意図しない言葉が飛び出した。まるで文句を垂れる幼い子のように。


 アルジントが小さく鼻を鳴らす。

「当たり前だ。むろん僕たちは被害者だ。それなのに、悪夢のように中途半端に生かされているわけだ」

「ええ。神様が神の国へ送るべき人を間違えてしまったのかも」

 ウェリティの言葉に、ルーアは心の中で絶句した。

 そんなことで死者にされたのなら、正直たまったものではない。


「ほら、神の統率力が歪んでいるときは不浄なものも入りやすくなると言うでしょう? 色々と心配はあるけれど、私たちがここにいるという事実は変わらない。本当の意味で死ぬことができる日を、一刻も早く迎えたいわね」

 ウェリティは夢見る少女のような顔で、無機質な天井を見上げた。


 それを見て、アルジントは小さく肩を竦める。

「それしか解決の道がないからな。自然の摂理として、多くの生きている人間は、漠然と死と神の国をイコールだと感じているだろう。……だが、僕たち死者は、それが必ずしもイコールではないことを知っている」


 自らの死を知った後、また死ななければならないことに、ルーアは頭で理解していても心の整理が追いつかなかった。

 何をしても生き返ることはないのだから、自分の気持ちが本当の意味で晴れることはない。


「僕たちは最終目的として神の国へ行かなければならない。それがを意味する。そのためには、まず死者について知ることが必要になるわけだ」



 ウェリティは机上に複数の書物を開きながら、書物の読み比べを始めようとしていた。

「――ねえ、アルジント。私たち以外にも死者がいるのは、理屈として分かるわよね?」

 視線を書物に向けたままウェリティが訊ねる。

「もちろんだ」

「でも、多くの人は自分が死者であることを知らないはず。少なくとも、ルーアのように生活に支障がなければ」


 ルーアはぴくりと反応した。

 自分は彼らに声をかけてもらえたが、そうでなければ何年経っても真実を知ることはなかったのだろう。

「もし自分が死者であることを知らない人はどうなるんでしょう……?」


 くるりと振り返ったウェリティの顔が、美しくも冷たく感じた。

「ある日突然、誰からも姿を認識されなくなって、『ああ自分は死んでいたのか』と思うでしょうね」


 まるで他人のことは無関心だとでも言うようなウェリティの言葉に、アルジントが不謹慎にも冷笑を浮かべた。


「随分とあっさりだな。自分からは声をかけるつもりはないと?」

「そうね。すべての人に『あなたは死者です』とは言ってあげられないもの」

「なら、ヴェーチルがルーアを誘った行動はどう見ている?」

 ウェリティはため息をつきながら、首を横に振った。

「私はそれを偶然とは思わないのよ」

「へえ。じゃあ、僕たちがこうして出会ったのは、全て何者かによって仕組まれたことだと?」

「そうね。神のような何者かが、私たちを引き合わせたのかもしれない。……私が書物を譲り受けたことを発端に、アルジントと出会った。そしてヴェーチルやルーアと出会った。こんな偶然、あり得る?」


 今ここで、その問いに答えられる者はいなかった。

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