第31話 王都ルナル、そのいつもと違う朝
ああ、そういえばメイナードの奴にまだ礼も言ってねえや。
こうなると知ってたら、着いた時に言っとけばよかったな。
あばよ、クソ騎士、とでも。
「……それで。裁判には間に合うのか?」
「わかりません」
メイドの答えは明瞭だった。
つまりは、余裕ができたとしてギリギリなんだろう。
「到着までは、まだ時間があります。今はもう少しお休みになってください」
「ああ……」
「姫様は、最後まで、あなたに護衛をお願いすると仰せです。
駅前に馬を用意するようにと」
……馬。
また乗るのかよ、あれに。
一生分くらい乗ったんだけど。
「俺、もう尻の皮がずる剥けなんだけど」
「薬を塗って差し上げましょうか」
「真面目な顔のまま言うの、やめてくんねえかな」
俺は、そのままベッドに倒れこんだ。
目を閉じると、また闇がおりてくる。
それでもさっきとは違い、風の音も何も聞こえない穏やかな闇だった。
少なくとも今は、間に合ったのだという安堵で。
◇
流れる景色は、朝焼けの金色に彩られて眩しいばかりだった。
窓の外には豊かだと噂の王都の姿が、鮮やかだ。
白が基調の建物が立ち並び、その間を縦横に水路が通り、緑が濃い。
乾ききった荒れ地しか知らない俺にとっては、御伽噺の国に来たような心地しかしない。
身支度を終え、いつものようにホルスターに銃を突っ込む。
部屋を出ると、メイドたちが忙しそうに立ち働いていた。
「お目覚めですか。朝食はどうなさいます?」
昨夜のメイドが気づいて、こちらに歩み寄る。
俺は肩をすくめて笑った。
「また馬に乗るんだろ。吐いちまいそうなんで遠慮しとくわ」
メイドは頷いて下がった。
別のメイドが姫様のお召しですと言って、先に立った。
俺はちらと窓の外へ一瞥投げて、部屋を後にする。
案内された主賓室では、すでに身支度を終えた姫さんとドチビが待っていた。
姫さんはいつものドレス姿ではなく、昨日、俺が着せられていたウェストブルック海軍のものだという軍服の女性用らしいものを着ている。
細身の姫さんに、それは随分重たそうに見えて、どこか痛々しい。
左手には包帯が巻かれたままで、その白さが妙に目を引いた。
「ダーク。よく眠れましたか」
「夢も見なかったよ」
俺が軽く返すと、姫さんはいつもみたいに微笑った。
昨夜の出来事が嘘のようだ。
「お疲れだとは思いますが。最後までお付き合いをお願いします」
姫さんが言うのへ、俺は頷いた。
返事なんて、決まってる。
「どこまででも」
姫さんはどこか朗らかに笑った。
開き直ったとでも言うべきか。
手は尽くした。
ここからは運がものを言う。
なら笑って、運を呼び込むしかない。
「ここまでついてきてくださったこと、感謝しています」
「それは、無事についてから言えよ。
……その手で馬なんか乗れるのか?」
訊ねると、姫さんは少し苦笑する。
ドチビが心得たように俺に頷く。
「手綱はダークに、お願いします。リィが前を先導してくれる手筈です。
時止めの魔道が効いていますので、あと五時間ほどは怪我はこのままの状態を維持できます。痛みはありません」
「……結局、余裕はほとんどないんだな?」
「先行の便に乗れたことで、僅かばかり間に合う可能性が出てきた、くらいに考えた方がいいかと」
「そうか」
それ以上は、なんだか言葉が出てこなかった。
終わるんだ。この旅が。
たった七日間の、旅。
だが俺が今まで無為に生きてきた時間の、どれより濃かった気がする。
窓の外を流れる風景が、少しずつゆっくりになりはじめた。
それが合図のように、姫さんが言う。
「それでは、参りましょうか」
凛と言い放たれた言葉に、俺とドチビは揃って頷いた。
◇
しゅう、と圧縮された空気が抜ける音たてて、扉が開く。
その瞬間を待ちかねたように、人々は列車を降りる。
俺たちは誰より先に、解き放たれた弾丸のようにホームを横切った。
階段を駆け下り、混むと噂の朝の時間の駅を駆け抜ける。
その障害を覚悟していたが、拍子抜けするほど構内に人の姿はほとんどなかった。
不思議には思うが、ありがたい。
先導のメイドについて走りながら、ちらと周囲に視線をやる。
疎らな人は避ける必要もなく、ほとんど直線で駅出口へと向かう。
王都の空気は心地よい程度に含まれた湿気で、呼吸が楽だ。
ホームから駅を出る、大きな階段。
静まり返った構内に、俺たちの足音だけが響く。
なんだ、この違和感──。
これが王都?
階段下までたどりつき、前を見た俺は走りながらも見えた光景に呆然とした。
なんだ、これ。
広く、見上げるほど広く取られた駅の出入り口。
ホール状になったそこを抜ければ、大きな通りが街中へと続いているのが見える。
朝は、市場へ急ぐ荷車や馬車でごった返すと聞いていた、道。
そこには王立騎士団の軍服を着た騎士たちが、整列している。
通りに出るすべての道を封鎖して。
「……!?」
「これは……、いったい……」
その俺たちに駆け寄る男がいた。
「姫様……!」
男は叫んで何かの紙切れを、御大層な台に捧げ持って姫さんへと差し出している。
姫様、と呼ぶからにはウェストブルック家の使用人なんだろう。
「陛下よりの書状でございます!」
「陛下からの……?」
あんまり意外な名前が出てきたので、俺は一瞬だけ足を止めた。
姫さんは書状を受け取り、走りながら開いて一読する。
そして大きく双眸を瞠り、それからその書状を胸元に抱きしめるようにした。
「……陛下……!!」
「馬はこちらに」
男が先導を代わる。
おそらくウェストブルック家の執事か何かなんだろうが、俺には分からない。
何が起こってるんだか、それも分からない。
「姫さん……何が……」
「陛下が、道を作ってくださいました。
──行きます!」
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