44 : Lynn

「あ、あ、あたしは信じるよッ!」


 とペトラが震える声で言った。

 そちらに目をやって驚く。

 ペトラは泣いていた。

 始めて見たペトラの泣き顔は、ちょっと引くくらいボロボロだった。


「…………なんでペトラが泣いてんの」


 あと、もう一つ気になるのが………


「それと、ヘルマンニの顔、どうしたのそれ」

「いやまぁ、ちょっとな」


 泣いているペトラの横で、困ったように笑うヘルマンニの目の周りは、盛大に腫れている。ちょうどマンガで出てくる誇張表現で目の周りに輪っかが書かれることがあるが、あんな感じ––––。


(そういえば)

(ヴィーゴさんの––––『伝令者ヘラルド』って言ったっけ、会話中に不穏な音が聞こえてきたっけ)


 ペトラの『投石機トレバシェット』は、衝撃の位置をずらす技術だ。

 魔術の才能が多くないペトラは、努力で手に入れられる力で仲間に追いつこうとしたという。

 あたしはてっきり、ぶつかった瞬間のインパクトを若干奥へずらすだけの技術だと思っていたが(少なくともニコの使っているのはそういう技術だ)、実のところは衝撃を拳より遠くにずらし、手が届かない相手だって殴ることができるいわば飛び道具だ。その威力は『魔の森』であたしが身を持って体験した通りである。

 だが、代償と言って良いのかわからないが、インパクトをずらすたびにお寺の鐘を突いたみたいな金属的な重低音があたりに響く。ペトラを以て「隠密行動に向かない」と言わしめたデメリットだ。


(で、何でか知らないけどヘルマンニはそれでぶん殴られたわけね)

(本気で殴られたら人間の頭なんてひとたまりもないんだから、極限まで手加減してたんだろうけど)


 でも、何でヘルマンニがペトラに殴られているのか。

 そのペトラは、ハンカチを顔に当てながらオンオン泣いてるし……。


「泣かないで、ペトラ」

「泣かせておくれよ、リン……あたしは、あたしはね、ハイジの生き様が気に入らなくて、我慢ならなくて、ずっと辛くてしょうがなかったんだよ」


 うおぉおーん、と女性とは思えない声で泣くペトラに、あたしはつい笑いそうになる。


「ペトラ、優しいもんね」

「こ、このバカ男は、ずっと痛いのを我慢して生きていたんだっ! だから、あたしは……あたしが痛み止めになってやりたかったんだ。でも、あたしには出来なかった! 無理だったんだよ!」

「うん、うん」


 ペトラに抱きついて、背中をポンポンする。

 ていうか、身長差がありすぎて、子どもが大人に抱きついてるみたいになっているが……。

 ついでに、革鎧を外した胸に顔が埋まる。


(ふわっふわだ……)

(おっぱい、おっきいなぁ)


「……変なこと考えてないかい?」

「考えてない」


 ギュッと抱きつく。


「ハイジがバカでごめんね。ペトラ、ありがとう」

「こちらこそだよ、リン。あたしに出来なかったことを、あんたはやってのけた」


 誇りなさい、とペトラは言うが、それはちょっと難しいかもしれない。


「……この有様ですし、誇るのはちょっと」

「そう言えば、あんた、角はともかく、目がちょっと怖いね」

「あとでハイジが甘やかしてくれたら、多分治るよ」


 そう言うと、ペトラはブハッと笑い出し、笑いながらがまた泣き始めた。


「泣き虫だ」

「うるさいね……あたしだって思いっきり泣きたいことくらいある。なんせ、二十年以上かけて、ようやく失恋出来たんだから」


 そう言って、ペトラはあたしの頭をなでた。


「……ペトラ、ハイジのこと好きだったんだよね」

「ああ。おかげでこんな歳まで独身さね。でも、ようやく安心できたよ」


 ペトラはもうすぐ四十だ。十代で結婚するのが当たり前のこの世界では嫁き遅れどころの話ではない。

 それでも、ペトラは何時も男たちの注目を集めている。そのきっぷの良さや優しさ、ついでにいうとまるまると太っていても、とにかくチャーミングなのだ。


(そう言えば、ペトラが元祖・麗しの戦乙女なんだっけ)


 そんなわけで、ペトラは今でも魅力的な女性だと思うのだ。

 女だからそう思うだけでなく、ペトラ目当ての男客が大量に押し寄せてきていることからもそれはよく分かる。

 だからあたしは言った。


「何言ってんのよ、今からでも遅くないじゃない」

「そうかい?」

「うん、ペトラは可愛いよ。あたし、将来はペトラみたいになりたいんだ」


 あたしの言葉に、ペトラがくすくすと悪戯に笑い、ヘルマンニに向って言った。


「だとさ。ヘルマンニ」

「あー、まぁ、リンのお墨付きってことだな」


(? なんでここでヘルマンニ?)


「リンよぅ、おれとペトラなんだけどよ。結婚することにした」

「…………………………………………………は?」

「本当だよ、リン。まぁ、こいつが言い寄ってくるのは今に始まったことじゃなかったんだけどね。ほだされたってわけじゃ……」

「うそぉーーーーーーーーっ!!」


 ニコがヤーコブに持っていかれた時依頼の衝撃!!


「え、ヘルマンニ? 本当に? 嘘じゃなく?」

「なんだよ、おれじゃ文句あるってか」

「あるに決まってんでしょぉーーーー?! ええっ、うそ、ショックだ!」


 頭を抱えてギャーギャー言っていると、ハイジに「落ち着け」と軽くげんこつを落とされた。


「な、何がどうしてそうなったの?」

「どうなったというか……あたしもちゃんと失恋できないまま次の男へってわけにゃいかなかったんだよ。それは相手にも、自分に対して不誠実だろ?」

「そうじゃなくて、なぜヘルマンニなのかを訊きたいだけど!」


 あたしの反応が面白かったのか、ペトラが可笑しそうに笑う。

 くそー、色っぽいなぁ、これがヘルマンニのものになるのか……。


「ヘルマンニも同じだよ。を見て、それでも待っててくれたんだ。これに応えなきゃ、女が廃るだろ?」


 ペトラがそう言うと、ヴィーゴがフンと鼻を鳴らした。


「ペトラ、お前ヘルマンニが死ぬかもしれないってなった瞬間にパニックになってただろうが。言い寄られて折れたみたいな言い方ができる立場か」

「おっ、おまっ! ヨーコ、いらないことを言うんじゃないよ!?」

「リン。お前とハイジの出し物は退屈だったが、こいつらのはなかなか見ものだったぞ。パニック状態のペトラをヘルマンニが慰めてな、『おれはどこにも行かねぇから、心配するな』だったか? ペトラもそれを聞いて」

「ヨォーーーーコォーーーーー!?」


(はぁ……あほらし)


「要するに、ヘルマンニが死ぬかもって状況で、ペトラが素直になった、ってだけなのね」

「ま、そういうことだな」


 真っ赤になったペトラと、ヘルマンニを見る。

 ……ヘルマンニは相変わらずの苦笑である。

 ペトラはヴィーゴを睨んでいるけれど、まぁ、じゃれ合いの範疇だろう。


「で、なんでヘルマンニの顔が痣だらけなの?」

「……結婚しよう、って話になったその舌の根も乾かぬうちに、ヘルマンニがあんたを口説いてたからだよ」

「あれかぁ」


 あんなの明らかに冗談だろうに、ペトラってばひょっとして嫉妬深いタイプなのかも。


「ヘルマンニ、冗談も大概にしないと。女遊びも控えなさいよ」

「へいへい。つか、遊んでねぇっての。リンも知ってるだろうが」

「まぁね」


 ギルドの独身男たちは金が入るたびに娼婦のお姉さんを連れ回していたが、ヘルマンニにその様子はなかった。

 興味がないわけではなく、ペトラがいるから我慢してただけだろうけど。


「まぁ、ちょっと気に入らないけど、お似合いだよ。おめでとう、ペトラ、ヘルマンニ」


 わざと投げやり気味にパチパチと拍手をしてやる。


「そういや、ニコがなんて言うかな。ペトラはお母さん代わりなわけでしょ?」

「ニコのほうは問題ないね。ヘルマンニには懐いてるし。それよりヤーコブかね」


 んー、ここでなぜあの不良少年の名前が出てくるのだ。


「ヤーコブ? なんで?」

「ニコとヤーコブが結婚するのは聞いたかい?」

「うん」

「金が貯まるまではうちに住む予定なんだけど、ヘルマンニがふざけてニコを口説くもんだから、ヤーコブが警戒しちゃってね」

「ヘルマンニ何しちゃってくれてんの?!」


 絶対わざとだろ!


「まぁ、それも大丈夫だろ。冗談だってことはヤーコブもわかってるし、ヘルマンニのことは、根っこの部分では冒険者として尊敬してるみたいだし」

「それが解ってて、ヤーコブの目の前でニコを口説くとか、あんたは鬼か」

「やっちゃダメだって思ったら、ついやっちまうんだよ」

「……言っとくけど、もしもペトラやニコを泣かしたら、本気の本気で顔中の出っ張りを削ぎ落としてやるからね」

「「怖っ!?」」


 二人がドン引きするが、あたしは本気である。

 と、ずっと静かだったハイジがペトラに声をかけた。


「……ペトラ」

「ハイジ」

「おめでとう。ヘルマンニはおれの知る限り、世界一いい男だ。お前とはお似合いだ。良かったな」

「……あんたからそんなもっともらしい言葉が聞けるとは思わなかったね」


 ペトラはニッと笑った。

 ハイジは肩をすくめて言った。


「いい機会だし、おれの気持ちも話しておこう。リン。それにノイエも、一緒に飲もう」

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