42 : Lynn

 随分と見晴らしのいい場所だった。

 墓標すらない殺風景な墓。しかしあたりは綺麗に清められている。

 少し離れたところまでは鬱蒼とした植物に覆われているところを見ると、墓の周りだけは普段から管理されていたのだろう。

 ハイジは「二十年ぶり」と言っていたから、管理していたのはヴィーゴあたりだろうか。神社にも似た静謐な雰囲気から、どれだけこの場所が大事にされているのかがよく分かる。


 そんな墓の前に、四人の大人。

 先頭のヴィーゴが墓前に花を献げている。

 ヘルマンニとペトラ、そしてハイジがそれを後ろで見守っている。


 残念ながら天気は曇り……雲の合間から薄っすらと光の階段が見えている。

 崖からは、はるか遠くまで見通すことができる。

 美しい風景だが、地平線近くの平原は、未だ死の気配が濃厚な戦場である。

 そんな色彩のない薄暗い空間に、ヴィーゴが捧げた花だけが色鮮やかだ。


 大人たちは神妙な面持ちでヴィーゴの様子を見つめている。

 後悔か、あるいはもっと別の感情だろうか。当時の様子を知らないあたしにはわからない。


 彼らにとって、今この瞬間がどれほど大切な時間なのか、その感情は伺い知れない。だから子ども組––––あたしと腕の中の赤ん坊、気絶したままのノイエは、後ろでおとなしくしている。


「ヘルマンニ」

「ああ」


 ヴィーゴに促されて、ヘルマンニは背負袋から布に包まれた何かを取り出す。

 それは酒瓶。


「師匠、約束を果たしに来たぜ」


 ヘルマンニは封を開けると、躊躇なくそれに口をつけてラッパ飲みだ。


「ほら」

「ああ」


 ヴィーゴがそれを受け取り、口をつける。


「……ペトラ」

「頂くよ」


 次はペトラだ。グイッと勢いよく瓶を傾ける。

 フッと甘い匂いがする––––この匂いは知っている。黍酒ラムだ。


「ハイジ」

「ああ」


 ハイジが瓶を受け取り、口をつける。

 そして、その瓶をヴィーゴへ差し出す。


 ヴィーゴは瓶を受け取ると墓へと近づき、ドボドボとそれをふりかけた。


「……アゼム師匠。ようやく集まることが出来ました」


 ヴィーゴがつぶやくようにそう口にして、他の三人に顎で合図する。

 ドサリと座り込む英雄組––––こうして見ると、もはやただの酒盛りにしか見えない。


(うーん、凶悪な絵面だ……)


 あたしはそれぞれの人となりを知っているから何も怖く感じないが、それでもこの四人が揃うと異様な雰囲気がある。


(この四人を育て上げた師匠かぁ……どんな人だったんだろ)


 そんなことを考えながら見ていると、ヴィーゴが声をかけてきた。


「リン、そいつはまだ起きないか?」

「そいつって、ノイエ君? うん、元気に息はしてるけど、気絶したまんまね」


 ついでに目を覚ましてこの光景を見たら、改めて気絶しかねない。


「叩き起こせ」

「うぇ?! 本気で言ってる?!」

「ああ。そいつについては、師匠に言いたいことがある」


(うわ、なんか怒ってる?)


「あと、何なんだその目は。いよいよ人間をやめるつもりか」


 その目? ……ああ、そう言えば瞳孔が縦長になってるって言ってたっけ。

 自分ではまだ見ていないのですっかり忘れていた。


「あー……それについてはすみません。でも、多分そのうち治ります」

「まぁ、お前の目なんぞどうでもいい。そいつを起こして、こちらに引きずってこい」


(相変わらずの毒舌だぁ……)


 とりあえず言うことを聞いておいたほうが良さそうだ。

 ゆさゆさとノイエを揺らすが、起きる気配はない。

 考えてみれば、兵站病院からこの場所まで体感時間でまる二日ほど、ハイジの肩に担がれていたのに目を覚まさないのだ。揺らしたくらいで起きるはずもない。

 体に問題がないことは間違いないので、体力が尽きているだけだろう。

 ならば。


「……そいやっ」


 ガツーンと大量の魔力を送りつけてやる。


「ギャッ」


 ノイエがビクーンと体を痙攣させる。しかし「うーん」とか言いながらまだ目を覚まさないので、断続的に魔力を送り込む。


「そいやっ、そいやっ」

「うっ、あっ」


 何度か繰り返してやると、さすがに寝ていられなかったらしく、ノイエが薄く目をあけた。


「ぎゃあっ!?」

「あ、起きた」


 ノイエがあたしの顔を見た瞬間に恐慌状態になる。


(失礼な奴だ)


 ぐぐぐ、と角を顔に向けて、ニタリと笑ってやる。


「く、黒山羊っ! ぼ、僕をどうするつもりだっ!?」

「ククク……さぁて、どうしてやろうかしら」

「ヒ……ッ!」

「やめろ、バカモノ」


 怯えるノイエはなかなかに愉快だが(爆殺されかけたことをあたしはまだ根に持っているのだ)、ヴィーゴから叱られたので、仕方なくやめてやる。


 呆然とあたりを見回すノイエだが、ハイジの姿を見てまた怯えた表情を見せた。


「ハイジ……さん……なん、で……」

「目を覚ましたか。腕の調子はどうだ?」

「う、腕……ああっ!? ぼくの腕があるっ!」


(気づいてなかったのかよ)


 だが、どうやら違和感もなさそうだ。

 ノイエは手を開いたり握ったりして、呆然としている。


「な、なんで……?」

「リンが治した。礼を言っておけ」

「ええっ」


(余計なことを言わないで)


「礼は不要よ。それより、ヴィーゴさんが話があるってさ」


 お礼なんか言われてうっかり許す気になったらどうするんだ。


 ヴィーゴは底冷えのしそうな視線をノイエに向ける。


「おい、お前。父親に会わせてやる」

「は? 何?」

「……言葉が通じないほどのバカなのか? それともわざとやってるのか? この間抜けめ。大サービスでもう一度だけ言ってやる。父親に会わせてやる、と言ったんだ、グズめ。早く来い」


(うわぁ……ヴィーゴの本領発揮だぁ)


 ヴィーゴの周りがゆらゆらと陽炎かげろうみたいに揺れている。

 めちゃくちゃ機嫌が悪そうだ。


「ぼ、ぼくの父さんは、そこにいるハイジさんだ」

「はぁ……こんな阿呆が本当に『愚賢者』の息子だというのか……頭の出来も品性も何も引き継げなかったのか?」


 ヴィーゴは「ありえん」と言って首を横に振る。


「愚賢者……?」

「そうだ。ここに眠る、歴史上で最も偉大な傭兵。それがお前の父親だ。……ありえないことに、その黒髪も、額の形も、口元も、耳の形まで師匠に瓜二つだ。畜生め」


(……額の形に耳の形……? な、なんだか随分と細かいのね……?)


 少し違和感はあったが、まぁ別に構いはしない。

 ノイエは恐る恐るヴィーゴの元へと歩いていく。随分とフラフラしているが、血が足りないせいか、あるいは別の理由か。


「ぼくの父さんは、ハイジさんじゃなかったの? え、本当に……?」

「……まだ言うか。違うに決まってるだろう。少しは頭を使え、このウスラバカが」

「……ノイエ。前にも説明しただろう。おれがお前の父親である可能性は皆無だ」


 ノイエの問いに、ハイジが答える。

 ヴィーゴは「ふむ」と少し考える素振りをして言った。


「おいお前。何故ハイジが父親だと思ったんだ? 理由があるなら話してみろ」

「えっ、それは……その、両親が死の間際に、エイヒムの傭兵団で一番強い人が本当の父親だと言ったから……です」


 その答えを聞いて、ヴィーゴは「はぁー」とわざとらしくため息を付いた。


「その言い方は……カナタだな? あの女は師匠に心酔してたからな……クソッ、誤解を招くような言い方をしやがって、バカ女め」

「か、母さんをご存知なのですか?」

「ああ。よーくご存知だとも。師匠に粉をかけてきた女だ、よく覚えている……。だが、お前の育ての父であるモーリは見どころのある奴だった。あの男を捕まえたところだけは評価してやってもいい」


 目の前の人間の親のことをボロクソに言うヴィーゴに、あたしはドン引きである。

 なんだか私怨が混じってる雰囲気だ。


「お前の父親は、ここにいる四人の傭兵の師、伝説の傭兵『愚賢者』アゼム・ヒエログリードだ。お前の目が黒いのも、師匠に『はぐれ』の血が半分混じっていたからだ。師匠は誰よりも強く、高潔な精神の持ち主だった。残念ながらお前にその性質は引き継がれなかったようだが」


 自分の師匠のことをこれ以上ないほど持ち上げるヴィーゴだが、あたしはだんだんノイエのことが可愛そうになってきた。 


(……高潔な精神の持ち主が、保護した『はぐれ』を孕ましていいのか?)

(いや、合意のもとなんだろうけどさ)


 だいたい、手を出した女が妊娠していることを知りながら、それを置いて死んでしまうなど、ちょっと無責任ではないだろうか。

 だが、そんなことを言える雰囲気でもない。


 ノイエが呆然とそれを聞いている。

 彼は彼なりに悩むことが多かっただろう。いきなり真実を突きつけても、そう簡単に受け入れられるものじゃないだろう。

 まぁ、同情はしないが。


 というか、どんな私怨があるかは知らないが、ヴィーゴも辛辣すぎやしないだろうか。


(他の英雄組も止める気配はないし……)


「……おい、お前。認めがたいが、非常に残念なことに、お前が師匠の息子であることは疑いようがない。だから、この俺がお前を保護してやる」

「えっ」


 ヴィーゴの言葉にノイエが目を丸くする。


「ハイジを待っている間に、そこのヘルマンニに調べさせた。お前、すでに保護者が居ないだろう。なのに一人前には程遠い。お前が師匠の子でなければ速攻で見捨てるところだが、残念ながら俺は師匠の後継者としてお前を鍛え直さねばならん」

「え、何? なんですか?」


 話についていけないノイエの襟首をヴィーゴがつかみ、ぐっと顔の前に引き寄せた。


「このうすらバカが……ッ! 師匠の血を引いていながら、ハーゲンベックなんぞに与しやがって。ありえないバカさ加減だ! 本来ならお前のようなクズを、師匠の目に触れさせるのも許しがたいッ! だが……ッ!」

「ちょ、ちょちょちょ、ヴィーゴさん、待ってあげて」


 あまりの剣幕に思わず止めに入りそうになるが、ハイジがさっと手をこちらに向けてそれを止める。「黙って聞いていろ」、そういう意味だ。


「お前には『愚賢者』の血が半分流れている。本来ならこんなバカに育つわけがない。つまり環境が悪い。だから、俺が鍛え直してやる。わかったか? わかったらニ度頷け。わからないなら、今すぐその首撥ねて、師匠のもとに送ってやる!」


 すごい剣幕だが、ヴィーゴの言っていることは、要するに「お前の面倒はおれが見る」ということだ。


(……ハイジといい、ヴィーゴといい、なんでこいつら素直じゃないんだよ)


 コクコクと頷くノイエを、ヴィーゴは墓の前に引きずって行き、放り投げた。

 そして、墓に向かって言う。


「師匠。あなたがバカをするのは今に始まったことではありませんが、仕方ないですね。あなたの息子はこの俺が……必ず一角の人物に育て上げてみせますとも」


 ヴィーゴの態度は不遜そのものだったが、その言葉には、どこか喜びのような感情が感じられる。そのアゼムという師匠のことを、ヴィーゴがどれほど尊敬していたかがよく分かる。


 ヴィーゴは「これで終わった」と言わんばかりにまるっとノイエを無視して、こちらを向く。


「それから、ハイジ、リン」

「なんだ」

「次はお前たちの番だ。……師匠を笑い死にさせてやれ。……ああ、すでに死んでいるんだったな……まぁ、せいぜい面白おかしく語ってやるがいい」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る