38 : Lynn

「何をするつもりだ?」


 走りながらハイジがあたしの角を見て眉間に皺を寄せる。

 角を伸ばしても警戒しないでくれるのは嬉しいのだが、ちょっと言い辛い頼み事である。


「試してみたいことが二つあって……」

「やってみろ」


 内容も聞かずに即答である。

 信頼してくれるのなら、躊躇するのも失礼だ。


「一つは、集めた魔力をハイジに渡せないかなって」

「ふむ?」

「そしたら、肉体強化するのに魔力の節約がいらなくなる」

「速度を上げられるというわけか」


 それはいいな、とハイジは獰猛に笑う。

 だが、問題はもう一つの方である。


「それと、もう一つはちょっと言いづらいんだけど」

「今さらだな」

「治癒の練習をさせてもらえたらなって」


 思い切って言うと、ハイジは少し驚いた顔を見せた。


「なるほど、俺を傷つけて、それを癒せるかを試すというわけか」

「うん……自分の怪我が勝手に治るのは確認済みなんだけど、ノイエ君のところまで行っても治せないんじゃ仕方ないじゃない?」

「そういうことなら」


 そう言うや否や、ハイジは大剣グレートソードを抜いた。

 何をするのかと思えば––––いきなり自分の腕を切り落とした!


「ちょーーーーーーーーー!?」


 宙に舞うハイジの腕。

 パニックを起こしつつ、あたしはジャンプしてその腕を掴み取る。


「な、なななななーーーーっ!?」


 あたしが泡を食っているというのに、ハイジは平然と腕をこちらに向けた。


「よし、リン、治せ」

「バカなの?! バカなのね?! バカなんでしょう?! ちょっと傷つけるだけでいいのよ!!」

「だが、ノイエは腕を落とされてるんだぞ。同程度の怪我で試さなければわからないだろう」


 よーしわかった!

 この人頭おかしい!


治癒ヒール治癒ヒール治癒ヒール治癒ヒール!!」

「……口に出さないと駄目なのか、それは」

「うるさい! 気が散る! 治癒ヒール!!」


 ずる、ずるる、とつのが伸び、世界中から大量の魔力が集まる。

 視界は物理世界を無視して、すでに魔力世界に覆い隠されている。

 大量の光が集まっているが、まるでうろたえるようにハイジの怪我の周りを取り巻くばかりで、治癒には至らない。


(冗談じゃない!)

(それでなくとも、切り落としたらその部分の経験値がなくなるってのに!!)


治癒ヒール治癒ヒール治癒ヒール!」


(だめだ、埒が明かない!)


「ハイジ、剣! 貸して!」

「何をするつもりだ?」

「いいから!」

「そういうことなら」


 ハイジはそう言うと、腰に付けた細長い布袋から何かを取り出した。

 それは、剥き身のまま布でぐるぐる巻きにされた、愛用の細剣レイピアだった。


「鞘が無くなってしまったが、ほら、お前の細剣レイピアだ」

「ありがと、ちょっとそれを貸して!」


 受け取るなり、あたしも自分の腕を切り落とした。

 ハイジの目が驚愕で見開く。

 強烈な痛みに、めまいと吐き気に襲われる。

 

「うぐッ……!!!」

「リン?!」


 ハイジが叫んでいるが、自分だって同じことをやったばかりだろうに。


 自分の腕を切り落としながら、全速力のチーターみたいな速度で走る男女––––傍から見たら完全に狂気の世界である。

 だが。


「なんてことをする!」

「……うるさい……! 気が散る……!」


 あたしは自動的に治癒していく傷口を、魔力を通して観察する。

 気を失いそうな痛みが伴うが、もしノイエを救うことが出来ず、ヘルマンニを死なせ、英雄たちがバラバラになってしまったら、あたしはこれ以上の痛みに苛まれるだろう。


(死なせてたまるか! ハイジも、ヘルマンニも、ノイエ君も! それに、英雄たちは仲間なんだ! バラバラにしてたまるかッ! 治癒ヒールッ!)


 傷口に魔力が集まる。

 そして、見慣れたあたしの手を形作ると、それを目印にさらに膨大な魔力が注がれていく。


(…………治癒ヒールッ!)


 額の角から、バチ、バチと火花が散るような音がする。

 視界が妙に明るい。


(治れッ! 治癒ヒール!)


 ずるっ、と痛みが止まる感触とともに、腕が生えた。

 成功だ。

 なるほど、魔力の動きはこうなのか……!


「あ、腕」


 切り落とした腕がまだ残っているが、すでに両腕は揃っている。


「もう要らないわ」


 ポイと前の腕を放り投げる。

 ついでに拾っておいたハイジの腕をハイジに返す。


「リン、何をバカなことをしてるんだ!」

「何よ、ちゃんと治ったでしょう」

「治ってない!」

「ん? 何?」

「目が……獣の目になってるぞ」


(…………は?)


「瞳孔が縦長になっている! それに、犬歯が伸びて牙のようだぞ!」

「えっ、嘘っ!」


 鏡! 鏡はないの?!

 それに、黒山羊というのなら瞳孔は横長だろうに! 何で縦長なんだ!

 って、そういう問題じゃない!


 自分の見た目は気になるが、全部後でいい。


「くっ……今はいいわ! それより、ハイジ、傷口を見せて!」

「……こうか」

「行くわよ。––––治癒ヒール


 魔力がハイジの腕を形作る。

 どうやら、意識しなくとも元の形が何かに記憶されているようだ。


治癒ヒール!)


 あたしの腕が治ったのと、同じ工程を。

 そう意識して魔力を操る。

 バチチチ、と額から魔力が弾ける音がする。


「やめろ、もういい、リン、戻れなくなったらどうする!」

「意識ははっきりしてるわ」

「だが……」

「大丈夫––––あなたにあたしを殺させるような真似はさせないから」

「……そうか」


 あたしの言葉に、ハイジは満足したらしい。

 何しろ、あたしはこれ以上ないほどに理解している。

 大切に思う人をその手にかけなくてはならないことほど、残酷な仕打ちはないのだ。

 ハイジにもそれが理解できたなら……あたしが魔獣化してしまったことくらいはどうということはない。


 バチ、バチと角から音がする。

 視界はますます明るくなって、


「––––できた」


 ハイジの腕が元通りになった。


「……ふむ」


 ハイジは手を握ったり開いたりしながら、腕を観察する。

 そして、あたしと同じように、を放り捨てた。


「大したものだ」

「でも、ハイジ、経験値がもったなかったね」

「いや」


 ハイジ腕をぐるぐると回して言った。


「切った腕をつないだのとは違うな」

「そうなの?」

「ああ、おれも経験しているが、一度切り落とした腕は、もはや俺の腕とはいえない。だがこれは––––使い勝手も、力も、何もかもが元通りに思える」


 お前もそうなのではないか? とハイジは言う。

 ぐるぐる回して試してみる。


「確かに、違いがわからないわね」

「つまり……これが本当の治癒なのだろう。死んだ腕をつなげるようなその場しのぎではなく」

「なら……」

「ノイエの治癒にも期待できるな」



# Hermanni



あったまおかしいんじゃねぇのか、あいつら!?」


 二人の様子を見て、ヘルマンニが叫んだ。

 ちなみに頭のおかしい光景を見ながらキャーキャー金切り声を上げていたペトラは、とっくに失神している。

 ついでにヴィーゴも気分が悪くなったらしく、座り込んで眉間を指で揉みながら唸っている。


 ––––まともじゃない。

 ––––完全に狂人の所業だ。


「いや、俺たちのためだってのもわかる。むしろ俺のためってことも。でもよ……」


 普通切り落とすか?

 自分の腕だぜ?

 痛みだって、耐えられるわけがない。

 その上、うまくいかなかったら腕がなくなっちまうんだぞ?


「せめて、ちょっとくらい躊躇しろ!」


 あまりのことに我慢できずに叫ぶも、ヴィーゴは言った。


「……諦めろ、ヘルマンニ。あれが『番犬ハイジ』と『黒山羊リン』だ。奴らがいるのは、すでに俺たちの考えが及ぶ領域じゃないんだろう」

「……本心は?」

「とっとと終わらせて、あのバカどもを俺の前に引っ張ってこい! 師匠のかわりに俺がぶん殴ってやる!」



# Heidi



「では、次は肉体強化か」

「……コツはわかった。多分行けると思う。順序が逆になっちゃったけど……怪我の功名ね、読んで字のごとく」

「笑えない冗談だ」

「……視界が変わるから気をつけて」


 あたしは自分の中に巡回する魔力を、そっくりそのままコピーしてハイジに注ぎ込む。


「––––時間、停止ッ!」


 パシュッ、と視界が切り替わった。

 全ての音が停止し、走るあたしたちも静止状態になる。

 風に吹かれて舞い散る木の葉が、空中にピタリと止まっている。


 じわじわとしか動けないスローモーションの世界で、あたしたちは時間の膜を破るかのように、世界を置き去りにして世界を飛び出す。

 静止した世界を行動できるようになった。

 極端な時間の流れの速さの変化について行けず、思わず転げそうになるのをなんとか持ち直す。

 同じくつんのめったハイジだが、さすがは英雄、すぐに体勢を立て直した。


 時間停止と言っても、完全に止まっているわけではない。ただの超超加速である。

 この世界では、元の時間の流れの中と比べて、やや薄暗く、視界はややピントが甘くなる。全体的に色が浅く、どこか無彩色に近い、とした世界だ。


「これが、リンの見ている世界か」


 ハイジが興味深そうにあたりを見回す。


「……通常の時間の一時間足らずで到着するはずよ」

「凄まじいな。これではおれでも、お前とやり合えばただでは済まないだろう」

「やり合わなきゃいいじゃないの。というか、もうあたし、あなたと戦うのは嫌よ。訓練ならともかく」

「尤もだ」


 ほとんど止まった時間の中では、色んな部分で通常の時間の流れとは異なった見え方がする。

 例として……かなり遠くまで、ベタッとピントが同じなのだ。

 焦点はやや甘いが、その分はるか遠くまで見通すことができる。


「……ノイエ君、まだ生きてるかな」

「生きていてもらわねば困る。それに、もし何かあればヘルマンニから連絡が入るだろう」

「……無理だと思うけど」

「……ああ、なるほど」


 この時間の流れの中にいる限り、ヘルマンニも声をかけることは出来ないだろう。

 なにせ、何十分の一の速度でしか時間が流れていないのだ。


「ならば、今この世界には、おれとお前しか居ないのと同じだな」

「……随分ロマンチックな事を言うのね、ハイジ」

「ロマンチック? 師匠にも言われたことがあるな。自分ではわからないのだが……」

「でも、確かににハイジの言う通りね」


 この世界には、あたしとハイジしかいない。

 同じ時間に、たった二人だけ。


 クス、と思わず笑う。


「どうした?」

「ねぇ、ハイジ、試しにロマンチックなことを言ってみてよ」


 無茶振りをしてみる。


「今なら、誰にも聞かれることはないよ? ほら、何か言ってみて」

「……と言われてもな」


 こちらは半分からかうつもりで言っているのだが、どうやらハイジは真面目に受け取ってしまったらしい。

 何やら悩んでいるようだ。


 と。


「リン」

「何?」

「ロマンチックは、全てが終わってからだ。期待して待っていてくれ」

「?!」


(うわぁあああああああああ)

(そのセリフがすでに十分ロマンチックなんですけどーーーーー?!)

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