第13話 思いがけぬ再会

 夕闇が森を浸食してゆく。鬱蒼と林立する木立が強風に煽られ、ざわめいている。うねるような風の音は時折低い苦悶の呻きのようにも聞こえた。

 暗い森の中にうち捨てられた教会堂があった。かつては美しい白亜の姿だった木造建築は、長年の風雨に晒されひどく荒廃していた。壁の板はところどころ捲れ上がり、尖塔の先の十字架は傾きかけて今にも折れそうだ。

 落ち葉の降り積もる教会堂脇の空き地には黒色のハイエースが三台停まっていた。


 廃墟と思われる教会堂に明かりが灯っていた。窓から漏れる明かりはゆらゆらと揺らめいている。

 祭壇の周囲に並ぶ無数の蝋燭の光が聖堂内を照らしていた。中央に伸びるくすんだ赤色の絨毯は黴に浸食され、据えた匂いを放っている。炎の明かりが壁に不気味な影を浮かび上がらせる。

 白装束の男たちが円形に並んでいた。その数十二人。それぞれの顔は深く被ったフードに覆われている。祭壇の正面に立つ男が重い沈黙を破った。


「手がかりはあったか、シモン」

 身に纏う威厳とは相まって若さを感じさせる声だ。しかし、静かな威圧感があった。

 男の装束は特別だった。白装束は金色の唐草文様に縁取られ、フードの正面には騎士の持つ剣を模した十字架が刺繍されていた。

「松崎家には戻った形跡は無いようです」

 やや細身の男が恭しく答える。

「タダイ」

「月夜見神社には何もありません。つまらない小さな社だけです」

 タダイと呼ばれた男の野太い声が聖堂内に響いた。


「我が教団本部から奪われたマリア観音はかつて月夜見神社の神体であったときく。神社をくまなく探せ」

 十字架の男は不機嫌を押し隠しながら命じる。

「この島には隠れキリシタンの残した宝が隠されている。我らバテレン騎士団のために残された聖なる宝だ。アポカリプスの時は近い」

 十字架の男は両手を水平に掲げ、天井を見上げた。まるで処刑された聖者のように。白装束がはためき、蝋燭の火が揺らめいた。


「同志よ、必ずや宝を我らの手に。神のまにまに」


 ***


 畳張りの二十畳の大宴会場に夕食が用意されていた。一岐の海の幸をふんだんに使った会席料理だ。お膳に並びきらないほどの料理が並ぶ。中央には巨大な舟盛りが置かれた。

「このお刺身は漁師は今日釣ってきたお魚を捌いたんですよ」

 朗らかな笑顔で仲居さんが料理を説明する。

「あわびは地元の海女さんが捕ってきたものです。すき焼きのお肉は一岐牛といって、島の名物ですよ」

 島では焼酎が有名だというので、ボトルで注文した。アルコールが飲めない曹瑛は烏龍茶を注文する。


 鯛とカンパチの刺身、あわびのバター焼き、たことアスパラの和え物、めばるの煮付け、湯通し白子、一岐牛のすき焼き、さわらの西京焼き、蒸しサザエにアオサ汁。

「島だから海鮮料理を期待していたけど、これは想像以上にすごい」

 港街出身の伊織も新鮮な刺身や素材の多彩さに感動している。

 さらに揚げたての海老の天ぷらの盛り合わせがやってきた。


「お肉は柔らかくて口の中で蕩けそう」

 島の名物一岐牛は口に含むとコクがあり、芳醇な香りが広がる。

「そう言えば、芦田港の前に焼き肉店があったな」

「帰るまでに絶対行きましょう、孫さん」

 千弥は孫景に焼肉屋に行く約束を取り付けた。


 榊は仲居さんに赤ウニのことを訊ねている。残念ながら今日は入荷が無いそうだ。

「ここから南へいった岬の近くにウニ丼の店があるから、そこなら仕入れがあれば食べられるかもしれませんね」

 榊はウニ丼の店をスマートフォンの地図アプリに登録した。

「焼酎は癖が強いと思っていたが、仄かな米の甘みと香ばしい麦の香りがいい」

 ライアンは焼酎を気に入ったようで、高谷はグラスに並々とお代わりを注ぐ。酔い潰しておけば、兄の榊が絡まれずに済むという殊勝な気持ちだった。しかし、ライアンは白い頬を桃色に染めてはいるが、意識はすこぶる明瞭だ。


「米が美味い」

 獅子堂は二杯目のご飯を山盛りよそう。島のコシヒカリは艶やかで甘みがある。

「焼酎が美味いわけや」

 劉玲は満足げにグラスを傾ける。宿はずいぶん古めかしいが、島の素材をふんだんに使った料理は絶品だ。昼間はサービスランチを提供しており、観光客に人気らしい。


 一升瓶を三本開けてまだ飲み足りないのか、売店で焼酎を買い込んで部屋飲みをすることになった。

 曹瑛は羽織りの内ポケットにジッポとマルボロを突っ込んで宿を出た。宿の正面は漁港になっており、目の前には暗い水平線が広がっている。金色の月が水面を照らし、細やかなガラスを散りばめたように輝いている。


 あたりには雄々しい潮騒の音だけが響く。遠くにイカ釣り漁船の明かりが浮かんでいるのが見えた。曹瑛は手に馴染んだ真鍮製のジッポでマルボロに火を点けた。煙は立ち上る前に風にかき消され、紙たばこは見る間に燃え尽きていく。

 物足りなさを感じて二本目に火を点けようとしたとき、背後のプレハブ小屋に気配を感じて振り向いた。そこには一人の白装束が立っていた。


 曹瑛は表情を変えず、白装束を見据える。背格好からして男のようだ。かなり上背がある。黒い編み上げブーツが裾の下から覗いている。フードの下で男が口角を上げて笑う。

「奇遇だな、またお前に会うとはな」

 聞き覚えのある声に、曹瑛は形のよい切れ長の目を細める。

 男がフードを脱いだ。肩にかかるやや癖のある黒髪をセンターでラフに分け、高い鼻筋、くっきりした二重にアーモンド型の目、ブルーグレーの瞳は挑発的な輝きを帯びている。


「貴様、アイザックか」

 箱根の雪山で出会った国際窃盗団の一人、アイザックだ。ナイフを特技とし、一時的に曹瑛を追い詰めたほどの腕だ。

「お前とはもう一度勝負をしたいと思っていた」

 アイザックは不敵な笑みを浮かべる。曹瑛は無言で羽織の内ポケットから赤い柄巻のバヨネットを取り出し、構えを取る。


「だが、今じゃない」

 アイザックはおどけて肩を竦めた。プレハブの影に停めていたバイクに跨がり、エンジンをかける。

「お前はバテレン騎士団か」

 曹瑛は構えを解いた。

「お前たちのおかげで貧乏暇無しというやつさ。くだらないお遊びに付き合って小遣い稼ぎだよ。しかし、奴らなかなかクレイジーだぜ」

 気をつけろよ、とアイザックは涼しい顔で手を振る。アクセルを吹かし県道を南へ走り去った。白装束が風に舞い、ふわりと海へ落ちて暗い波間をたゆたう。

 曹瑛は燃え尽きたタバコを錆びた街灯の支柱で揉み消し、小さく舌打ちをした。

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