第2話 一路、博多空港へ

 金曜日の夕方、早めに店仕舞いをした烏鵲堂のカフェスペースに男たちが集い始める。仲間内に開放している店の裏口を目指してやってきたが、立ち上るタバコの煙を見つけた孫景は、吸い寄せられるように裏路地へ入っていく。


 孫景は中国黒社会で運び屋を生業としている。上背があり、屈強な肉体は威圧感を覚えるが、その目は涼やかでむさ苦しい雰囲気をかき消している。


 烏鵲堂と隣の中華料理店“百花繚乱”の間の路地には灰皿が設置されており、両店の喫煙者が休憩時間にタバコを嗜めるようになっているのだ。


「よう、孫景」

 灰皿の脇に立つ榊が孫景を見つけて軽く手を上げる。そのまま指に挟んだフィリップモリスを口へ持って生き、美味そうに煙を肺に吸い込んだ。夏場は清涼感のあるメンソールに切り替えている。

 隣に立つ黒い長袍姿の曹瑛はちらりと孫景を見やる。無愛想な彼なりの挨拶だ。


「千弥も来てるぞ」

「そうか」

 榊から初めて聞かされた。二日前、劉玲から電話があり、金曜日の夕方五時に烏鵲堂に来るようにとだけ聞いていた。

 劉玲は何やら興奮気味で、いつものことだが行き先や目的を教えてくれなかったのだ。


「じゃあ、どこかに出掛けるんだな」

 孫景が今回の集合の目的を知らないことに榊は驚いている。

「兄貴らしい」

 曹瑛はマルボロの灰を落としながら鼻で笑う。榊は劉玲が掘り出し物で手に入れたマリア観音から宝の地図が見つかり、みんなで長崎県の沖合に浮かぶ島、一岐島へ行くことになったと説明する。


「今回は宝探しか」

 孫景はもはや驚きもせずラッキーストライクに火を点ける。肩掛けバッグには一応泊まりの準備をしてきた。劉玲の興奮具合からそんなことだろうと予想はしていたのだ。

 劉玲とは哈爾浜郊外の龍神プラント壊滅からなんだかんだと付き合いがある。上海九龍会の仕事を一緒にこなす内に気心の知れる仲になった。


 弟の曹瑛は恐ろしく無愛想だが、劉玲はその真逆で、相手の懐に入り込むのが巧みだ。それでいて度量の大きさ、人当たりの良さがある。ただし、怒らせたら一番怖い男でもある。

「これから羽田へ向かい、福岡空港へ飛ぶ」

 チケットは用意されているという。周到なことだ。


 カフェスペースへの階段を上がると、白いワンピースを着た千弥が嬉しそうに立ち上がる。首に巻いたライトブルーのスカーフが涼やかだ。

「孫さんも一緒なのね、嬉しい」

 千弥も劉玲から話を聞いており、行き先や目的も知っていた。

「何だよあいつ、全く扱いが悪いぜ」

 孫景は呆れている。千弥はトランスジェンダー女性だ、宿泊旅行となれば準備が必要になる。劉玲の配慮は当然だった。


「一岐島は海もすごく綺麗なんだって」

 伊織は海で泳げるのを楽しみにしている。伊織は瀬戸内海に面する漁師町で育ったため、海には特別親しみがあるのだろう。

「泳ぐのは久しぶりだ」

 榊の歳の離れた弟、高谷結紀は都内の大学に通っている。基本的に運動が苦手らしく、水着も今回のために買ったという。


「ガキの頃、よく御幸の浜に連れていってやっただろう」

「うん、あのときは楽しかった」

 榊と高谷は腹違いの兄弟だ。高谷は7歳で実母の手から離れ、小田原の榊原家に引き取られた。

 自宅から自転車で行くことができる御幸の浜で兄の英臣と初めての海水浴をしたのは、高谷にとって甘酸っぱい夏の思い出だ。


 浮き輪に掴まってぷかぷか浮かぶことしか出来なかった自分を尻目に、防波堤の灯台まで遠泳する榊を高谷は憧れの眼差しで見つめていた。榊は身体を動かすことが好きで、最近は体力作りの一環で定期的にジムのプールに通い始めたという。

「瑛さんも水着持った?」

 三階の居住スペースから旅行カバンを持って階段を降りてきた曹瑛は、当然だと胸を張る。なんだかんだとこのイベントを楽しみにしているようだ。


***


 榊のBMWと孫景のジャングルグリーンのジムニーに乗り合わせて羽田空港へ向かう。

「孫さんがハンドルを握るとミニカーみたいね」

 助手席に座る千弥に茶化されて、孫景は照れながら頭をかく。ジムニーは軽四だが、4WDのクロスカントリーSUVで馬力がある。

 日本にやって来て移動することも多いので足として購入したが、実のところ結構気に入っている。

 羽田空港には四時半に到着した。駐車場に車を停車してジェットスターの搭乗口へ向かう。


「兄貴はどこだ」

 曹瑛が一岐島のガイドブックに目を落とす伊織に訊ねる。その手にはちゃっかりスターバックスのトロピカルマンゴーとパッションフルーツティーフラペチーノが握られている。

「現地集合だって」

 フットワークの軽い男だ。二日前に東京にいたが、今は福岡にいるらしい。

「何がある」

「そうだね、離島だし海産物が豊富みたいだよ」

 伊織がガイドブックのグルメ特集ページを開いて見せる。海鮮丼や刺身など、新鮮な海の幸が紹介されている。


「一岐島と言えばウニだな。今は七月だから赤ウニの時期か」

 その隣のベンチに座る榊もグルメチェックに抜かりがない。

「通常、日本で流通しているのはムラサキウニだ。赤ウニは希少性が高く、幻のウニと呼ばれている」

「赤ウニか、食べたことが無いよ」

 海沿いで育った伊織も赤ウニは珍しいようだ。


 フロアに博多空港行きの搭乗案内のアナウンスが流れる。シルバーの機体は定刻通り羽田を飛び立つ。

「楽しみだね」

 飛行機が上昇し、旋回する。いよいよ旅行気分は高まり、伊織はノリノリで曹瑛に話しかける。曹瑛は小窓から外の景色を凝視しながら唇を一文字に引き結んでいた。

 そうだ、この男は高いところが苦手だったのだ。それを思い出し、伊織は苦笑いをかみ殺した。

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