転生幼女は拳で語る

乙丑

1・辺境の田舎屋敷・1


「んっ……」


 まだ日も顔を出していない、薄闇に浮かぶ田舎屋敷カントリーハウスの窓から、少女のちいさな吐息がひびいた。


 見た目はまだ永久歯が生えかわっていないほどにおさなく、金のミディアムヘアーがひらいた窓から吹き抜ける夜風になびいている。


 二階の自室から飛び降りると、少女はうしろの屋敷に目もくれず駆けだした。


「――姫」


 屋敷を囲った塀のうえからちいさな声が聞こえ、少女は足取りをゆるめた。


「よっと……」


 黒い影がタイミングを見るようにして、少女の肩にそのちいさな体を乗せた。


「おはよう、ノワール」


 ――姫、とよばれた少女は、肩にのった小動物を見る。


 その影――ノワールは、一言でいえば『黒猫』であった。


 仔猫のようにちいさく、全身は闇に染まったかのような漆黒色。


 左耳には三日月の形をした銀毛がメッシュのように入っている。


 白眼に金と銀のオッドアイが、ゆらりとあやしく闇夜に浮かんでいた。


「今日は朝から一段と寒いね」


 ノワールは体をちいさくふるわせ、同意をもとめる。


「さむいなら運動すればいいだけ」


 少女の吐息は白く、空へと浮かんでは消えていく。


「――言えてる」


 ノワールはカラカラと笑った。


 屋敷から5キロほどはなれた森のなかにはいると、少女はまわりを見わたした。


 入口からすこしはいったところでひらけた場所があり、そこには少女と黒猫しかいない。


 闇……。ただその一言で片付けられるくらいに、風と木々のざわめきだけが支配している。


「ふぅ……」


 少女はここまで走ってきたことで早くなっていた鼓動をととのえる。


「――よっと」


 ノワールは少女の肩から地面へと飛び降り、ヒョイと跳びあがるや、ちかくの木の枝に体をのせた。


 それを少女は、目で追いかけながら、


「ノワール、しっかり数えててよ?」


 と、おねがいした。


「――わかってるって」


 返事をするようにノワールはあくびを浮かべ、そのまま体をまるめる。


 その目はしっかりと闇に溶ける少女を見すえていた。


「まずは準備運動から――」


 少女はここまで走ってきた体を休ませるようにストレッチをはじめた。


 十二分に心音は平常へと落ち着かせ、息がととのっていく――。


「それじゃ――まずは正拳突き一千回から――っ!」


 言って、少女は左足を前にして肩幅にひろげ、両拳を顔の高さにあげた構えを取り、拳を突き出す。それを左右の拳を交互に千回ずつ。


「しっかし、姫もあいかわらずやっててあきないね?」


 ノワールはすがめるようにしてたずねた。


「まぁね……これをやらないとなんか気持ち悪い」


 少女はカラカラと笑いかえす。


 ……しばらくして、


「次ッ! 上段蹴り一千回ッ!」


 右足を上段へと蹴り上げ、それを繰り返していく。


「ほんと……ボクだったらすぐにあきるよ」


「もう、文句をいう暇があったら、ノワールもすこしは運動したら?」


 横からチャチャを入れられ、すこしおかんむりになった少女が、ムッとほほをふくらます。


「いいんだよ。ボクはのんびり余生を過ごすのさ」


 それを聞いて、少女はけげんそうに、


「ノワールの年齢っていくつだっけ?」


 と首をかしげた。


「知らぬがなんとかってやつさ」


 ノワールはその言葉のとおり、のらりくらりとかわした。


「997、998、999――1000ッ!」


 少女は声を張り上げ、回数をカウントしていく。


「姫、疲れてきた? 終盤になるにつれて終わりの構えがゆるくなってるよ?」


「ほんと?」


 少女は木の上のノワールに視線を向けた。


「上段蹴りの時もそうだけど、やっぱり基礎体力が問題じゃないかな?」


「あぁ、長距離を走る時にベース分配を見あやまる感じかな?」


 少女はうむとちいさくうなる。


「そんなところかな。最初はいきおいがあるけど徐々に落ちている」


「たしかにノワールの言うとおりなんだよね。自分でも構えた場所が落ちていたりずれているってことは自覚してる」


 ノワールはふと空をあおいだ。


 空はすっかりしらみはじめ、東雲しののめがたなびいている。


「そろそろ東天紅とうてんこうが鳴き出す時間だ」


「それじゃぁ、今日の朝稽古はこれでおしまい」


 少女は稽古を切り上げ、ストレッチをして体をほぐしていく。


「いくよ、ノワール」


 そう声をかけられたノワールは少女の肩に跳びのった。


「いつも思うけど、なんでワタシの肩にのるの?」


 猫というのは自分で先に行くものだ。と少女は口にする。


「ボクがさきを歩くより、一緒になったほうが姫も安心でしょ?」


「――単純に歩くのがめんどうなだけなんじゃ?」


 あきれたように肩を落とした少女は、屋敷へと駆け戻った。


 田舎屋敷カントリーハウスに戻った少女は、ゆっくりと裏の勝手口の戸を開き、なかをうかがった。


「人の気配はないみたいだよ」


 ノワールは少女の肩から降り、我先にと屋敷のなかへとはいっていく。


「みたい――」


 少女はハッとうしろを振り向き、みがまえた。


 そこには黒橡くろつるばみのワンピースに白のエプロンドレスを身にまとったメイドが、屋敷のなかにはいろうとしていた少女をすがめるようにして立っている。


 それこそ少女がここにもどってくることがわかったかのようにタイミングよく。


「あっと……おはようユイ――」


「お嬢さま、こんな朝早くからどちらに?」


 眼の前のメイド――ユイがそう少女にたずねる。


「あっと……朝の練習を」


「東天紅が鳴かぬ前から屋敷を抜け出して森のなかにはいられたんですね?」


「あ、はい」


 ユイのぐうの音も出させない圧力に、少女はただただ素直に応じる。


 少女の行動はもはや家の者にとっては茶飯事のようなもので、


「事前にお伝えしてくだされば、出かける前におしになられるよう、軽食くらい用意しましたものを」


 ユイは雑役婦メイド・オブ・オール・ワークであるため、ほとんどの家事を他のメイドたちと分担して務めている。


 この田舎屋敷カントリーハウスにはユイ以外にも、三人のメイドと主人を補佐する執事バトラー、食事の用意をする料理人コックが、住み込みで働いている。


「でもみんなが寝てるのにそんな事できないよ?」


 いつも屋敷のなかを東奔西走しているメイドたちに、これ以上負担はかけられないと、少女は口をすぼめた。


「――そんなことをいっているんじゃないんです」


 キッと語気をするどくしたユイは、少女の肩を掴み、中腰になる。


「二階から抜け出すようなマネをして、ケガでもしたらどうするのですか?」


 ユイは少女と同じ視線になり、ジッと見つめた。その目は心配そうに眉をひそめている。


「もしお嬢さまの身になにかあったらと思うと、心配でユイは不安になります」


 さすがに正論を言われると言い返す言葉はない。


「――ごめんなさい」


 少女は森のなかでノワールに言われたとおり、体力に若干の不安要素はあった。


 着地の時にうまく体から衝撃を逃がせられなければ大ケガはまぬがれない。


 身分としては少女のほうが上ではあるが、心配してくれている以上、文句はいえない。


「それで……おなかは空いていらっしゃるのでしょ?」


 ユイの言葉が引き金となったのか、少女の腹の虫が鳴いた。


 それをきいて、少女は顔を赤らめるが、ユイはクスクスと笑みをこぼす。


「それでは旦那さまかたとの朝食の前に軽めのものを用意いたしますので、汗や汚れを洗い流し、お召し物をお変えくださいませ――ユタさま」


 言われ、少女――ユタは「ありがとう」と感謝の意を唱え、屋敷のなかにはいると、浴場へと去っていった。


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