第2章 満開編

第11話 捜査方針

 次の日の早朝から佐川は湖国に乗り込んだ。捜査課の机に座って持ってきた新聞を広げると、昨日の立川みどりの事件も新聞に大きく取り扱われていた。


「桜の狂気。連続殺人! もう一人の被害者。今度は石山寺の桜の下で!」


 今日も派手な見出しを付けていた。そしてその記事は「次の殺人を許した滋賀県警を無能だ」と酷評していた。


「勝手なことを言うな!」


 佐川は怒鳴って新聞を机の上に放り出した。彼自身も捕まらない犯人にいらだっていたのだ。そしておもむろにパソコンを開いてメールをチェックした。お目当てのものが来ているかどうか・・・。


(やはり堀野は当てになる・・・)


 そこには捜査本部の資料を送ってきた堀野刑事からのメールだった。上の者にばれないように送ってきてくれていたのだ。

 それによると立川みどりは奇妙な行動をしている。家族の話では、三日前の朝、大事な用で人に会ってくると三井寺に行ったらしいのだが、相手に会うことができずに帰って来たそうだ。しかし次の日の夜、急に電話がかかってきてすぐに外出したようだった。何か慌てているようだったと家族が証言している。その呼び出した相手はわからないという。


(呼び出したのは誰だ? 三井寺? その日は香島が三井寺にいた。偶然なのか? それとも香島に呼び出されたのか? いや新聞に犯人の名が出ていないとはいえ、同級生が殺されたのは知っているはず。自分の身にも危険が及ぶと考えていなかったのだろうか・・・。いや、どうしても会わねばならないほど重要な相手だったのか?)


 佐川の頭に疑問が浮かんでいた。そして資料は立川みどりの死因にも触れられていた。死亡推定時間は21時から22時。頭部を鈍器で殴られて、脳挫傷が直接死因とされた。傷を詳しく調べると何度も殴られたようだ。それに奇妙なことに最初は固い棒状のもので、そしてその上から石で殴っているようだった。その石は死体の近くで発見したものと一致した。


(明らかに傷を偽装した跡がある。なぜ、そんなことを・・・)


 佐川は疑問に思っていた。本当の凶器を隠すためなのか・・・その棒状の凶器は現場からは見つかっていない。犯人が持っている可能性がある。

 今のところ、犯人に直接つながる手がかりはない。だから今回の事件も香島の犯行とはまだ断定できない。しかしそうでなければ誰が?という疑問が残る。


(香島が逮捕されるまで謎は解けないのか・・・)


 そんなことを考えながら佐川は山形警部補を待っていた。県警の捜査本部からは捜査を外されてはいるが、静岡からわざわざ捜査のために派遣されて、香島に襲われて首を絞められた山形警部補を手ぶらのまま帰すのは忍びなかった。だから佐川は何としても香島が捕まるまで捜査を続けようと思っていた。

 そんなところに内線電話がかかってきた。


「捜査課、梅沢です。はい・・・はい・・・わかりました。お伝えします。」


 梅沢は電話を切ると佐川に言った。


「佐川さん。署長からです。すぐに署長室に来るようにとのことです。」


 佐川は署長の呼び出しに思い当たることがあった。昨日の捜査会議の後で久保課長から捜査から外すと言われたのだ。それを大橋署長に申し入れたのだろう。いや、こちらがまだ捜査を継続しているのを知って抗議してきたのかもしれない。


(一つ怒られてくるか。しかし捜査の続行は訴えよう。そうしないと山形警部補がかわいそうだ。)


 佐川がそう思いながら署長室に向かった。「コンコンコン。」とノックすると、


「入れ。」


 と声がかかった。その声の様子からいきなり怒鳴られる心配はないようだと佐川は思った。しかしドアを開けた彼は思わぬ光景に驚いた。そこに山形警部補が座っていたのだ。


「山形さん。どうしてここに?」

「大橋署長にお話があって来ました。」


 その口調は昨日までと違いよそよそしい、いや冷たい響きがあった。昨日とは違った彼女の態度に佐川は当惑していた。


「まあ、座りたまえ。君にちょっと話がある。」

「はあ。」


 大橋署長に促され、佐川はソファに座った。ちょうど山形警部補と向かい合う形になった。大橋署長はダンディーにも自分のデスクの上に座って足を組んでいる。


「君たちが捜査から外されていることは知っている。久保課長から『容疑者の香島に襲われた被害者の山形君は事件の関係者として捜査から外す』とそう申し入れがあった。」


 捜査会議の後で久保課長からそう言われたものの、佐川たちは捜査を止めることはなく続行していた。


「そのことで静岡県警から申し入れがあった。派遣した山形警部補からの捜査状況の報告が必要だから善処してくれと。」


 意外な展開だった。そうなるためには・・・佐川が山形警部補の顔を見ると、彼女は、


「私が上司の課長を通じて、静岡県警の上層部からこちらの本部長に申し入れていただきました。」


 そうはっきりと言った。さすがにその若さで警部補までになったことはある・・・佐川は上を動かしてしまう彼女の行動力に舌を巻いた。


「それで捜査が続けられることになったのですね。」


 佐川は聞いたが、大橋署長は渋い顔をしていた。そこでまた山形警部補が言った。


「今後の捜査方針です。佐川さんはどう考えておられますか?」


 その言葉に昨日までの打ち解けた雰囲気など全くなかった。


「香島が見つからない今、彼が次の犯行を行うのを阻止する必要があります。それには動機を解明せねばなりません。それで次に狙う人物が絞り込めるかもしれません。香島がそこに現れるのを待つしかないと思います。」


 佐川も無理にそんな言い方をした。それについて山形警部補が質問した。


「その動機を解明するためには?」

「香島と同じように被害者の中には日輝高校の出身者、いや同級生であった者がいます。私はここに今回の事件のカギが隠されているように思えます。」


 その答えに山形警部補は「それ見たことか」という風に大橋署長を見た。それで署長が口を開いた。


「山形警部補は君と捜査方針が違うと言っている。だから自分は県警の捜査本部で捜査をしたいと希望されている。」

「佐川さんには申し訳ありませんが、私はそんな過去のことが今回の事件につながるとは思えないのです。それよりは地道に香島の足取りを追って逮捕するのがいいと結論しました。捜査本部はその方針のようです。」


 山形警部補はそう話した。それは暗に「自分の協力先を湖上署から県警捜査1課に移してほしい」と言っているようであった。


(そのために彼女はここに来て大橋署長に申し入れていたんだな。)


 佐川は山形警部補がこの場所にいる理由が分かった。大橋署長が言った。


「まっ、そういうことだ。君にはご苦労だったがこの事件の捜査はもういい。山形警部補は捜査本部付けになる。」

「佐川さんにはお世話になりました。今までありがとうございました。」


 大橋警部補は頭を下げたが、それは儀礼的なあいさつに過ぎなかった。


「わかりました。犯人が1日でも早く逮捕できるように祈っています。」


 佐川は立ち上がって頭を下げて署長室を出た。その心の中は忸怩じくちたる思いで何かもやもやしていた。それは刑事として事件を解決できなかった時の心境に似ていた。

 佐川は捜査課に戻ると椅子に乱暴に座り、頬杖をついてため息をついていた。すると背後から声がかけられた。


「おう! 佐川! 何をふてくされているんだ!」


 佐川が振り返るとそこには捜査課長の荒木警部が立っていた。佐川が顔を合わせるのは久しぶりだった。


「警部! いつからそこに?」

「お前が気づかなかっただけじゃないか? どうしたんだ。何かあったのか?」


 荒木警部が聞いてきた。そこで佐川は今までのことを詳しく話した。


「・・・というわけです。もう捜査しようにも捜査権もないですし、手を引くしかありません。」


 佐川はうつむいて泣き言をいうしかなかった。しかし荒木警部は大きく首を横に振った。


「確かに香島の足取りを追って、彼を捕まえるのが手っ取り早い。自供によりこの事件の真相がはっきりするかもしれない。だが・・・」


 荒木警部は佐川のそばに来た。


「しかしこの事件はそれで解決するのだろうか。もしかしたら隠されたものが闇の中に残されたままになるのかもしれない。過去をさかのぼってそれを探さねばならないこともあるだろう。」

「しかし警部。過去にこだわる私のやり方が果たして正しいのかどうか・・・。」


 すると荒木警部は佐川の肩をつかんで言った。


「しっかりしろ! 佐川。それでいいのか! 自分が信じる捜査をするんだ! 真実はそこにあるんだ。それを放っておいていいのか! それで刑事としてお前は納得するのか!」


 荒木警部のその言葉で佐川は目が覚める思いだった。


(そうだ。私は刑事だ。十分に捜査して真実を追い求めなければ・・・そして被害を受けようとする人を救わなければ・・・)


 佐川は顔を上げた。彼の目に輝きが戻ってきた。その様子に荒木警部は大きくうなずいた。


「そうだ! 納得するまで捜査を続けろ! そうしてこの事件を解決するんだ。それがお前の刑事としての本分だろう。」

「はい!」


 荒木警部の言葉で佐川は決心した。自分の捜査方針で必ず事件を解決して見せると・・・。


「よし! じゃあ、行ってこい! この部屋にいても何もわからん。足で稼いで情報を集めるんだ!」


 荒木警部にそう言われて佐川はうなずき、すぐに捜査課の部屋を出て行った。

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