#13B零 復讐に取り憑かれた悪女
苦しい。助けて。溺れちゃうよ。息ができない。誰か、お願い、助けて。
もがきながら必死に助けを求めた。死にたくない。死にたくないよ、助けて。
みんな気を失っちゃったのか、ぐったりして3人ともゆっくりと沈んでいく。
春亜くん、蒼空ちゃん……陽音ちゃん。
ここであたし達は死ぬんだ。死んで消えちゃうんだ。
そう考えると、とても悲しくなった。どうせ死んじゃうんだったら、やりたいことをやればよかった。
蒼空ちゃんみたいに春亜くんといっぱい話したかった。
蒼空ちゃんみたいに可愛く生まれたかった。
今度生まれ変わるときには、蒼空ちゃんになりたいな。
『助けてほしいのですか? 早月蒼空になりたいのですか?』
誰?
今、誰が話しかけてきたのは誰?
春亜君が目を覚まして両脇に蒼空ちゃんと陽音ちゃんを抱えて真上に泳ぎはじめた。蒼空ちゃんと陽音ちゃんも目を覚ましたみたいだから、あたしは「待って」と声をかけたけれど振り向きもしなかった。
待って、あたしはまだここにいる!
みんなが太陽の光のほうへ浮上していく中、あたしだけひとり海の底に沈んでいいく。脳に酸素を供給できずに絶命していく自分を遠目に見ている。まるで魂だけが身体から抜けて、自分を眺めているようだった。
『誰でもない誰か、とでも言いましょうか。あなたの友人はあなたを置き去りにしてしまいましたね』
孤独や悲しみ、嫉妬は計り知れない。鏡見春亜君がふたりを抱えて泳いでいき、遠ざかっていく姿に手を伸ばして「置いていかないで」と懇願しても彼は振り向こうともしなかった。いつもそうだ。今日も、蒼空ちゃんに待ってと言っても待ってくれなかったし、3人はあたしを置いてえぼし岩の祠に行ってしまった。海岸清掃の同じ班なのに。
海底には鳥居があって、その先に見えるのは朽ちた神社のような祠。それが昔、陸の上にあったものだということは小学生ながら理解できた。
『あなたの願いを聞き入れましょう。言ってごごらんなさい』
幻聴が聞こえた。澄んだ声で、水の中なのにはっきりと耳に届く。幻聴でもなんでいい。息が苦しくて正常な判断なんてできなかったけれど、あたしは心の中で強く念じた。
「あたしを見捨てたみんなに復讐がしたい」
『生きることを願わないのですか? それよりもあなたは復讐を成就したいと言うのですか?』
「あたしを見捨てた……みんなを……絶対に許さない。許してあげないんだからっ!」
「いいでしょう。しかし機が満ちていません。そのときが来る日は少し遠いですよ? いいのですか?」
「それでもいい。だからみんなに仕返しをさせて」
水の中なのに目から涙があふれるのが分かった。
悔しい。悔しいよ。
『お前の願いを叶えましょう』
しばらくそのまま『誰でもない誰か』は沈黙した。一瞬だったような気がするし、永遠のように長かった気もする。とにかく時間の感覚がない。水の中なのに苦しくないし、寒くも暑くもなかった。
暗い海の底は寒くて凍えそうだった。何回遠い水面の上を太陽が通り過ぎたのだろう。途中で数えるのも億劫になっていた。
その日は海の上に花が咲いたように空が彩られていた。その正体はぼやけてなんだか分からないけれど、とにかく賑やかな日だったと思う。気づくと誰かの肢体が目の前を漂ってきた。とてもきれいな大人の女性であたしはこの人が誰なのかすぐに分かった。そのとなりで沈んでいくのは……鏡見春亜君だと思う。
ふたりとも死んじゃったんだ……。
「蒼空ちゃん」
『そう。川から流れ着いたのです。あなたが置いていかれたあの日、早月蒼空は代償を支払い鏡見春亜と鈴木陽音を助けたのです。そして自分が死ぬことによって代償を支払いました』
あたしがこうして海の底で孤独に苛まれている中、早月蒼空や鏡見春亜、それに鈴木陽音は楽しく人生を謳歌していたなんて思うと、とても……とても許せなくなった。
長い孤独があたしの中の暗い感情を育てたのだろう。客観的に見て、自分は邪悪だと思う。恨みつらみがずっと募っていて、全身を怒りがほとばしっている。
『機は熟しました。あなたが復讐を果たせば代償はいただきません。ですが、もし果たせなければあなたの命を持って代償とさせていただきます』
「……でも、あたしは身体がないわよ?」
『あなたを置き去りにした3人に復讐なさい』
身体が急激に浮上し、気づくと砂浜で倒れていた。ここがどこか大体分かる。けれど、あたしの記憶は曖昧でなんだか頭の中がごちゃごちゃしていて、少し混乱していた。
下草の駅のロータリーの電光掲示板に映る日付は……2022年12月だった。
うそ……。あれは夢じゃなかったんだ。とても長く、一瞬のように短い年月だった。
代償……。3人に復讐しなければ、あたしは命を取られてしまう。
つまり、それも真実だとすれば……。
不思議と頭の中には記憶があって、どこに鏡見春亜と夢咲陽音がいるのか予測がついた。よく分からないけれど、誰かの経験した映像を見せられているような気がして、すごく気持ちが悪い。
クリスマスのイルミネーションが飾られていて、ショーウィンドウに映った自分を見て……思わず卒倒しそうになった。
自分の姿が……。
大人になった、早月蒼空ちゃんになっていた。
早月蒼空ちゃんになりたいって願ったから?
そんな馬鹿なこと……。
いや。夢でも幻でも。
思う存分やりたいようにやろう。
あたしの復讐をはじめようじゃないか。
*
「ハル……あんたが憎い。あのときあたしが助けてやったのに。あたしは代償に苦しんでいるのに」
「だから、蒼空ちゃんの言っていること分かんないんだけど? 離してくれる?」
と、まあ、そう思っていたのは早月蒼空だ。蒼空の身体を占有しているから、気持ちの優しいあたしとしては蒼空の言い分も伝えてあげたのだ。蒼空だって復讐したいでしょう?
早月蒼空は、自分の身を
あたしと蒼空の心は一心同体。あたしも復讐を遂げなければ自分の命が危ないけれど、それ以前にあたしをひとり置いていったこいつらに復讐したい野望がメラメラと燃えている。
夢咲陽音の腕を掴み離すつもりはない。そう、今こそ復讐をするときだ。生前の蒼空にはなぜか時渡りのときに消えてしまうはずの記憶が残されていて、代償について調べていた形跡があったのだ。下草の祠がキーで、その情報を春亜と陽音に渡したのは蒼空自身だった。
そこまでして春亜の寵愛を受けたい(代償をなかったことにしてまでも)蒼空は、自分が空回りしていることに気づいていない滑稽なピエロそのものだ。だって、愛してもらいたいのか復讐をしたいのかどっちなのか揺れている時点で痛い女じゃない。
バッカみたい。
ただ、あたし自身も早月蒼空と同様に代償をなかったことにしたいと思っている節はある。
だってこのままでは、どうやっても死んでいる蒼空に復讐できないじゃないか。
すべてをなかったことにして一からやりなおして、3人に復讐を完遂するのがあたしの真の目的だ。
反吐が出る。
容姿も優れていて、交友関係にも恵まれているのに自らその才を有効に使えないなんて大馬鹿にも程がある。
「葛根冬梨という男は、馬鹿なことに代償まで支払って欲望を満たすことを願ったらしい。そうね。その欲望の矛先を陽音、あんたに向けさせても面白いわね」
「は? 蒼空、お前なんなんだよッ!? 相手は犯罪者だぞ? 本当にどうしたんだよ?」
「お願い……蒼空ちゃん手を離して……」
「あたしを蒼空と呼ぶな。あたしは……あたしの名は……」
「え?」
「は?」
「——蓮根音羽だ」
蒼空と呼ばれたことに苛立ち、陽音を握る手に力が入る。
「痛ッ!! もうお願いだから離してッ!!」
葛根冬梨の代償が何なのかあたしにも分からない。けれど、顔を見れば大体見当がつく。あれは海の底に沈んでいたあたしと同じ狂気を感じる。気が触れてしまった者の顔だ。
なんて好都合。馬鹿ばかりで楽しくなってきた。
まずは陽音、お前からだ。
「葛根せんせ。この子アイドルらしいから好きにしていいわよ?」
「やめてッ!? 蒼空ちゃん?」
「やめろ蒼空ぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」
春亜が強引にあたしの握る手を開かせようと両手で邪魔をしてくるけど、葛根冬梨が春亜の腕を掴み、力任せにあたしから引き離した。
「ッ!? 葛根先生? 正気なんですかッ?」
「黙れッ! 春亜、お前らのせいで俺は」
「逆恨みじゃないですかッ!」
……ッ!?
「痛ッ!? なにするのよッ!?」
陽音があたしの親指に噛みついてきて、思わず手を離してしまった。しまった、と思ったときには春亜の腕を引いて逃げていく。
「追って。絶対に逃さないで」
「蒼空、お前いいのか? 俺は指名手配犯だぞ?」
「蒼空? 気安く呼ばないで。ゲスが。いいから追えゴミ野郎」
水難の相か。なるほど。如月凜夏という女には未来を見通す力があるのかもしれない。早月蒼空が川に入水しなければあたしはここに来ることもなかったのだから。
復讐の前に鏡を手に入れるとするか。
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