熟柿

 それにしても、誠におそれ多きことで御座ございます。この化野あだしのの無縁墓場に堀河左大臣ほりかわさだいじん顕光あきみつこうが関心を抱いていらっしゃるとはつゆとも思っていませんでした。洛中らくちゅう殿上人てんじょうびと直々じきじきに使者を遣いに出されるとは余程よほどの事情がお在りの様子と存じます。全く、むさ苦しい草庵そうあんではありますが、どうか遠慮なさらずにおくつろぎ下さいませ。

 ああ、どうやら雨が降ってきたようですな。このような老齢に至りますと寒さはことこたえます。使者殿も斯様かよう夜分やぶん嵐山あらしやまの麓まで遣いに出されることになろうとは思ってもいなかったご様子ですな。或いは、それ程までに急ぎ用立ないとならない事情をお抱えなさっているのかも知れません。私のようないさらばえた乞食坊主こじきぼうずでもお役に立てるようなら力を尽くしましょう。

 さて、このような世捨て人も同然な老僧に何かが出来るとは思えませんが、さっそく堀河左大臣殿の御用をうかがいましょう。とはいえ、全く身に覚えがない事柄では御座ございません。殿下がおたずねしたいむねは何とはなく察しております。このようなさびれた墓所にも種々くさぐさな噂は不思議と届いて来るものなのです。全くおそれ多きことでは御座ございますが、御堂関白みどうかんぱく道長みちながこう栄華えいがを極めんとする一方で、数知れない殿上人てんじょうびとが涙を飲んでいらっしゃるとか――。

 どうか、ご容赦ようしゃ下さいませ。ですが、その気色けしきから堀河左大臣殿が苦心惨憺くしんさんたんしているご様子は明らかで御座ございます。このよわいになり申すと、いつの間にか口さがない人格になってしまうようで参ります。老い先短いことを思うと腹の探り合いが億劫おっくうになってしまうのです。重ねて、ご無礼をお許し下さいませ。

 先程も申し上げましたように、この化野あだしのにも巷間こうかんの噂は屡々しばしば届いて参ります。無論、嵐山あらしやまむ鬼達に関する噂も聞き及んでおります。何でも、その鬼達は死人の肉をらうために山から降りて、化野あだしのの無縁墓所を彷徨さまよい歩いているらしい。また、そこにいおりを結んで暮らしている乞食坊主こじきぼうずは鬼の血筋を引く者であるとか――。

 全く、衆生しゅじょうの好奇にさらされながら暮らすことは都合つごうが悪いもので御座ございます。ですが、「火のないところに煙は立たない」とはよく言ったもので、こういった枚挙まいきょいとまがない妄言もうげんたぐいの中にも一抹いちまつの真実が含まれている場合が往々おうおうにしてあるのです。貴方あなたも薄々は気がいている事と存じますが、嵐山あらしやまく鬼達の噂は決して虚言きょげんではないので御座ございます。そして、化野あだしのいおりを結ぶ老僧の正体も――。

 ええ、我々は人の肉をらいます。ですが、生者しょうじゃの肉をうことを好みません。多くの者は人目を忍んで山奥にみ、獣と同然に暮らしております。古代いにしえには栄華えいがを極めたことも御座ございましたが、時代をごとに勢力を失ってゆき、今となっては栄枯盛衰えいこせいすいを嘆くだけの知恵を持った者も数少なくなっております。平生へいぜいは山林にまぎれるように息を殺しながら暮らし、夜半やはんになると死人の肉を求めて墓所を彷徨さまようような哀れな生類しょうるいなので御座ございます。もはや、正気を保って生きている同胞はらからわずかに残されたばかり――いずれはついえる宿命にあるのでしょう。

 浅ましいことかも知れませんが、この化野あだしのという土地には死肉があふれかえっております。私のように多少の知恵を残した者は人をいつわって墓所にこうとこころみます。ことに、この時節は洛中らくちゅうを災いが襲うことが屡々しばしばあったことも幸いして、引き取り手のない死体が山を成しております。我々にとって、そういった無縁仏の味は格別に馳走ちそうとなるのです。のみで頭蓋に穴を穿うがち、脳髄をズルズルとすするので御座ございます。丁度ちょうど熟柿じゅくしの果肉を吸い上げるように――これが、また比類ひるいしようがない程の甘露かんろで――我々の数少ない喜びとなっております。全く、垂涎すいぜんの品で御座ございます。

 我々は歳を重ねるごとに肉食への欲が強くなる生類しょうるいなのです。堀河左大臣顕光公の使者である貴方あなたが訪ねて来た時から覚悟はしておりました。私は朝廷にとって謀反むほんくわだてるつもりは御座ございませんが、長きにわたって人々をいつわり、浅ましくも肉を喰らい続けた身であることに変わりはないのです。嵐山あらしやまむ鬼達と比べても罪は重いと承知しております。もはや、言い逃れるつもりは毛頭もうとうありません。その太刀たちで首を落として下さっても構いません。

 はて、貴方あなたは私の首を斬りに来たわけではないと――。それでは堀河左大臣殿は何をお望みか皆目見当かいもくけんとうきません。無論、命が惜しくないわけでは御座ございません。しかし、それでは私を訪ねて来た理由が分からないのですが――。

 ああ、なるほど、ようや得心とくしん致しました。我々が遙か過去に捨て去って久しい神々について、或いは秘術について知りたい、とおっしゃりたいのですね。御堂関白道長公への恨みを果たすつもりと――承知しました。それでは、貴方あなたにそのすべをお教え致しましょう。時におたずね申し上げます。どうか、貴方あなたの名をお教え下さい。

 ははあ、お噂は以前から聞き及んでおりましたが全く驚きました。陰陽道を修めた蘆屋道満あしやどうまん殿――それが貴方あなたの正体でしたか……。


(了)




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