「粛清官」




 実際のところ、キャナリア・クィベルは気を遣ったわけではなかった。

 むしろ逆だ。別行動を提案したのは、ほかならぬ自分のためだった。

 理由のひとつは、自分の砂塵能力だ。強力なかわりに、付け焼刃の連携というものはほとんどできない。誤って仮パートナーを殺してしまえば粛清官になどなれるはずもないから、ひとりでインジェクターを起動するのが理想だった。


 もうひとつの理由は、これが記念すべきデビュー戦であることだった。

 エムブレムを身につけた状態でおこなう、初めての戦闘。いや、かりにエムブレムが関係なかったとしても、キャナリアは実戦経験には乏しかった。

 自分が頭のなかでおこなってきたシミュレーションが正しかったのかどうかは、今明かされる。そこに、余計な変数を混ぜたくはなかった。

 そう――キャナリアは、華々しくはじまりたかった。

 およそすべての場合において、地味よりも派手であるほうが好きだったからだ。

 




 緑色のジェルが、跡形もなく弾け飛んだ。

 インジェクターを起動したキャナリアが、いやな粘度のある蒸気のなかからあらわれた。白いカラスのマスク越しに、敵の姿を探す。

 どうやら相手が採用した択は、迎撃ではなく逃走のようだ。

 当然だとは思いながら、それでもキャナリアは残念に感じる。

 下に降りるための手段は、おもにふたつ。エレベーターと、非常階段だ。

 非常階段はエノチカが使っている。であれば、残るはエレベーターだけのはずだ。

 それでも、キャナリアはべつの道を行った。このジェルの砂塵能力の活用次第では、敵にはべつの逃走ルートがある。

 エイテ傭兵団が詳しいフロアマップを知っているかどうかと言えば、おそらくノーだ。だが、地の利に明るくなくとも、このホテルにはあきらかな特徴があった。

 それは、この建物の一面がガラス張りになっていることだ。位置関係から推定して、さきほどの通路の反対側は、そのまま窓になっているはずだ。


 キャナリアは急ぎ、回廊のようになっている通路をまわる。と、話し声が聴こえた。

 L字をまがると、二名の男女がいた。さきほどの女と、知らない男だ。おそらく、あの直後に合流したのだろう。


「クソ、もう追いついてきやがったか……!」

「まっじ、かよ!」男のほうがすばやく構えた。その身体には、すでに砂塵粒子をまとわせていた。「まじに粛清官かよ! すっげー、初めてみたぜ!」

「でしょうね。だいたいの犯罪者は、粛清官をみたときがその最期ですもの」


 驚くほどに緊張しない自分を自覚しながら、キャナリアは言った。


「エイテ傭兵団、〝二枚刃〟の姉弟。ネーデル・チラーとカリヨン・チラー、ですわね?」

「へ……なんだよ、俺たちの名前って知られてんのかよ」

「中央連盟の諜報を甘くみないことですわね。――ええ、そのとおり。あなたがたのような小粒にも、きちんと調べは入っていますわ」


 軽い挑発だが、効いたようだった。

 殺人、強盗、破壊工作など、さまざまな犯罪行為を重ねた姉弟は、腹をくくったようだった。粛清官を倒そうと、その身にたしかな戦意を宿らせる。


「やろうぜ、姉貴。どのみち、ここまできたら逃げられねえよ」

「わかった。――いつもどおりのコンビネーションだ」


 ふたりはそう、言葉を交わした。

 が――その気迫が持ったのは、せいぜい一、二秒のことだった。

 キャナリアの身体から、血漿のような、濁った色の砂塵粒子が色濃く流れた。その特異性は、すぐさま相手にも伝わった。色のみならず、粒子の形状が禍々しかったからだ。

 霧のように広がる粒子のなかに、棘を生やした球体のような塊が偏在している。それはぶきみに浮かびながら、姉弟の周囲をかこんでいた。


「さあ、どうぞかかってきてくださいませ」


 白いカラスの面のなかで、キャナリアは言う。


「それも、自信があるのならなおのこと。もしもあなたがたがあたくしの理想とする力の持ち主でしたら――そうですわね、跪いてさしあげてもよろしくてよ」


 それはうそぶきに近かった。ほんのわずかでも、その可能性がないことはわかっていた。


「……っ! へへ、やッばそうなやつだなぁ……!」


 カリヨンがスーツの上着を脱ぎ捨てた。白いYシャツの下から、なにかが鋭く隆起する。

 それは身体の内側から湧き上がるもののようだった。まるで装甲アーマーのように、全身から白い棘が生えていく。


(――骨。を、自在に伸縮させる能力?)


 どうやらそのようだった。ゆえに、キャナリアは相手の砂塵能力の転用性を警戒した。粒子の性質によっては、まともに浴びればこちらの骨にも異常をきたす可能性がありそうだ。


「うぎぎ、いってェ~~……! やっぱ親分がいねぇときっついなぁ、これ」


 仕様上痛みをともなう能力なのか、カリヨンは苦しげな声をあげた。だが、それも束の間のこと。掌や肘から鋭利に骨を生やしたカリヨンが、狭い廊下を真正面から駆けてくる。

 それと同時に、ネーデルが砂塵粒子の力を解放した。

 考えなしではないようだ。ネーデルの生んだジェルは、カリヨンの直線状に形成された。こちらの視界を一時的に遮断すると同時に、キャナリアの展開する棘状の粒子から守る。

 ジェルと棘が接触した瞬間、バァンッ! と痛烈な音が響いた。ジェルの壁が爆散して、得体の知れない成分となって宙を舞う。


「爆発の能力⁉ 姉貴のジェルが、こうも簡単に……⁉」

「……っ、まずい。てことは、カリヨン! あんたの骨のガードも、たぶん貫通する!」


 みずからの能力を知るキャナリアは当然ジェルの爆破現象にはおどろかずに、あえて相手の作った視覚的な阻害物の隙を突いて取り出した、得意の武器を振るった。

 一本の黒いステッキ。その先端が伸びると、鞭となってカリヨンの足を捕らえた。

 しゅるりと巻きついたひもを、キャナリアが引っ張った。足を掬われるかたちとなり、カリヨンがキャナリアの撒いた砂塵粒子に接触しそうになる。


「くぉ……のぉっ!」


 その直前に、カリヨンは身を回転させた。身体の節々から鋭利に生えた棘が、鞭の先端部分を刈り取った。間一髪のところで抜け出すと、逆に引き寄せられた勢いを使い、壁を蹴ってキャナリアに迫った。


「バカか、お前! なにを考えてんだ!」


 各部から生えた骨を使い、カリヨンが連撃をしかける。

 普通の刃物使いとは異なり、伸縮しながら振られる骨はリーチが変化して読みづらく、手数はさながら乱舞のようだ。


「遠隔タイプの能力者なんだろ! わざわざ近づくチャンスをくれてサンキューなぁ!」


 キャナリアは答えなかった。

 なにも言う必要がなかったからだ。哄笑をあげながら暴れるカリヨンが異変に気づいたのは、それからすぐのことだった。

 攻撃が、あたらない。

 普段のカリヨンがおこなうとおりの自慢の近接戦闘が、ただのひと掠りも。

 それも、砂塵能力に由来するものではなかった。キャナリアは砂塵粒子を使わず、みずからの身体のみで回避し続けている。なにも言わずに、息のひとつも乱さずに、淡々と。


「なんでだよ……ッ!」とうとう狼狽をみせて、カリヨンは叫んだ。「そんな動きづれぇ服装しておいて、なんだよ、てめぇはッ!」

「――頭の悪い、殿方は」


 ようやく、キャナリアは言葉を吐いた。


「きらいですわ。それも、あたくしよりも弱いのだったらなおのこと。言いましたでしょう、粛清官だと。それに、あたくしはなりますの。ほんとうの強者をみつけに、きょう、今、ここから」


 もういいだろう、とキャナリアは判断する。至近距離戦インファイトに自信と適性のありそうな能力者を相手に自分がどれだけ動けるかを試したかったが、テストはこれでじゅうぶんだ。

 この程度では、相手にならない。

 とはいっても、お気に入りのスカートはほんの少しだけ破れてしまったけれど。

 フッ、とキャナリアは息を吐いた。塵工的に製作された伸縮素材の鞭を振るい、大振りをかましてきたカリヨンの胴体を巻き取る。


「――ッ!」


 遠心力をかけて腕を振ると、その力に従ってカリヨンがその場で回転した。

 くるくると、まるでじょうずにフィギュアスケートでもしているかのように。

 それは、ちょっとした悪ふざけのようなものだった。

 どうせ殺めるなら、華麗にだ。

 カリヨンが体勢を立て直したときには、周囲にキャナリアの砂塵粒子が敷き詰められていた。小さな棘を生やした粒子の塊が、まるで空中に設置された罠のごとく浮いている。

 逃れられるような隙は、まったく残さなかった。


「もうお気づきでしょうから教えてさしあげますわ。あたくしの砂塵能力は、。触れたら最後ですわ。あたくしに壊せないものは、あたくしの知る限りありませんの」

「し、粛清官……」カリヨンが、茫然とつぶやいた。

「感謝いたしますわ。おかげで、この徽章を飾るに能うとわかりましたもの。――それでは、ごきげんよう」


 機雷の一部が、ちょこんと、カリヨンに優しく触れた。

 それを契機に、無数の機雷が誘爆を起こした。

 爆風が広がる。大量の爆弾の中心点にいたカリヨンが、周辺を血で染め上げた。

 キャナリアには、それで終わりだとわかっていた。

 だが、ひとつだけ誤算があった。

 相手が即死しなかったのは、その骨のアーマーのおかげのようだった。


「う……ァ」


 赤黒い肉塊と化したカリヨンが――もともと飛び出していた骨のせいで、グロテスクな彫像のような姿となった男が――焼き切れた喉のなかから、小さく声をあげた。

 次の瞬間、動き出す。

 キャナリアは対応できるように身構えていた。が、向かうさきはこちらではなかった。

 カリヨンが飛び出したのは、うしろ、姉のほうだった。それでも、カリヨンが腕を伸ばしたのはネーデルに対してではなかった。かれは、全身の力を使って窓ガラスに飛びこんだ。

 キャナリアの機雷粒子が起動して、ガラスが吹き飛ぶ。


「カリヨンッッ!」

「あねき、にげ」


 すべてを言い切る前に、カリヨンは絶命した。

 対して、姉のほうは。

 とっさの判断で、弟の身体を抱きながら、躊躇なく窓の下へと飛びこんだ。

 十二階建ての建物の、この高所だ。おそらくはじめから狙っていただろう、あの弾力性のあるジェルを用いた、落下の脱出策を試そうとする。

 それを防ぐべく、キャナリアは鞭を振った。だが、ぎりぎりのところでネーデルを捕まえることはできなかった。

 芝色の砂塵粒子をまとわせて、ネーデルは落ちていった。







 過去にいちどだけ、ネーデルはこの脱出策を試したことがあった。やんちゃが過ぎてやくざに捕まってしまったカリヨンを逃がすために、ビルのうえから跳んだことがあった。

 そのときのビルは、このホテルよりも高かった。

 だから、自信はあった。インパクトの直前に、ジェルを形成する。途中でうまく弾性を強化して、衝撃を殺すのだ。

 できるはずだ。ゆえに、ネーデルには上をみる余裕さえあった。

 白いカラスのマスクをした粛清官が、自分たちを見下ろしていた。

 弟を殺した女だ。


「……お前のことを、殺してやるッッッ」


 ほとんど絶叫するように宣言して、ネーデルは涙とともに視線を戻した。

 今は逃げなければならない。親分に報告しなければならない。弟の身体の灰を、砂塵に送ってやらねばならない。だが、どうにかして生き延びたら、そこからさきは復讐に費やしてやる。あのマスクの粛清官を、絶対に殺してやる。

 変わり果てた弟の身体を抱きしめながら、ネーデルはそう誓った。

 地面が近づいてくる。

 ネーデルは砂塵粒子を展開する。

 そのとき、弟の死体が膨らんだような気がした。

 彼の皮膚を、赤黒い粒子が伝って――


「えっ――」


 ボンッ、と音がした。


 カリヨンの死体が起爆して、爆風がネーデルの四肢を吹き飛ばした。まるで飴細工かなにかだったかのようにあっさりと首がもげて、となりのビルの壁にマスクが激突する。

 その様子を、キャナリアは十二階のフロアから眺めていた。


「あら、ごめんなさい。言い忘れておりましたわね――あたくしの機雷は、爆破対象に誘爆の因子を残しますの。予想できなくても当然ですわね」


 ひとり言い訳するようにつぶやくと、キャナリアはマスク越しの頬に触れた。

 返り血にまみれていた。本来ならば黒いはずの羽毛が、赤く濡れてしまっている。


「……」キャナリアは、指先に付着した血をみつめて口にした。「ああ、いつのことかしら。ほんとうに待ち遠しいわ。このあたくしの、あたくしごときの真価が明かされる日は、きっと、すぐそこ……」


 そのときが待ちきれずに、キャナリアは肩で笑った。

 うふふ、うふふふと笑う女の姿をみる者がいたら、きっと、だからこそ粛清官はおそろしいと、そう述べるはずだった。


 ――このとき、キャナリアは戦闘直後の昂揚感から、少しのあいだだけ忘れていた。

 姉弟のどちらでもいいから生け捕りにして、尋問をおこなう必要があったことを。

 しかし、それに気づくのは数分後のこと。


 今まさに殻を割るさなかの雛鳥のような候補生は、それまでのあいだしばらく、矛盾する自己陶酔に耽っていた。

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