ちなみに片方は点検中だった
「なぁ。聞きたいんだが、ここにアーノルド・シュエインって男が泊まってねーかな」
エノチカがそうたずねたときのコンシェルジュの反応は、あまり見覚えのないものだった。
マスクも外さずにのしのしとロビーを横切り、開口一番にそう聞いてきた、ドレスコードを守っていない女が奇妙な質問をしてきたのだから当然のことかもしれなかった。
「あの、お客さま。もういちどおうかがいしても……?」
「エノチカさん」と、呆れた声で背後のキャナリアが言った。「そう前のめりだと、せっかくつけたエムブレムがみえないでしょう。第一、聞き方があまりにもお粗末ですわ」
おどきになって、とエノチカをどんと押し出した。
キャナリアは胸元のエムブレムを強調すると同時に、連盟員の証拠である手帳を提示した。コンシェルジュがあんぐりと口を開ける。それから、あわてて手で覆った。
「え、し、粛清官……⁉」
「大変失礼しましたわ。でも、こういう事情ですの。機密保持法のために詳しい事情は明かせないのですが、あたくしたちの質問に答えていただけますわね?」
キャナリアの言い方はとくに脅すようなものではなかったが、それでも相手は緊張に息を呑んだ。
たとえ後ろめたいことがなにもなかったとしても、この都市ではそれが普通の反応だ。大市法の特権者である粛清官を前にして、へたな返しはできないからだ。
「は、はい。もちろん、喜んでご協力いたします」
「助かりますわ。それでは、もういちどお聞きしますわね。アーノルド・シュエインという男性がこちらのホテルを利用しているかどうか、教えていただけませんこと?」
相手はあわてて宿泊者帳簿を確認した。「そのお客さまなら、ちょうど本日チェックインされたばかりです。ええと……今より、およそ五時間前のことです」
エノチカとキャナリアは顔を見合わせた。
まさしく、ここでビンゴだったようだ。
「その客について、なにかかわった様子はなかったか?」気が急いているのを自覚しながら、エノチカは聞いた。「なんでもいいんだ、教えてほしい」
「ひとつ、思い当たることがございます。その、厳密にシュエインさまのお部屋のことかはわかりかねるのですが」
「かまわねぇ、言ってくれ」
「お部屋の騒音です」
緊張を隠さずに、相手は答えた。
「二時間ほど前のことなのですが、上の階から大変に大きな音がしたというお電話が、複数のお客さまからいただきました。おそらく最上階からだったのですが、係りの者が見回りに行ったところ、どのお部屋のお客さまも、音を聞きはしたが自分のところではない、とのことでした。なにかの被害にあわれたというお客さまはいらっしゃらなかったので、とりあえず問題はなかったということにしましたが」
ずいぶんとキナ臭い話だった。一刻もはやく向かったほうがいい、とエノチカは考える。
コンシェルジュは続けた。
「それと、もうひとつございます。シュエインさまは、われわれのホテルをよくご利用くださっているマイロ・マグワイヤというお客さまの、その招待客です。なので、ご予約はシュエインさまではなく、マグワイヤさまのお名前でいただおいておりました。おうおうにして、マグワイヤさまのお客さまは都市外からいらしたかたです」
聞き覚えのない名前だった。おそらくヘクトル・メーンの手先の名だろう、とエノチカは推理した。
「本日も、シュエインさまがチェックインされたあとで、マグワイヤさまの関係者のかたがいらっしゃいました。それじたいはいつものことなのですが、お迎えにきた三名のかたが、普段のかたとは別人のようでした。もっとも、マスク越しのことですので確信は持てないのですが」
「……まさか、エイテ傭兵団か?」とエノチカは小声でキャナリアに言った。
「その可能性はじゅうぶんにありますわね。ひょっとして、すでにかれの身柄は……」
そこで、キャナリアはコンシェルジュのほうを向き直した。
「最後にシュエイン氏をみたのは?」
「申し訳ございません。わたしは交代で席をあけておりましたので、チェックインのお手続きをした以降はわかりかねます。少々お待ちいただければ、ほかの者に聞いて参りますが」
「いや、だいじょうぶだ」とエノチカは止めた。そんな猶予はなかった。「それよりも、アーノルド・シュエインの部屋を教えてくれ。最上階って言っていたか?」
「ええ、一二一号室のロイヤルスイートでございます。エレベーターを降りていただいて右側、いちばん奥の部屋です」
この話の行き着くところがわかっているらしく、かのじょはみずからマスターキーを取り出して渡してきた。
「ありがとう、助かった」
ずいぶんと仕事のできるコンシェルジュのようだ。感謝してキーを受け取ると、ふたりは向かうことにする。その背中に、「お待ちください」と声をかけられた。
「その、粛清官さま。もしかすれば、うえでなにかが起こる可能性があるのでしょうか? だとすれば、わたくしどもはほかのお客さまに避難勧告をおこなければなりません」
その問いに、エノチカは首を横に振った。
「いや、その必要はない。むしろ逆だ。ひょっとしたらなにかが起きるかもしれないから、なにがあっても絶対に部屋を出るなと、そう伝えてやってくれ」
それから、足早でエレベーターに向かった。
「ほとんど決定的ですわね」
エレベーターの到着を待ちながら、キャナリアが言った。
「正直、おどろきましたわ。ほんとうにあなたの推理どおりにことが進んでますもの」
キャナリアはマスクをかぶり直していた。白いカラスの面の後ろ側を、手で軽く押している。念を入れてインジェクター装置を確認しているようだった。
「んだよ、感謝でもしてくれんのか?」
「ええ。あたくしひとりでは、きっとここまではたどり着けなかったですもの」
「……な、なんだよ。そう言われると返しづれぇじゃんか」
「なぜですの? さっきも言ったでしょう。あたくし、うぬぼれてはおりませんの」
どうもわからないやつだな、とエノチカは思った。
「なんにせよ、ここまではたんに勘が当たっていただけだ。てかお前、けさまでは怒っていたじゃねぇか」
「今はもう気にしておりませんわ。たしかにあなたの言うとおり、あなたにどういう事情があろうとも関係ありませんし。それに、もしその事情があればこそ捜索が進んでいるとしたら、あたくしにも明確な利がありますもの」
奇妙な女ではあるが、少なくとも歯に衣は着せないタイプのようだ。エノチカは徐々にキャナリアの性格がわかってきたように思った。
エレベーターが到着して、ふたりは乗りこむ。どこかでサボっていたらしいエレベーターボーイが駆けつけてきたが、当然待つこともなく扉を閉めた。一流ホテルとはいっても、こういうことはあるようだ。
「そういうことだったら、アタシもやっぱり、とくに詳しく話すことはねーよ」
目的の階を押して、エノチカは言った。
「ただ、ニーガルタスはアタシがやらなきゃいけない男だ。それだけ、わかっておいてくれ」
「……かたき討ちですの?」
「そんなよーなもんだ」
「ふぅん」数秒、キャナリアは黙った。
「そうですの」それだけ続けた。
それきり、会話はなかった。
目的階にたどりつくと、ふたりは即座にアーノルドの客室に向かった。
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