Second Base: Set Up Your Bat

すっげーがんばったっぽい




 揺れる車内で、アーノルド・シュエインは葉巻に火をつけた。


 なんともいえない緊張感があった。理屈では、アーノルドはそれがおかしいことがわかっていた。本来なら、よろこびに震えているべき場面だ。

 これまでいったい何千、何万の人間がその地にあこがれて移住しようとしただろう。

 楽園とささやかれる街。偉大都市という名の、塵禍以降の世界で最大の栄華を誇る街への移住は、だれであれ羨むべきものだ。

 もちろん、アーノルドも望んでその手続きに入った者のひとりであることに違いはなかった。だれかに強要されたわけではなく、明確な自分の意志で偉大都市への移住を決意したのだった。


 かれの出身は、偉大都市の西方に位置する新興都市レギオンだ。かつて偉大都市の外を警邏する役割を与えられていた部隊が離反し、もともとあった退廃的な共同体を征服、およびある程度の統制を施して作った新都である。

 アーノルドは、そこで財を成した男だ。それも、かれは自分の能力を駆使したのではなく、頭を使ってのし上がった。

 ろくな教育を受けていなかったアーノルドだが、天性の才として化学を愛した。

 アーノルドは、偉大都市発展の基となった人類叡智の結晶である『ルイス書巻』の派生教科書から科学の基礎を学び、偉大都市で体系的に学問を修めている高等教育者たちが、他の追随を許さないレベルで工業化を進めるにあたり、どのような化学物質を欲しがっているのかを知った。


 アーノルドが探したのは、気体にまつわる力を持った能力者だった。

 世間にごまんとはびこる短絡的なバカどもとは違い、アーノルドは、この世でもっとも大切な能力者は武闘派などではなく、人類が生活を送るのに有用な物質を生成できる者たちであることに気がついていた。

 アーノルドは、『砂塵能力者だがなんの能力なのかわからない』、ほとんどは非砂塵能力者ブランカーと称される者たちが記名する〝Who does not know own capacity.〟と呼ばれる記帳を片手に、期待できる者たちをたずねてまわった。


 三十二歳のとき、アーノルドはようやく目当ての能力者と出会うことができた。

 レギオンの近くでクロム鉱を掘る、日雇いの炭鉱夫をしていた浅黒い肌をした中年の男は、おどろいたことにフロンに近い性質のガスを生み出すことができた。

 まったく、金脈そのもののような男だった。腐食性が少なく、油類に優れた溶解性を持ち、なおかつ毒性のほとんどない冷媒を作れるだなんて! アーノルドは、相手がいかに優れた能力者であるかをとくとくと語ったが、寝ぼけたまなこを持ったかれには、その言葉の意味はほとんど伝わらなかった。

 優れた力も、それなりのおつむが伴わなければ無駄のようだった。


 ともあれ、真の冒険が待っていたのはそこからだった。アーノルドは亜フロンガスを生み出せる男を使い、偉大都市の企業を相手に貿易をはじめた。

 商品の価値はすぐさま認められた。偉大都市の学問的中心地であるルイス大学校には、やはりというべきかアーノルド以上の鬼才が集まっていたらしく、ほとんどふたつ返事だった。

 旧文明時代の科学装置を駆使する偉大都市には、構造そのものはシンプルな化合物であるフロンと似た性質のガスを作り出すだけの力はあったが、それでもアーノルドの提示したレートで交換したほうが、はるかに安上がりだった。


 それからの紆余曲折は、あえて語るまでもないだろう。

 アーノルドは苦心するはめになった。どうやら金を生める能力者がいるらしいとわかると、レギオンに巣食う、引き金を引くか糞をするしか能のないゴロツキが、身柄を狙いはじめた。

 もちろんアーノルドにはそれがわかっていたから、あらかじめ雇っていた傭兵に守らせ、かれらの裏切りの可能性も考慮してリスクを分散させながら、したたかに事業をはじめた。


 もう、あれから十年近くになる。

 アーノルドは、どうにかこうにか生きていた。あの街で金を持ちながら生き延びるというのは、まったく生半可なことではなかった。

 その証拠に、最後には巨大化する抗争を止める術はなくなっていた。

 アーノルドは必要な分の財を確保すると、あとのことはすべて部下に託し、自分はドロップアウトすると決めた。

 フロンを作る能力者は、その直後に殺されてしまった。

 あの抗争に、もはや勝者はいない。

 だが、最低でも自分は逃げ切ることができた。

 今、アーノルドは武装バギーのなかにいる。護衛のために連れてきた兵士たちと、今後の生活を気にする必要がないだけの大金のほかには、その身ひとつの状態だった。

 それでよかった。自分の余生は――ほんとうの人生は、移住先でこそはじまるのだから。

 偉大都市。若いころからあこがれた、あの街で送る豊かな生活が、アーノルドを待っていた。


「ボークレー」


 アーノルドは助手席に座る男に声をかけた。


「先方の手配してくれた滞在計画書では、まずは偉大都市の特別区のホテルに向かうようにとのことだったな?」

「ええ、ボス。バイフシティから先、最大の危険地帯はとうに抜けました。ここから偉大都市の領域、スペシャル・セツルメントまでは間もなくです」


 この装甲車を管理する隊長、ボークレーはいつもの低音ボイスで答えた。かれは口数が少なく、そのわりに求める報酬は傭兵社会であるレギオンのレートでいっても高額だったが、それでもアーノルドは信頼を置いていた。へたにけちったやつから死んでいくのが、この砂塵渦巻く世界だ。

 舐められてはならないな、とアーノルドは考える。たしかに自分は都市外の育ちだが、だからといって都市のネイティブどもに下にみられ、不当な扱いを受けるわけにはいかない。


 そのためにも、かれは必要な手続きをその筋で有名な水先案内人に委託していた。

 Mと呼ばれるフィクサーだ。本名は教えてもらっていなかった。いざ対面したときに明かしてもらえるという話だった。

 かれは、偉大都市に移住を希望する都市外の富豪の多くを、偉大都市における作法を教授するとともに迎え入れているという。

 これから向かう偉大都市の出張地には、アーノルドは二日ほど滞在する予定だった。

 本心ではすぐにでも偉大都市に入りたかったが、どうもそう簡単にはいかないらしい。滞在ビザを求める市民の数は莫大で、役所はつねに手一杯なのだという。

 市民権の発行には時間を要するようだ。とはいえ、アーノルドはましなほうだった。水先案内人のおかげで、事前に必要な書類と費用を渡し、通常よりもはやい対応をしてもらえているからだ。そうしなければ、SSで足止めされる時間は二日では到底きかなかったようだ。


 ともあれ、ここまできたのならばもうほとんど心配はなかった。主要な資産も、すでに偉大都市のディオスバンクに預け入れできている。市民権のない人間は口座の開設や入金はできても出金はできないという制度には閉口したが、安全なところに預けられるのなら文句もない。

 徐々に緊張が薄れてきて、かわりにどんどんと楽しみな気持ちが湧いてきた。

 しばらくすると装甲車がSSの区域に到着して、かれは浮足立つ気持ちで車を降りた。

 

 ……これが、ただの出張地だって? と、アーノルドはいぶかしんだ。

 都市のレベルというものは、はっきりひと目でわかるようになっている。いかに砂塵対策の行き届いた建物が多いか、どれだけ排塵機が配備されているか、水道電気などのインフラ設備はどうか。この場所は、そのどれもが洗練されているようにアーノルドの目には映った。

 まずもって、ここがまだ偉大都市の内部ではないというのが信じがたい。

 多くの移民がおとずれる関係上、さまざまな商いがおこなわれていることはわかるが、そうはいっても、あまりにも経済活動が活発すぎるのではないか?

 実際、SSのメインストリートは盛況だった。浮かれた移民たちが、はじめての偉大都市ということで、存分に財布のひもを緩めている。

 どうやら有名らしいマスク製作会社の支店には、ずらりと行列が作られていた。偉大都市に入ったあとでみすぼらしいマスクをバカにされたくない者たちが、たった一時間でフレーム以外の部分をすべて新しく作り変えるというサービスに殺到していた。


 たしかに、ひとたびマスクデザインを登録すればあとから変更するのは少々めんどうだという。アーノルドも思わず立ち止まり、好きな元素記号を描いてある自分のマスク――アーノルドが好きなのはPt(プラチナ)だった――も、いっそ作り直したほうがいいのではないかと考えた。

 それから、すぐに首を振るう。

 そうした手続きも、すべて案内人から提案があるだろう。


 最大のおどろきはホテルだった。メインストリートのちょうど中心点に、宿泊予定のホテル・ライズアサクラという立派なラグジュアリーホテルはあった。これも、案内人が手配してくれていた施設だ。

 あの偉大都市の大企業、アサクラグループが経営しているホテルということで、自然とアーノルドの心が躍った。

 アサクラは、アーノルドにとっても思い入れのある会社だ。直接取引をおこなっていたというわけではなく、アーノルドが新都レギオンの自社設備で使っていた機材のほとんどがアサクラ社製だったからだ。かれら一族は、信じがたいことに、酸化しきって使い物にならなくなった古い機材を蘇らせることができるのだという。

 時の試練たる摩耗も、酸化も、汚染も、真の能力者の前では障害にならないというのだ。


「……はは」


 到着と同時にスケールの違いをまざまざとみせつけられて、アーノルドは思わず渇いた笑いを漏らした。

 アーノルドは護衛を従えてホテルに入った。

 名前を伝えただけで、手続きは滞りなく進んだ。近くにいるだけで下半身に血が巡りそうな美人のコンシェルジュが、宿泊者の情報を書く書類に指示を出してくれた。


「住所はないんだ」とアーノルドは恥じながら言った。「その、これから、偉大都市で物件を探すから」

「うかがっております。もちろん空欄で差し支えございませんわ」これまで多くの移住者を対応してきたからか、コンシェルジュはまったく差別を感じさせない柔和な笑みをみせた。「素敵なお住まいがみつかるといいですわね」


 アーノルドは、この美人を今夜の食事に誘おうかと考えた。が、そうするわけにはいかなかった。案内人との約束がある。

 それになにより、この街には美人など掃いて捨てるほどいるはずだ。

 アーノルドは最上階の一室に通された。

 ここら一帯ではもっとも背の高い建物であるせいか、窓の向こうの偉大都市がよくみえる。

 あらためてみて、目を疑ってしまうほどに巨大な都市だ。あれほどの街を統治できる機関があるとは、にわかには信じがたい。だが、きっと音に聞く中央連盟という組織には、それをやってのけるだけの力があるのだろう。


「完璧な街だ」


 はやくも、アーノルドはそう感想してしまった。

 部屋に置いてあったウェルカムドリンクをいっきに飲み干すと――こんな簡単な飲み物でさえ、アーノルドがこれまで飲んできたどの酒よりもうまい――アーノルドはグラスを置き、護衛たちに向けて言った。


「ここまでご苦労だった。私はしばらく、奥の部屋で休むことにする。お前たちも好きにくつろいでもらって構わない」

「はっ」

「ボークレー、M氏の使者が来たときには対応を頼んだぞ」


 それだけ言い残すと、アーノルドはベッドルームに向かった。

 少しでもましな恰好を、と思って巻いてきたタイをはずすと、天国のようにやわらかい羽毛布団に身を預ける。


 これからの幸福な生活を想像しながら、アーノルドは長旅の疲れを癒すために目を閉じた。

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