3

 夜が明けると、雨風は大分弱まって来ていた。強くなったり、弱くなったり。まるで万華鏡のように。気まぐれな猫のように。風はその顔色を都度都度変え続けている。


 島に来てから、既に5日が経っていた。

 ラジオで情報確認したところ、台風自体は島のすぐそばで停滞し、またいつ戻ってくるか分からない、予断を許さないということだった。ただこのまま行けば、明日明後日には船も出せるだろう……とも言っていた。全く、風の吹くままに、とは良く言ったものだ。


 羊と風音は、地元の消防団の面々と共に、再び山登りに悪戦苦闘していた。

 調査隊は明け方出発した。長雨に降られた山は土砂が崩れ、草木は折れ曲り、けもの道はさらに複雑怪奇な姿へと変貌していた。蛍光色の雨合羽の群れが、じりじりと時間をかけ斜面を登っていく。


「元々この島々は人が住める様な土地ではなかったの」


 荒い息を吐き出しながら、そう説明してくれたのは由高教授だった。彼女もまた『死体再調査組』に加わっていた。ただ、羊たちが探偵の真似事をしているのは、教授には内緒にしてある。そんなことを口走っては、何を言われるか分かったものじゃない。


「近年も住民が年々減って行って……無人島になってしまった島も少なくないわ。それでも、たとえ人が住めない様な土地でも、隠れキリシタンたちは此処に逃げ込まざるを得なかった……それだけ弾圧が激しかったのね」


 日本におけるキリスト教の弾圧は1580年ごろから断続的に、およそ300年ほど続いた。鎖国の間、神父も聖典もなく、やがて仏教や神道・土着信仰と混ざり合い、独自の信仰が育まれた。


「……それから明治になって禁教令が解除されても、全員がカトリックに戻った訳じゃないの。何せ隠れキリシタンの人は何百年も分断されてて、本物のキリスト教を見たことがなかったからね。本物の神父がようやく日本にやって来ても、『教えられていた姿と違う、自分たちの思っていた神父じゃない』って、信じなかった人も多かったのよ」

「なんだか変な話ですね、本物を見ても、偽物だって言っちゃうなんて」

「結局自分の信じてるものが本物なのよ、誰だって」


 それで大体、三派に分かれたのだと言う。


 一つは、改めてカトリックに改宗した人。

 一つは、隠れ蓑にしていた仏教にそのまま取り込まれた人。

 一つは、独自の信仰を深め、第三の道を歩み始めた人。


 六門島で言えば、ほとんどの島民はカトリックに改宗した。

 その中で、仏教に転じて、政治に色気を出し始めたのが沼上一族で、

 何百年もの間隔離され、混合され、他の何れとも違う形になったのが道楝たち『八十道』である。


「ね、これって犯行動機になるんじゃない?」


 話を聞き終わり、風音が羊にこっそり耳打ちした。


「村長たちは自分たちの言うことを聞かず、独自の道を進む新興宗教を疎ましく思っていた。教団側も教団側で、村長たちをいわばキリスト教をとみなして軽蔑していた……」

「そう考えると辻褄は合うね」


 羊は前を向いたまま、小さく頷いた。


 同じ島民、同じ隠れキリシタンでも、派閥の違いによる断絶は根深いのだと言う。同じ場所に集まったり、ましてや一緒に祈ったりするのは難しいのだとか。そう言う風土や、空気感が現代にも残っていたとしたら。村長や被害者の人となりはどうあれ、お互いにギクシャクしてしまう様な関係性が、物心ついた時からすでにあったのだろう。


 先日の言い争いは、そんなところから来ているのかもしれない。宗教によって何百年何千年と受け継がれてきたのは、何も愛や慈しみだけではないと言うことだ。しかし、羊にしてみたら、顔も名前も知らないが大昔に憎しみ合っていたところで、それって今の自分に何の関係があるんだ? と思ってしまうが……。


「カエルの子はカエル……ってことね」


 羊が振り返った時、風音はもう澄ました顔で前を向いていた。だがその刹那、少し哀しそうに目を伏せ、落っことした風音の呟きを羊は聞き逃さなかった。誰に投げかけた訳でもない、細く幽かな声はやがて向かい風に絡め取られ、踊る様にして森の奥深くへと消えて行った。


 早朝から登り始めた甲斐もあって、午前中には天主堂に着くことができた。

 出来るだけ現場を保存した方がいい、と言う羊たちの意見で、中には死体が磔にされたままだった。臭いも強烈だったが、それでも雨風に晒されないだけ有り難かった。


 六角館は騒がしかった。

 ひゅうひゅうと吹き込む風や、木戸を叩く雨粒で、建物全体が不気味な音色を響かせていた。電気のない通路はまるで洞窟の中にいる様な薄暗さだ。懐中電灯の灯を頼りに慎重に歩を進め、通路を曲がると、目的のものが姿を現した。


「これが……」


 改めて死体の前にたち、全員が息を飲んだ。すでに死後2〜3日経ち、皮膚は蒼白になり、ところどころ腐敗が始まっている。断面には蛆が湧いており、何処かから悲鳴が上がった。しかしその顔は、恐怖に歪んだその表情は、辛うじてまだ認識可能で、やはりあの日村長と言い争いをしていた教祖代行に間違いなかった。


 羊は震える足を何とか鎮め、改めて死体を凝視した。


 大きな扉の前で両手を広げた様に、手首の部分を釘で固定された死体。

 

 その胸部は大きく引き裂かれており、背中を貫通し、向こう側が見えてしまっている。流された大量の血液で、真っ白だったローブは今や黒ずんでいた。肋骨や肺は砕かれ、潰され、もはや原型を留めていない。細切れになった肉塊が、床に突き刺さった鉈と一緒に足元に転がっていた。それ以外に目立った外傷はない。


 それから医師である沼上丈治が死体の検分を始めた。とはいえ専門の監察医でもないので、正確なところは分からない。


 沼上医師が難しい顔をして死体とにらめっこしている間、風音はひたすらパシャパシャと写真を撮り続け、見ている人を困惑させた。


「別に待ち受けにしようって言うんじゃないんです。ただ、正確な情報を保存しておこうと思って」


 明らかに引いている大人たちにフラッシュを浴びせかけ、黒髪の美少女が笑顔で説明した。羊は意を決して死体に近づいた。蛆虫の発生速度で、死後の経過日数が分かると何かで読んだことがあった。


「危ないよ」

 フラフラと死体に近づいて行く羊に、丈治が声をかける。

「何か分かりましたか?」

「何も……とにかく非道い死体だってことだけさ」

 沼上丈治は疲れた様な顔で唇の端を釣り上げた。目の下に隈が出来ている。息子がいなくなったその日から、一睡もできていないのだと言う。


「明らかに失血死だろうね。心臓を刺されたら誰だって致命傷だ。ただ……」

「ただ?」 

 沼上は澱んだ目で虚空を睨みつけ、突然右手を羊に向けて突き出した。羊は思わずのけぞった。

「……普通はこんな風に、胸にまっすぐ刃物を突き出しても、肋骨や肺が邪魔になって心臓まで届かない。無論、プロなら一撃で仕留めるがね。時々ニュースで見かける滅多刺しってのは、ありゃ、素人がやることなんだよ。殺したかどうか不安だから、何度も何度も刺す訳でね」

「……!」

「それと、革皮様化が起きている」

「は……はい?」

「皮膚に出来た擦り傷が黒ずんで固まっている。生きている間についた擦過傷は、普通カサブタができて治るんだ。」

 危うく血溜まりの中に尻餅を付きかけながら、羊が汗を拭った。


「つ、つまり……?」

「さぁね。生前に争った様子はない……と言えるのかもな。彼は死後、そこにある鉈で胸を抉られた……死体の傷痕を見れば、どのような凶器が使われたのかも分かる。もっとも、専門外だから、あくまで推測の話だがね」

 お手上げだ、と言わんばかりに沼上は両手を挙げた。専門の道具がある訳でもなく、これ以上は中々難しそうだ。


 それから羊は六つの門を調べて回った。

 鍵のある門、天門、生門、神門はそれぞれ鉄製で、内側から鍵がかけられる様になっていた。いわゆるシリンダー錠というやつだろうか。


 天門の内側には死体が打ち付けられており、鍵穴は流れた血で固まって動かなくなっていた。

 

 逆に壊れていた獄門、死門、鬼門にはもはや鍵穴すらない。木製で、完全に枠に固定されてしまっている。ところどころひび割れ、表面に穴が空いており、押したら壊れそうだが、流石にこの門を壊していたら気づかないはずはない。


 羊は階段をおり、管理人室も見回った。下について右手側に受付カウンターがあり、その横に扉が設置されている。こちらもシリンダー錠が付いていた。スペアの鍵はこの中、机の引き出しの中にあったのが死体発見時に確認されている。


 引き出しの中!


 もし仮に犯人がスペアの鍵を使ったと言うのなら、犯行後外から鍵をかけ、どうやって管理人室の引き出しの中に閉まったと言うのか。よほど奇術でも使わない限り不可能だ。やはり犯人は、宴会場にいた管理人の鍵をカバンから拝借したのだろう。


 被害者は恐らく羊たちが島に着いてから2日目の深夜、

 23時〜0時過ぎ

 の間に殺されたものと考えられた。


 22時までは民宿で被害者の姿は確認されており、そこから天主堂に向かって1時間。

 犯人が鍵を返しに来たとして、宴会が終わる1時過ぎまでには民宿に戻って来なくてはならない。つまり0時過ぎにまでは下山を始めないと、間に合わない計算になる。


「犯人が別の場所で被害者を殺し、それから天主堂に運んだって可能性は?」

「あり得ない。1人でも大変なのに、死体を担いでこの山を登るなんて、よっぽどの怪力だよ。犯人は予め被害者を天主堂に呼び寄せていたんだ」

「入念に計算された犯行だったって訳ね」

「約1時間の間に犯人は被害者を殺し、死体の心臓を抉り、天門に磔にした……」

「……ちょっと?」


 風音が小首をかしげた。卑劣な殺人鬼にかける言葉としては間違っているかもしれないが、確かに、この推測通りなら驚くほどの手際の良さである。これに加え、犯人は密室まで作り上げている。


「まさか本当に、幽霊の仕業だったりして……」

「まさか……」


 羊は静かに首を振った。


「何かあるんだよ。何か……トリックが」

「トリック……どんな?」

「それは……」

「あぁ、君」


 羊が風音と話し込んでいると、向こうから沼上丈治が声をかけて来た。


「分かったよ。新たな事実だ。死体の尿道から、微量ながら精子が検出された」

「え……」

「つまり被害者は、死ぬ直前射精をしていたみたいだ」


 羊は絶句した。


「それってつまり、セックスしてたってこと?」

 言葉を失う羊の代わりに、風音が一切表情を変えずに先を促した。沼上が頷いた。 


「恐らく犯人は、被害者がところを襲いかかった……」


 こうなると話が変わってくる。もしや、被害者は強引に事に及ぼうとして、返り討ちにでもあったかと疑いたくなるが、不思議なことに争った跡はないと言う。それにしても心臓を打ち抜き磔にされるとは只事ではない。有様が有様だけに、衝動的な殺人とも考え辛かった。


「それじゃ……」


 風音が思案げに小首を傾げた。


がいたってことよね?」

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