5

 とはいえ嵐の中の登山は、決して楽な道のりではなかった。


「気をつけてくださいよ」


 先導する管理人の相内宗さんが、皆を振り返って警告した。地面は緩んでおり、岩が転げたり所々雪崩が起きたり、ついこの間羊が登った時とは、明らかに道の形が変わっていた。コンクリートの上を歩くのとは訳が違う。


「下手したら殺人鬼の前に、山に殺されることになる」


 決して冗談でもない。皆の顔に緊張感が走った。元々この辺りは人が住めるような場所ではなく、険しくて当然だった。だからこそ潜伏地に選ばれたというのもある。かつては数十世帯住んでいた島々も、1人減り2人減り、無人島になってしまった所も少なくない。


 幸いにも雨風は午前中より少し弱まって来ていた。このタイミングを逃したら次はいつ登頂できるか分からない。羊たちは歯を食いしばり、万全を期して慎重に歩を進めた。


 ようやく天主堂に辿り着いたのは、三時間以上が経過していた。


 苦難の道、と軽々しく呼んでは叱責を受けそうだが、しかしそう呼ぶにふさわしい道のりだった。登山というより戦いに近い。レインウェアが泥だらけで、羊は道中何度も、何故「自分も行く」だなんて言い出したのか……と後悔した。


「こっちです!」


 第一発見者の岡地さんが、緊張した面持ちで皆を手招きした。たちまち門の前に人だかりが出来た。羊も爪先立ちになり、誰かの肩越しに地面を覗き込んだ。


「こりゃあ……」


 誰かが唸った。確かに赤黒い。だが肝心の血は雨で大分流されていた。それにワインのようにも見えるし、絵の具だと言われても分からない。


「確かに全部、閉まってるようですな!」


 向こうから駐在さんが叫んだ。風のせいで、叫ばないと声が届かないのだ。遠くでは雷鳴が轟いていた。下山する頃には、さらに雨脚は強まっているかもしれない。帰り道は連続殺人になるかもしれないな、と羊は本気で思った。


 管理人の相内さんが黙って天門に鍵を差し込む。しかし、回らない。


「おかしいな……昨日までは確かに」

 管理人の表情が曇った。

「他の門はどうですか」

「試して見ましょう」


 それで羊たちは天門から時計回りに3つ目の門、生門へと回った。今度は鍵が回る。ホッとしたような安堵が一同を包む。とにかくこれ以上雨に打たれるのは御免だった。雨風を凌げる建物が、どれほど有難いことか! 全員雪崩れ込むように天主堂の中に入った。

 

 入った瞬間、羊は鼻をツンと突く異臭に気がついた。

 中は暗い。視界は不良だが、臭いは強烈だった。


「こいつぁ……!」


 消防団のひとり、20代くらいの若い男性が唸った。皆の顔に一斉に緊張が走る。これはただ事ではない。


「とにかく電気を……」

「見ろ! あれ!」


 叫び声が六角形の中で交錯する。暗闇の中、全員が天門の方に走って行った。


「ば……バカな……!」


 突然建物の中に叫び声が谺する。見ると、前方を走っていた白装束のひとりが膝から崩れ落ちた。やがて現場にたどり着いた羊は、ついにそれを見た。


 それは正しく、磔にされた男性の死体だった。


 両手首を釘で打ち抜かれ、万歳をするかのようなポーズで扉に張り付いている。否、張り付けられている。だらんと力なく首を垂れ、その瞳には、もはや生気は宿っていない。それもそのはず、彼の胸には、向こう側が見えるくらいぽっかりと大きな穴が空いていた。


 


「オェ……!」


 誰かがその場で嘔吐した。

 頭を抱え、その場に蹲った者もいる。穴から見え隠れする肺は潰れ、肋骨はハンマーで打ち砕かれたかのように形を成していなかった。しとしとと滴り落ちる赤い血は、すでに固まりかけていた。はみ出た肉片に蝿が集っている。時間が止まったかのように、しばらく誰も死体に近付こうとすらしなかった。


 後から判明したのだが、天門は内側から死体で塞がれており、また鍵穴に血が流れ込み、動かなくなっていた。それで開かなかったのだ。


 天国パライソの門の前で、立ち塞がるように磔にされた死体。


 死体……羊は死体の顔に見覚えがあった。昨晩宴会場にいた、村長とやり合っていたあの男。あの衣装は、真っ赤に染まってはいるが、あの時は真っ白だったはずだ……。


 殺されたのは、道楝と呼ばれる『八十道』の教祖代行。昨日の夜から行方不明になっていた人物だった。


「ど、どうしたらいいんでしょう……?」

「とにかく警察に連絡を……」

「バカな! アンタが警察でしょうが! 第一この嵐じゃ、医者だってすぐに来てくれるもんか」

「気をつけろ! まだ賊がそこらに潜んでるかもしれん!」

「ヒィ!?」

「戸締り! 戸締り!」

「バカ! 中にいたらどうするんだよ!?」


 皆で探し回ったが、幸いにも

「そういえば……」


 右に左に彷徨っていた視線が、一斉に羊の方に集まる。羊は少したじろぎつつも、管理人に尋ねた。


「スペアの鍵は、事務室にありましたか?」


 それを聞いて、管理人が弾けるように事務室に飛び込んで行った。その背中を目で追いつつ、駐在さんがゴクリと唾を飲み込んだ。


「こりゃあ……いやはや、つまり、殺されたってことでしょうな」

「そりゃそうでしょう。世の中にどんな奇跡が起ころうが、こんな自殺をする奴なんかいません」

「しかし、何でまたこんな……?」

むごすぎる……心臓を抉り取るなんて、これじゃまるで」


 誰もが恐怖を紛らわせるため、饒舌に語り始めた。


「ガラササマの祟りじゃないか」


 誰が呟いたのか分からない。だがその言葉は、奇妙に六角形の館に反響して、その場にいる人の耳に深々と突き刺さった。およそ人間のやる事とは思えない。やがて管理人が青白い顔をして戻って来た。その手には、2本の鍵がぶら下がっている。


「ありました……」

「あった……?」

「…………」

「…………」

「……ということは」


 羊は皆を代表してここに宣言した。


……という事ですね」

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