最終章-20 答えは女神像の中に


「何を言っているの? あなた、失礼だわ」


 普段はのらりくらりと笑顔でかわし、淑女の鑑のようにしとやかで、うるさくも偏屈でもなく、どんな場面でも悪目立ちしない、そんな人物像であったベイツ夫人が、今や険も隠さずにアルベールに食ってかかっている。


 これに対しアルベールのほうは、激することなく、いっそ穏やかな態度で彼女を追い詰めていく。


「そもそもあなたは、ヴァネル邸の夜会の裏テーマについて、なんと聞いていましたか?」


 ベイツ夫人は強く顎を引き、そのおもてに警戒の色を浮かべたのだが、先の質問には素直に答えることにした。普通に出回っているただの噂だから、自分が口にしてもまずいことはないと、素早く計算した上でのことだ。


「噂で、『ヴァネル邸の夜会で、闇オークションが開かれる』と聞いていました。大昔にランクレ家が起こした詐欺事件――あれに関する重要な証拠が競り落とされる、と。あの詐欺事件で煮え湯を飲まされた貴族は多いでしょう? もしもそんなものがあるのなら、情報としてそれなりに価値があると思うわ」


 これを聞いたアルベールは、くすりと笑みを零す。


「実はね、噂は二種類あったのです。――一つは貴方が今おっしゃった内容、そしてもう一つは、エメラルドの首飾りが闇オークションにかけられるというものでした」


「どういうことなの?」


 ベイツ夫人は訳が分からなすぎて、苛立ちを隠しきれない。状況が複雑すぎて、自分が追い詰められているのか、そうでもないのかすら分からない。――噂を二種類流したからといって、それがなんだというのだろう?


「詐欺事件に関する手記がオークションにかけられると思っていたのは、ジマー卿、フランソワ卿、ドラ卿、そしてベイツ卿だけなんですよ。彼らだけに意図してその噂を流したわけです」


「なぜそんな手の込んだことを?」


「それに関しては、別段、高度な作戦があったわけではありません」


 アルベールは、そこはどうでもいいというふうに、軽く流した。


「アルヴァ殿下とこちらで意思疎通ができておらず、互いに勝手に動いた結果、まとまりがなくなっただけの話で。――けれどそれにより、ひとつ良いこともありました。夜会後、私を馬車で攫おうとしたゴロツキが、『オークションにかけられる予定の、詐欺事件について記した手記はどこだ?』と訊いてきたからです。ということはつまり、『オークション』と『手記』を結びつけた時点で、ゴロツキの雇い主は隣国の貴族である、ジマー卿、フランソワ卿、ドラ卿、ベイツ卿の関係者ということになる」


 当国の大多数の貴族たちに広まっていた噂は、『エメラルドの首飾りが闇オークションにかけられる』というものだった。だからどうしたって、『手記云々を出せ』という発想にはならない。


「そんなの言いがかりだわ!」


 ベイツ夫人がキッとアルベールを睨み据える。


「ジマー卿、フランソワ卿、ドラ卿がほかの誰かに伝えたかもしれない。『オークション』と『手記』を結びつけたからって、容疑者が数名に絞れるなんてことはないはずよ」


 まぁそれはもっともな主張であろう。アルベールとしてもこれのみを論拠とするつもりはない。


「話を先に進めます。――ゴロツキに『手記』のありかを問われた私は、それに対し、『目当てのものは女神像の中にある』と答えました。本来ならばジャンが接触してきた黒幕を直接捕らえて、終わりにできるはずでしたが、彼が下手を打って逃がしてしまった。犯人はその後見事に『女神像』を見つけ出して、粉砕したようです」


 ベイツ夫人はここでやっと落ち着きを取り戻し、眉尻を下げながら、わざと同情的な表情を浮かべてみせた。


「ではもう捕まえようがないわね」


 女神像はすでに壊され、中身が空だったと判明してしまった今、黒幕を脅かすものは何もなくなった。もうどうしようもない。ジャンが犯人と接触できなかった時点で、アルベールの負けは確定したのだと、ベイツ夫人はほくそ笑む。


 相手のダメージを確認しようとアルベールの顔を覗き込めば、意外にも目の前の青年は、余裕を失っていなかった。


「そうでしょうか? 犯人はここで致命的なミスを犯しています」


「何かしら」


「実は、壊されたあの像、『身代わり人形』なんですよ」


 意味が分からないとベイツ夫人は思った。――だから何? だし、それがなんなの? だ。あまりに苛立っていたため、ふたたび声に険が出てしまう。


「はぁ? なんですって?」


「ですからあれ、実のところ『女神像』じゃないんです。そもそもの話、伯母上はリヨサ国の人間にかつがれたことになります」


「……おやまぁ」


 しばらくのあいだ黙って様子を見ていた公爵夫人が『騙された』と天を仰いだ。彼女からすると、あれをありがたい『女神像』だと思い込んでいたので、かなりショックだろう。まぁ、旅先で現地人にカモられるというのは、あるある話というか、時折聞く話だが。


 ベイツ夫人はやっと話の展開が読めてきて、次第に顔から血の気を引かせていく。


「あのちんくしゃな物体を見て、『女神像』だと考える人は、まず存在しないと思いませんか? それに夜会当日、ヴァネル邸には、あれよりずっと美しい彫像が飾られていました。彫刻家が納品したばかりのそちらの像は、美しい淑女をかたどった彫刻で、出来栄えは大変素晴らしいものでしたよ。もしも『ヴァネル邸にある女神像』と言われたなら、大半の人間は、薔薇園の前のあの像を思い浮かべるはずです。――ところが。薔薇園の入口に堂々と飾られているあちらの淑女像は、いまだに壊されることなく、そのままの形で残っているのです」


 犯人はなぜ『女神像』と呼ぶに相応しい、あの彫像を放置したのか? 本来ならば真っ先にあれを壊すはずなのに。


「あなたは伯母上やイヴから、彼女が持ち歩いていたアレが、『女神像』だと聞かされていた。だからあなたは『女神像』と言われた時、あの像しか思い浮かばなかったのです。――ところであなたのご主人は、あれが『身代わり人形』だと正しく認識していましたよ。外国に行くことが多々あるベイツ卿は、雑学としてあれがなんなのか知っていた」


「だって――だってわたくし、公爵夫人にそう言われたから! 嘘を教えられるなんて思ってもみなかったし、外国は特殊なデザインの置物もあるから、そんなに不審に思わなかったわ。ええと、だけど――だけど、そうよ、それじゃあ、公爵夫人自身が犯人なんじゃない? 公爵夫人だって、あの小汚い彫刻を『女神像』だと思い込んでいたでしょう」


 アルベールは丁寧にベイツ夫人の反論を潰していく。


「しかし伯母上は、あの『女神像』が、現在宝石店にあると思い込んでいるのです」


「え、違うの?」


 公爵夫人の眉がピクリと動く。『女神像』が壊されたと聞いてはいたが、てっきり現場は宝石店だと思っていたのだ。だって姪っ子のイヴには、あれを宝石店に預けて、磨き上げておくように指示しておいたのだから。


「違います。あれは訳あって、劇場前にある彫刻家のアトリエに預けてあったのですが、今朝方破壊されて発見されました。そしてあの像があの場所――彫刻家のアトリエにあったことを知っているのは、ベイツ夫人、あなたしかいないのです。あなたは『女神像』がなぜアトリエに運ばれることとなったのか、その顛末をイヴの口から聞いていますね」


「そんなの、決定的な証拠にはならないわ!」


「これ以上に、何か必要ですか?」


 整った容貌のアルベールが、温度もなく夫人を見つめると、逆らいがたい神聖な気配が強まって、相対する者を震え上がらせるに十分だった。


「確かに、あなたと私の父が交わした、後ろ暗い証文などはこの世のどこにもない。けれど火を見るよりも明らかというやつです。貴族社会はちょっとした風向きでガラリと立ち位置が変わるものだ。ランクレ家の没落後、辛酸を舐めてきた私にはそれがよく分かっている。――実はね。アルヴァ王子殿下はずいぶん前から、あなたのことを疑っていたようですよ」


 アルベールはそう告げたあと、先日隣国へ行った際に、アルヴァ殿下と交わした会話を思い出していた。




***




 アルベールはお嬢様へ差し上げた宝石が、盗難品の疑いをかけられているなんて、冗談じゃないと苛立っていた。


 王子殿下はあっけらかんと、なんてことないというように、それを笑い飛ばした。


「ごめんごめん。あの宝石はね、事情があって表に出せないもので、もう王宮の誰もがその存在を忘れていたから、君にあげても問題ないと思って渡したんだよ。――だけどねぇ。私は今ちょっとした問題を抱えていたもので、その解決のために、君にあげたあの宝石が使えるんじゃないかと思いついたわけだ」


 アルベールはそれを聞き、そんなこと思いつかないでくださいよと思ったが、腹が立ちすぎて、突っ込む気にもなれなかった。


 実はアルヴァ殿下――犯罪行為に深く関与しているとして、ベイツ夫人には元々疑いをかけていたのだ。それは例のランクレ家の詐欺事件とは関係なく、まったく別の事件であった。そしておそらく夫であるベイツ卿も、妻を疑っているようなふしがあった。


 だから殿下は、ベイツ夫妻が離宮に滞在したタイミングで、偽の宝石盗難事件をでっち上げ、妻への疑惑を深めるよう、ベイツ卿に対してプレッシャーをかけ続けた。


 ――アルヴァ殿下はなぜそこまでして、ベイツ夫妻を追い詰めたのか?


 実は殿下の弟と、ベイツ夫妻の娘とのあいだに、婚姻話が持ち上がっていた。婚約が正式に発表されるのは一か月後――もしも婚約したあとに、ベイツ夫人の醜聞が暴かれた場合、それは王族の恥に繋がる。


 アルヴァ殿下は弟を可愛がっていたし、そんなおかしな家の娘と結婚もさせたくなかったから、それまでにどうしてもベイツ卿を表舞台から引きずり落とす必要があった。


「宝石についてはね、よくよく考えた結果、すべてが片づいてから、ちゃんとしようと思い直したんだよ。――君から一旦戻してもらって、正式に西の国から贈り直す。だって非公式にもらったものだと、高額すぎるから、あとで何かとマズいだろう?」


 そうすれば最終的にまた戻ってくるから、構わないよね? 王族特有の傲慢さで、そんなことをケロリと言ってのけるアルヴァ殿下を前にして、アルベールは言葉を失ってしまった。何か言ったとしても、この人は露ほどもこたえないだろうと思ったのだ。それならば言うだけ無駄である。


 アルベールは結局折れて、殿下に協力することにした。


「――立派な宝石をいただいたことで、かえって高くつきました」


 そう言ってやると、王子殿下は色素の薄い瞳を瞬いて、なんとなく感慨深げな顔つきになったのだった。


「そもそも君は、この件に無関係ではないだろう。――ベイツ夫妻はねぇ、君の存在をえらく警戒しているみたいだよ。何か心当たりはないかい?」


 アルベールはそれであることに気づいた。


 例のランクレ家の詐欺事件は、謎の部分が多かった。意気地のない父が主犯の名前を吐かなかったのは、『女』が関係していたからではないか。


 父のことだ――男から命令されていたのだったら、すぐにその人物の情報を売ったはずである。どうしようもない男だったが、恋人だけは最後まで守ったのかもしれない。


 ベイツ夫人があの詐欺事件の黒幕だったと仮定すると、彼女の立場になって考えてみれば、自分の子供と王族の結婚話が持ち上がっている今、なんとしてもそれをまとめ上げねばならぬと追い詰められていたはずだ。一つのミスも許されない。


 それなのにランクレ家の子供が、なぜかアルヴァ殿下と親しく関係を持っているようだ。


 ――アルベールがアルヴァ殿下と関わったのは、まるで別の事情なのだが、ベイツ夫人はもちろんそれを知らない。だからランクレの息子が何か掴んでいて、あの詐欺事件を蒸し返すつもりなのでは? と焦ったのかもしれない。


 彼女は自らが多くの人間を罠に嵌めてきたので、それがあだとなり、まるで無関係なことでも、自分が嵌められかけているのではないかと疑う癖がついていた。


 だって本来ならば、弱々しく日陰の道を歩んでいるはずのランクレ家の子供(アルベール)が、今や立派に成長し、ヴァネル伯爵の右腕になっているらしいのだ。アルベールは父親の起こした詐欺事件について、人一倍興味があるはず――もしもなんらかの方法で黒幕の存在を嗅ぎつけたのなら、きっと婚約話が持ち上がっている王子に密告するに違いない。


 ベイツ夫人は疑心暗鬼に囚われ、夫を上手く操りながら、アルベールの動向を注視し続けた。彼女にはコネがあったので、ヴァネル邸に滞在することが叶った。これにより自然な流れで、アルベールを探れる位置に行けたわけだ。




***




 アルヴァ殿下がずいぶん前からベイツ夫人を疑っていたと聞いた時の、彼女の狼狽ぶりは見物であった。


「そんなわけないわ!」


 自分が上手くやれていると思い込んでいただけに、それは信じがたい話だった。


「アルヴァ殿下は、弟君とあなたの娘との婚姻を、なんとか潰したかったようですね。犯罪者が身内になるなんて、最悪ですから」


 ゆっくりと馬車が停まる。閉幕の時間は近づいていた。余韻を楽しむこともなく、アルベールと公爵夫人は、さっさと馬車から下りようとした。


 ベイツ夫人はこれでもう終わりだと思うと、おかしな精神状態に陥ってしまった。先程までは早く終われと思っていたのに、逆転現象といったらよいのだろうか、今となっては、もっと根掘り葉掘り訊かれてもいいはず、もっと責められてもいいはず、もっと注目されてもいいはず、そんなふうに構われたいという気持ちが湧いてきたのだ。


 ――自分は彼にとって、もっと重要な人物でなければならない。過去の自分が、ランクレ子爵にとって、そうであったように。


「待って、待って、一つだけ――あなたのお父さまのことを、私は愛していたわ! 本当よ、愛していたの!」


 激情を込めて、苦悩に打ち震え、まるで舞台役者のように告げる。それはいかにも芝居めいていて、アルベールの心を一層冷めさせた。


 ――この愛の告白が、一体何になるというのだろう? 自分は純粋無垢なのだと、アピールしたいのだろうか。


 彼女はすべてがズレていて、考えが幼稚だった。


 彼女の内面世界は、まるで蜘蛛の巣を思わせた。――巣にかかったものを貪欲に喰らうように、自らの妄想に引きずり込もうとする。善悪など関係ない。彼女はいつだってどんな場面だって、自分が注目されていなければ気が済まない人間なのだ。


「でしたら、もうすぐ亡き父と再会できますね。あなたはもうすぐ絞首台に上がる」


 アルベールは淡々と近い未来に起こるであろう出来事を告げ、馬車から下りると、恭しく公爵夫人に手を差し出した。公爵夫人は優雅にアルベールの手を取ると、馬車を下りる際の支えとした。そうして地面に降り立った公爵夫人は、ベイツ夫人のことは一顧だにしなかった。


 二人は明るいほうへと去って行き、ベイツ夫人はその後現れた衛兵に周囲を囲われた。


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