最終章-4 ジャンの泣き言


 イヴ、アルベール、イヴの父であるヴァネル伯爵、そして従兄のジャンは、別室に移り、四者会談を始めた。


 ベイツ夫妻が客室に引き上げるのを見送ったあと、ジャンから切羽詰まった様子で『話がある』と詰め寄られたためだ。込み入った話のようなので、書斎に場所を移し、四者顔を合わせて、腹を割った話し合いをする運びとなった。


 部屋に入るなり、ジャンが興奮した様子で捲し立て始めた。


「一体どうなっているんだ! このところの騒ぎはまったく馬鹿げていて、僕の手に余る!」


 イヴは呆気に取られ、ヒステリーを爆発させた従兄を眺めた。


 ベイツ卿がいた時は必死に抑え込んでいたようだが、上がいなくなった途端、この始末である。タガの外れた今の彼ときたら、縄張り争いを繰り広げている非常事態のチンパンジーみたいだった。キーキー喚いて、正気の沙汰とは思えない。


 ――十代だった頃の、優等生然とした彼はどこにいったのだろう?


 ヴァネル伯爵もさすがにこれには呆れ返った様子で、


「まずは落ち着いて。ソファに腰を下ろしてから、順を追って話をしようじゃないか」


 甥っ子に文明社会での在り方を諭している。そうして席のほうに彼を誘導しながら、自らお手本を示すように、二人がけのソファに腰を下ろしてみせた。


 イヴはといえば、感情的になっている従兄(ジャン)に対し、ちょっとした脅威を感じていたので、リスク回避のために、父の隣の席に腰を落ち着けた。イヴは当然、ジャンも父の勧めに従い、向かい側の席に腰を下ろすものと考えていた。――ところが。


 ジャンは興奮さめやらぬ様子で、捕獲され檻に入れられた野生動物のように、そこらを歩き回るのをやめようとしない。


 そんな中で、アルベールは冴え冴えとした空気を纏い、静かに佇んでいた。それでも彼のことだから、警戒心は解いていないのだろう。さりげなくイヴの近くに寄り、何かあった時にすぐに動ける位置をキープしている。彼にとってこの時間は業務外といってもよかったから、皆と一緒に椅子に座るのかと思っていたが、彼自身腰を下ろす気がないようだった。


 かといって従者タイムが継続しているわけでもないようで、整然と行儀よく控えるのはやめて、彼にしては珍しく砕けた態度で腕組みをしていた。それに気づいたイヴは、彼のその斜に構えた態度を見て、妙にソワソワしてしまった。


 ――なんとなく、出会ったばかりの頃を思い出していた。彼は素の状態に近くなると、抑えられていた色気が滲み出てくるような気がする。少しアンニュイで、けれど怒らせたら、抜き身の剣みたいに鋭い。今の彼は表面上こそ平静に見えるのだが、もしかすると機嫌が悪いのかもしれなかった。


「一体何があったんだ、ジャン」


 甥っ子が着席しないので、諦めた様子でヴァネル伯爵がそう尋ねた。するとジャンは血走った目でヴァネル伯爵を見返した。


「少し前の話ですが、西の国で宝石の盗難事件が起きたのです。あの一件のせいで、僕の未来は閉ざされようとしている! あの一件から、すべてが悪いほうに向かい始めたんだ!」


 語るあいだもジャンの足が止まることはない。歩きながら、派手に両手を動かし、大声で訴えてくる。それらの言動が、まるで舞台俳優のように大袈裟だったので、イヴは白けた気分になってしまった。


 ――とはいえ彼の語る内容に、興味も引かれていた。宝石盗難事件が起きたからといって、どうしてジャンが窮地に追いやられるのだろう? ジャンが犯人か被害者でない限り、そう影響を受ける話でもないと思うのだが。


「一体どういう状況だったんだね?」


「あの夜、アルヴァ王子殿下の離宮には、四つの名家が馳せ参じていました。僕もベイツ卿のつき添いでその場にいました。顔合わせ自体はただの季節柄の行事であり、四名家が集まった理由はさして重要ではありません。問題なのはあの夜、何が起きたのか、そして誰がやったのか、その二点のみです。――朝になると、離宮は大変な騒ぎになっていました。話を聞けば、なんと、アルヴァ殿下が所蔵していた国宝級のエメラルドが、忽然と消えてしまったというのです!」


 ――国宝級のエメラルドですって? イヴはこれに虚を衝かれた。思わず傍らに佇むアルベールのほうを見上げるのだが、彼は表情一つ変えずに、ジャンの話に聞き入っている。


 イヴの反応は明らかに不自然であったと思うのだが、当のジャンは興奮しきっていて、そのことに気づいていない。彼はすべてを吐き出して楽になってしまいたいとばかりに、矢継ぎ早に続ける。


「盗難事件後、ベイツ卿には、アルヴァ殿下から大変なプレッシャーがかけられました。途中経過は省きますが、殿下は、宝石を盗んだのは四名家の中の誰かだと考えていて、早急に犯人を挙げるよう、今もベイツ卿に迫っているのです」


 容疑者である四名家の中には、当のベイツ卿も入っているので、自身も疑いをかけられながら『早く犯人を挙げろ』と王族からせっつかれるのは、相当厳しい状況であると推察された。


「使用人は容疑から外れているのか?」


 ヴァネル伯爵が問えば、


「厳重な警備をかいくぐって、あまりに鮮やかに盗み出されたので、王子殿下としては、かなり上位の者が手引きをしたと考えているようです」


 ジャンが答えた。彼はぶちまけたことで少し冷静になったのか、肩を落とし、急に落ち込んだような素振りをみせた。そのアップダウンの激しさに、誰もついていけずにいる。精神的に追い詰められているのかもしれないが、それにしてもこれはどうなのだろう。


「ベイツ卿は王子殿下から過度なプレッシャーをかけられ、ずっと不機嫌なんです。それで僕に当たり散らすようになりました。彼は元々気難しいところがありましたが、それでも僕は彼に気に入られていたし、以前はそれなりに尊重してもらって、上手くやれていたんだ。だというのに、このところの僕は、まるで彼の飼い犬みたいに首輪をぎゅうぎゅう締め上げられて、引きずり回されて、尊厳を打ち砕かれている。しまいにベイツ卿は、宝石盗難は僕の仕業じゃないかと言い出しました。――僕はどうしたらいいんです? こんな時、人は『やっていない』ということを証明するのは不可能だ! そんなこと、到底できっこない!」


 ジャンの顔が歪み、赤らみ、彼が混乱の極致にいることが伝わってきた。確かに彼の置かれた状況はなんとも理不尽で、世知辛いものがある。


 ――しかし、とイヴは考える。人は『やっていない』ということを証明するのは不可能――それは十代の頃、アルベールが主張したかったことではないだろうか。


 人はつらい時、近しい誰かに信じてもらう――ただそれだけのことで勇気をもらえるものだと思う。味方がおらず、孤軍奮闘するのは精神的にキツい。昔のアルベールは一人で戦った。味方は誰もいなかった。一緒に育った従兄のジャンは、アルベールを無慈悲に切り捨てたし、それは育ての親である叔母夫妻も同じだった。


 ジャンはアルベールを疑ったくせに、こうして反対の立場に置かれてみれば、自らを疑った人間を片っ端から非難している。それはあまりに自分勝手ではないのか。


「――潔白を証明したいなら、真犯人を捕まえればそれで話が済む」


 不意にアルベールが口を開いた。それは清々しいほどにシンプルな理論だった。これ以上に的確な意見もないだろう。カンニング疑惑をかけられたアルベールは、やっていないことを証明することが困難だった。しかしジャンの場合は、宝石の行方を追えばよいのだから、達成条件が明確である。


 それにジャンはアルベールのように、生い立ちにより偏見まみれのレッテルを貼られていないわけだから、努力したぶんだけ、正当に評価してもらえる立場にある。


 ところがジャンはこれに腹を立てた。


「お前に何が分かるんだ、偉そうに! そもそも僕がこんな目に遭ったのは、全部お前のせいじゃないか! ランクレ家の腐った評判のせいで、親戚の僕までとばっちりを受けている! 詐欺師の血筋など絶えてしまえばいい!」


 ランクレ家と縁続きなのは、何もジャン一人だけではない。イヴだってそうだし、ヴァネル伯爵に至っては、実行犯が実の妹という近しい間柄だ。


 大体、血の繋がりという観点でいえば、縁戚関係にある我々全員に、その詐欺師の血とやらは流れているわけである。だからこの糾弾は、ジャンとしてはアルベールだけを責めたつもりでいるのだろうが、同席しているヴァネル親子をも不快な気持ちにさせていた。


 ジャンは隣国にいて、さして影響も受けずに育ったくせに、自分一人がわりを食ったというように、恥知らずな主張を繰り広げている。


 ヴァネル伯爵が眉根を寄せ、


「――ジャン、君は、我々に助けてもらう気はあるのかね?」


 と至極もっともな問いを口にした。そして喚いてばかりいる甥っ子にうんざりしたのか、疲れた様子でソファの背に寄りかかった。


 イヴはこの時点では澄まし顔でソファに腰かけていたのだが、次いでアルベールの口から飛び出したとんでもない台詞を耳にして、驚きのあまり座面からお尻を少し上げてしまった。


「――その盗難事件だが、君がやったのでは?」


 感情を排除した、凪いだような声だった。


 ジャンとしては、いっそ憎々しげにこれを言われたほうが、まだマシだったのではないだろうか。彼は目を剥き、さっと顔を赤らめた。――イヴは彼がまた怒鳴り出すと思った。しかしそうはならなかった。次の瞬間には、ジャンは傷ついたような目で、しょんぼりとアルベールを見返したのだ。


「そんな、僕がやるわけないじゃないか。なんでそんなことを言うんだ」


「疑われるには、それなりの理由があるんじゃないかと思っただけだ。他意はない」


 面倒そうに切って捨てるアルベール。彼の態度はあまりに冷淡だった。


 今度こそジャンの闘争心に火が点いたようである。顔を歪め、目をギョロギョロと動かし、歯を食いしばっている。


 ――そろそろくるかしら。イヴは怒声に備えて、耳の穴を指で塞いでおこうかと思った。


 ヴァネル伯爵はこれらの感情的なやり取りに心底うんざりしたようである。彼はさっとソファから腰を上げた。


「これで解散としよう。もう夜も遅い」


「ヴァネル伯爵! まだ何も解決していません!」


「今日はこれで終わりだ、ジャン」


 伯爵の態度はさすがに堂々としていて、人を従わせる力を持っていた。ジャンは悔しそうに拳を握り、俯いてしまった。


 ――ああ、助かった、とイヴは息を吐いた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る