3-B 『エンドウ豆と王子さま』


【前書き】

 

 本作はアンデルセン童話『エンドウ豆の上に寝たお姫さま』(※)をモチーフにしています。

 (※)お妃探しをしていた王子のもとに、ある嵐の晩、びしょ濡れのお姫様が訪ねて来て……と言うお話。




【本文】


「縁談は例外なくいつも伯母さまが持ち込んで来るのですか?」


 髪結いのマリーがいつものようにイヴの髪にブラシを通しながら尋ねた。――お嬢様の金色の豪奢な髪は、眺めているだけでも楽しめるのだが、触れた時にもっともその真価が発揮される。マリーはそう考えていた。しっとりとして滑らか。そしてとても良い香りがする。


 イヴは少し考え、


「例外もあったわ。――当家のカントリーハウスに迷い込んだ男性が、そのまま求婚者に変わったこともあったの」


 マリーは目を丸くして、鏡越しにお嬢様の顔を見つめる。


「ええ? 求婚者が遠路はるばるやって来る、なら分かりますけれども、そんな野良犬みたいな接近方法ってあるんですか?」


「確かにあれは、野良犬のような接近方法だったわね」


 視線を彷徨わせたイヴは、当時のことを思い出したようで、くすりと笑みを零した。


「ああ、だけど、あの時は屋敷に伯母さまもいらっしゃったのだわ! 縁談の陰に、伯母さまありよ。あの方はまったく、『姪っ子に縁談を押しつけていないと死んでしまう』呪いにでもかかっているのかしら」


「というか、その求婚者は、伯母さまの仕込みなのでは?」


「それはありえないわね。だって彼らが当家を訪ねて来たのも、一晩雨風をしのげる場所が欲しかっただけなのだし」


「天気が悪い日だったんですね」


 マリーの言葉をきっかけにして、あの日の雲の重さや、叩きつけるように降り注ぐ雨、雷鳴の轟く音までもが脳裏に蘇った。本能的な恐怖を感じるような闇夜だった。


「――外は嵐だったわ」


 反射的に窓の外を眺めれば、今日はとても穏やかな日で、あの嵐の晩とはまるで違う。イヴは当時の状況を思い出しながら続けた。


「あの夜は立て続けに、二組の客がやって来たの」


「あらまぁ、そんな日に、二組も」


「一人目の客は、みすぼらしい男性だった。服はずぶ濡れな上に、泥にまみれてよれよれ。けれどよくよく見れば、布地やデザインは高価な代物だったわ。彼はこう言った――『私は南の国の、地主階級に属する者だ』と。旅行でこの国にやって来たらしいのだけれど、嵐でお付きの者とはぐれ、なんとか自力でヴァネル邸まで辿り着いたんですって。その言葉のとおり、彼は手荷物一つ持っていなかったの」


「なんとまぁ、怪しい。それで、一晩泊めて欲しいというわけですか?」


 マリーは胡散臭そうに眉を顰めてから、ハッとしたように瞳をきらめかせた。


「アルベールさんはどうされました? あの方は、お嬢様に少しでも危険が及ぶようなことがあれば、黙っていないでしょう?」


「ところがアルベールは、折悪く不在だったのよ」


 イヴは困ったように溜息をつく。


「あの夜は、父も母も知人宅に出かけていて不在だったの。けれどまぁ、滞在中の伯母さまがすべてお決めになられたわ」


「どのようにされたのです?」


「伯母さまはさして悩むこともなく、『お泊めしましょう』とおっしゃったの」


「ええ? どうして?」


「泥まみれなところに惑わされなければ、その迷い人の物腰には品があり、彫の深い顔立ちの美男子だったのよ」


「それにしても、そんな状況で即断とは、豪気ですねぇ」


 使用人がいるとはいえ、家人が女だけの屋敷に、身元のはっきりしない者を泊める――たとえ人助けだとしても、簡単に決断できるものでもない。


「私、伯母さまの苦手なところって沢山あるのだけれど、ああいう思い切りの良い所は、なんとも憎めないというか、嫌いになれないところの一つだと思ったの」


 イヴは悪戯っぽく肩を竦めてみせてから、話を進める。


「次にやって来たのは、立派な馬車に乗った、美しい青年だった。白金の髪に、澄んだ湖を思わせる瞳を持つ彼は、中性的な雰囲気だったわね。沢山の召使を連れた彼は、『私は西の国の商人です』と言い、『嵐で道に迷ったので、一晩泊めていただけませんか』と頼み込んできた」


「――それで、もちろん伯母さまは?」


「どうぞお泊まりくださいとおっしゃったわ。――伯母さまは女の勘で、『彼らはやんごとなき身分の方々で、地主と商人というのは、仮の姿に違いない』と思ったみたい。晩餐のあいだも、伯母さまは息をするかのごとく自然に、私のことを彼らに売り込んだ。――そのせいかしら。食後にカードゲームしたのだけれど、どういう訳か私は、二人から求婚されていた。あれは伯母さまの強烈なアシストあってこそ、だったわね」


 さすが縁談の取り纏めが得意なだけのことはある。どんな話題であろうとも、強引に『結婚』のほうに話を持って行く、まさにパワープレイ。初めは適当にあしらっていた二人の紳士であるが、次第にその気になり、イヴを意識し始めたようだった。


「お嬢様はどちらがタイプでした?」


「なんともいえないわねぇ」


 イヴは困った様子で考え込んでしまう。


「お二人の話は面白かったし、楽しい時間を過ごせたのは事実よ。だけど彼らが『あなたに求婚してもよろしいですか?』と私に尋ねた時、タイミング良くアルベールが帰って来たの。外套はびしょ濡れで、髪は少し乱れていた。彼にしては珍しく疲れた様子だったわ」


「おっと、とんでもなく面白い展開になってきました」


 マリーはイヴの後れ毛を整えながら、ワクワクして続きを促す。


「ああでも、そうだ――そもそもどうしてアルベールさんは出かけていたのですか? そんな嵐の晩に、お嬢様のそばにおらず、屋敷を不在にするなんて、彼らしくないわ」


「ああ、それはね。その頃、隣国で立て続けに、強盗事件が発生していたからなの。当初強盗団は南の国で荒稼ぎをして、次に西の国に拠点を移した。西の国境は当家のカントリーハウスから近いので、強盗団がこちらに移動してくるのを心配したアルベールが、巡回に行ってくれていたのよ」


「ちょっとそうなると、話が変わってきますよ」


 マリーが途端に大声を出す。


「でしたら客人のどちらかが、強盗なんじゃありません? だって嵐の夜に貴族の邸宅に押しかけてくるなんて、ものすごく怪しいわ。――どうして伯母さまは、そんな状況で、見知らぬ相手をお泊めになったんですか?」


「伯母さまはその時点では、事件のことは知らなかったのよ。それは私もそうなのだけれど」


「どういうことです?」


「南の国は、強盗団に好き勝手やられたあげく、結局取り逃がしてしまった。それが国の恥になると考えて、南の国の王族は、近隣諸国に話が回らないように情報規制していたようなの。そしてそれは西の国も同じだった。――アルベールはむしろよくその情報を掴んだものだと思うわ。私たちに強盗の件を話さなかったのは、あの時点ですでにもう、強盗団の情報を掴んでいたからなの。居所は分かっていて、その上で当家に危険はないと彼は判断した。だから私たちをいたずらに心配させないよう、外出の理由はボカしていたのよ。橋の点検、というようなことを言っていたかしら」


「なるほど。それでアルベールさんは、自分が不在にしていたあいだに客人が二組も招かれていたと知り、どうされましたか?」


「――帰って来たばかりの彼も加わって、四人でカードゲームをしたわ」


 アルベール、イヴ、南の国の大地主、西の国の商人、その四人で。伯母は疲れたと言って、早々に部屋に引き上げてしまった。


「おやまぁ」マリーは思わず天を仰ぐ。「なんとも込み入った状況だわ。――だけどやっぱり怪しいのよねぇ。私は西の国の商人――つまり立派な馬車でやって来た、美しい青年が強盗団のボスじゃないかと怪しんでいます」


 イヴに話しかけるというよりも、考えを整理しているようだ。マリーは視線を揺らしながら、ブツブツと呟きを漏らしている。


「どうしてそう思うの?」


 イヴは彼女の説に興味を引かれた。


「あら、だって、いかにも怪しいではないですか? 彼が連れていた沢山の召使というのも、きっと強盗団の手下なんですわ。優美な外見というのも怪しい。悪党というのは、一見そうは見えない者も多いですからね。その立派な馬車に積まれていた荷物は、方々で強奪してきた盗品かもしれません」


「なるほどね」


 イヴは楽しげに、マリーの推理を聞いている。


「――と、それよりお嬢様? 強盗団の正体はさておき、求婚の話はどうなりました?」


「私は彼らにこう言ったの――『その話は、カードゲームでアルベールに勝てたら聞きます』と」


「それはいけませんね。不謹慎です」マリーは渋い顔だ。「結婚するかどうかを、賭けに任せてしまうだなんて! アルベールさんはさぞかしお怒りになったのでは?」


「溜息をついていたわ。――彼の澄んだ青灰の瞳がこちらを一瞥した時、私はなぜか、薔薇の棘を連想した。それで私は『きっとあとで、ちょっとしたお小言を頂戴することになりそう』だと悟った」


「それは叱られて当然です。お嬢様、アルベールさんが負けたらどうするつもりだったんですか」


「あらマリー、まさかアルベールが負けるとでも?」


 イヴはそれこそおかしいわ、と笑みを浮かべる。気を抜いた笑顔でも、口角の上がり方が美しく、蠱惑的な笑みだった。


「実は彼って、イカサマ博打のプロなのよ。私はアルベールが絶対に負けるわけがないと分かっていたし、そのそも客人たちは『求婚してもいいか?』と尋ねてきたのだから、彼らのどちらかが勝ったとしても、私としてはただ話を聞くだけのつもりだったのよ。縁談を受けるとは、一言も言っていない」


「……悪女」


 マリーはドン引きしているが、イヴは別に悪いことをしたとは思っていない。


 それに彼らは、イヴに本気で惚れて込んでいる感じではなかった。イヴも子供ではないので、互いのあいだに漂う空気感でなんとなく分かる。


 彼らはイヴを通して、別の高度な駆け引きをしているような気配があった。それがなんだったのか、結局、分からなかったのだけれど。


「それで、アルベールさんは勝ちましたか?」


 考えごとをしていたイヴは現実に引き戻された。マリーと目を合わせ、にっこり笑ってみせる。


「ええ、もちろん。私のアルベールが負けるわけないもの」


 このあっけらかんとした物言いに、マリーは心の中で『ごちそうさまです』と呟きを漏らした。


 イヴが話を締めくくる。


「私はその勝負を見届けてから退室したのだけれど、アルベールと二人の客人たちはその夜遅くまで話し合って、親交を深めたみたいよ。――これは後日談になるのだけれど、アルベールと南の国から来たエキゾチックな男性が協力して、無事に強盗団を捕まえたのですって。アルベールは結果的に、南の国に多大な恩を売ったっていうわけ」


「――では、一件落着ですわね」


 結局、嵐の夜の客人は、どちらも強盗ではなかったらしい。マリーは少しだけがっかりしのだが、『そうそうドラマチックな出来事があるわけもないか』と自分を納得させ、髪結いの仕上げにかかった。




***




 さて――イヴがカードゲームを降りたあと、あの嵐の晩に、三人の青年は何を語り合ったのか?


 そこで交わされた内容は秘密裏に処理されたため、彼らのほかに詳細を知る者はいない。


 つまりこれは、イヴさえも知らぬ事実である。




***




 雨風がガタガタと鎧戸を揺らす音をバックに、長く繊細な指でカードを切りながら、アルベールが口を開いた。


「――予定は狂いましたが、こうして落ち合えてよかったです。待ち合わせ場所にいらっしゃらないので、少し焦りましたよ」


 アルベールの言葉に反応し、商人を名乗っていた西の国のアルヴァ第三王子殿下が、白金の髪を揺らし、疲れたように溜息を吐く。


「嵐で通れなくなった道があって、ルート変更したことで、すっかりまごついてしまったよ。けれど君の身元は分かっていたからね。先触れなしで不躾かとは思ったが、ヴァネル邸を目指すのが一番良いと判断したんだ」


「私も同じだ」


 そう答えるエキゾチックな面差しの、南の国のマテオ第二王子殿下は、湯を借りて今では大分マシな装いになっているが、屋敷についた時は浮浪者のような出で立ちであった。


「雷に驚いた馬が暴走して、えらい目に遭った。部下とははぐれるし、ここへ辿り着けたのはほとんど奇跡だ」


 ――ところで、なぜ近隣国の王族が、他国の伯爵家であるヴァネル邸に集うことになったのか? これにはちょっとした訳があった。


 一週間前、アルベールは持てるコネをすべて使い、西の国と南の国、両国の要職者に召集をかけた。それも秘密裏に。


 こちらがチラつかせた内容が、かなり魅力的だったのは間違いがない。それでもアルベールは、やって来るのは大臣クラスだろうと想定していた。――まさか両国とも王族が出て来るとは、意外な成り行きではあった。こうなってみると、両国ともに、一連の強盗事件によほど頭を悩ませていたことが分かる。


 強盗団は西の国、そして南の国で、貴族階級のカントリーハウスを次々と残虐な手口で襲っていった。それがあまりに荒っぽい仕事ぶりであったので、大多数の人間が『犯人はきっとすぐにミスを犯すだろう』『すぐに捕まるだろう』と考えていた。


 しかし一向にそうはならない。両国の有力貴族たちは、国の中枢部に不満を募らせていった。人は酷い目に遭った時に、どこかに不満のはけ口を求めるものだ。


 貴族たちも自領のみの被害ならば、『自衛が足りなかった』として、ほかに責任転嫁することはできなかっただろう。ところがこのとおり、被害は国中に及んでいる。そのため『中枢部がリーダーシップを発揮して、なんとかしろ』という声が次第に大きくなる。


 そんなギリギリの状況の中、まるで無関係の第三国から、有力な情報が提供された。――情報提供者は、アルベール・ランクレという一人の青年だった。


「それで」


 中性的な雰囲気のアルヴァ殿下が、おっとりした調子で尋ねる。


「ミスター・ランクレ。犯人の情報は、どちらの国に売っていただけるのかな?」


 アルベール・ランクレの握っている『重要な情報』とやらが、どの程度のものなのか、まだはっきりしていない。しかしこうして両国の有力者を呼びついておいて、『山中で足跡を発見しました』程度のつまらない情報しか持っていないなら、どうあっても収まりがつかないだろう。


 問われたアルベールは持っていたカードを卓上に置き、胸ポケットから銀色の鍵を取り出して、それをテーブルの上に乗せた。


「私が握っているのは情報ではありません」


「なんだって? では何を」


「犯人一味の身柄を、すでに押さえています」


 そんなまさか! では、彼が今テーブル上に置いたこれは、牢鍵なのか?


「ありえない」


 普段、滅多なことでは動じないアルヴァ殿下が、驚愕に目を見張っている。


「――西(うち)と南、両国が国を挙げて犯人検挙に乗り出しても、繰り返し逃し続けた犯人を、すでに押さえているというのか?」


「私にとっては有利な条件もありました」


 アルベールは手柄を誇るふうでもなく、淡々と語る。


「事例が積み重なれば、パターンが見えてくる。――行動範囲、ターゲットの選び方、侵入方法。情報がある程度出揃っていたので、先回りすることが可能だったのです。――おそらく両国共、遅かれ早かれ、犯人を捕まえることは可能だったと思いますよ」


 お愛想ではなく、彼が本気でそう考えているらしいのが、アルヴァ殿下にも伝わった。しかし殿下は『それはどうだろう』と考えていた。――目の前の端正な青年は『自分にできたのだから、ほかの誰かも同様にできたはず』だと考えているようだが、もちろんそんなことはない。


「なぜ君はおせっかいを焼くように、犯人を捕まえて、我々に引き渡そうとしているんだ?」


 率直な気性のマテオ殿下は、訝しげな表情を隠そうともしない。警戒を強める彼に対し、アルベールは色素の薄い青灰の瞳を向けて、静かに答える。


「強盗団はとっくに我が国に入り込んでいました。そうなると一番初めに狙われるのは、国境に近いここ――ヴァネル伯爵のカントリーハウスです」


 アルベールの顔つきが鋭くなる。


「私は強盗団を早急に捕まえる必要があった。ヴァネル邸を荒らされるわけにはいかない」


 アルベールの行動原理は、すべてイヴ・ヴァネルに帰結する。大切な彼女を脅威から護り抜かなければならない。


 ――ところでこれは秘密の集いとなっているので、アルベールの態度も大分砕けた、非公式なものになっている。


 マテオ殿下は彫りの深い顔を微かに顰め、窺うように目の前の青年を見つめる。


「――せっかく捕らえたのだから、君は自国内で申し出るべきでは? そうすれば大々的に表彰されて、勲章でももらえただろうに」


 ――アルベール・ランクレという青年は、物静かで洗練された人物に見えるのに、実際にやっていることはあまりに破天荒である。彼はスタンド・プレイを好む性格には見えない。人物像がブレるというか、何を考えているのかよく分からなかった。こういってはなんだが、目的がはっきりしている強盗団よりも、空恐ろしいような感じがする。


 対し、アルベールはあくまでも冷静だった。


「私が国際問題を考えるというのもおこがましいのですが、当国が大々的に強盗団を捕らえてしまうと、それはそれで面倒なことになると思ったのです。かの犯人は、西の国、南の国、両国それぞれに大きな損害を与えています。両国国民は犯人が自国で裁かれることを望んでいる。我が国がここに介入してしまうと、どちらの国に犯人の身柄を受け渡すかで、頭を悩ませることになる」


 ――なるほど。公に委ねると、それはそれで面倒なことになりそうなので、国家レベルではなく、秘密裏に話を纏めてしまいたい、と。言っていることは、まぁ理解できなくもないのだが、やはり無茶苦茶なやり方であると思った。


「それで君は、どちらに引き渡すおつもりなのかな?」


 西の国の麗しい王子、アルヴァ殿下が慎重に尋ねた。――さて、この込み入った状況、この青年はどうケリを着けるつもりなのか?


 国力で言えば西(うち)と南は互角――しかしアルベールの国からすると、どちらかといえば、西(こちら)に恩を売っておいたほうが得だ。


 ただし少々ややこしいのだが、今の情勢では、西(こちら)はむしろ南に恩を売っておきたい。ならばどうしたものか。


 アルベールは淡い笑みを浮かべ、感情を読み取らせない謎めいた瞳で、両国の王子を順繰りに見遣った。


「いっそ先程のように、カード勝負で決めますか? あるいは、そう――私が独断で決めてよろしければ、今、決めてしまいますが」


「それでいい」


 マテオ殿下はとうとう匙(さじ)を投げた様子で、椅子の背に寄りかかかり、自棄気味に言い放つ。


「君が捕まえた犯人だ。どうするかを決めるのは、君であるべきだ」


「――では、これは貴方に」


 アルベールは銀の鍵を繊細な指で押さえ、それを滑らせるようにして、マテオ殿下の前に置いた。


「……なぜ私に?」


「南のほうが、強盗団から受けた被害が大きい」アルベールは淀みなく答える。「犯人の身柄を西に取られたとあっては、あなたのメンツが潰れてしまうでしょう」


「では、西(こちら)のメンツは潰れてもいいというのかな?」


 なんとなくアルベールの真意が分かってきたアルヴァ殿下は、ブルーアイをきらめかせて、悪戯に口を挟んだ。


 ――アルベールが初めから南(あちら)にだけ恩を売るつもりなら、そもそも西(こちら)の人間を呼ぶ必要はなかった。つまりこの男はご親切にも、西にも旨みを与えてくれるつもりなのだ。


 先の問いかけに答えたのは、アルベールではなく、南のマテオ殿下だった。


「今回譲ってくれたことに対して、必ず借りは返すと誓う。――今現在、両国間で滞っている幾つかの問題は、貴国に有利な形で決着することになるだろう」


 この言葉を引き出せて、アルヴァ殿下は満足げな顔つきになった。


 一方のマテオ殿下は片眉を上げ、毒気を抜かれたように声を張る。


「――さぁ、面倒な話は、もうこれで終わりにしようじゃないか。頭痛の種が片づいたんだ、強い酒で乾杯するぞ!」


 つまみのエンドウ豆も、ちょうど卓上にある。誰もその提案に異論は唱えなかった。




***


 エンドウ豆と王子さま(終)


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