12

「もうなんなの?こういうことはちゃんと行ってくれないとダメじゃない!」

 文字に起こせばきつい言葉だが、口調は穏やかそのものだ。岸辺薫子は事実、怒ってなどいなかった。

「心配したんだからねー。もう、そうならそうと最初から言ってくれればよかったのに」

「ごめん。なんだか恥ずかしくって言い出せなくて」

 ビビと岸辺薫子は大学の学食にいた。もう昼はとっくに過ぎており、人はまばらだ。二人が向かい合って座っているテーブルには新聞紙が広げられており、見るとそこには、

 十周年記念コンサート大盛況!

の文字が踊っている。

 見出しの下には大きな写真も載っていて、端の方にはピンクのドレスを着た笑顔のビビが写っていた。

「これは間違いなくあんただって、私すぐに気づいたわよ。だってあんたは巨乳だし、こんな大きなおっぱいがついてる女なんてあんたしかいないし」

「ちょっとかおちゃん、人を牛みたいに言わないで」

「事実じゃない。ってかさー、ほんとに私たち、あれから心配したんだからねー」

 ビビが車からいなくなったことに最初に気づいたのは長谷川秀樹だった。

「あれ、阿木野さんいなくないか?」

 滝川隆二がすぐに反応。

「ほんとだ……」

 二人が店内から車を見ると、後部座席には確かに人の気配がない。

「どうしたの?」と薫子。

「いや、阿木野さんが車からいなくなったっぽいんだけど」

「マジで?」

 三人は慌てて店外に出ると車を確認。後部座席には確かに誰もいなかった。

「おい……」

「これって……」

 三人はあたりを見渡した。ビビらしき人影はどこにもない。ほんの数分まではいたはずなのだ。それが今はどこにもいない。

「おーい!阿木野さーん!」

 滝川は大声を出したが、反応はない。

「えーどうなってんだ?」

「なんかやばくないか?」

「ってか、どうする?」

「私、電話かけてみるね」

 呼び出し音が鳴るばかりで電話は繋がらない。

「ちょっとービビちゃんどうしちゃったのー」

 薫子は青ざめた。滝川と長谷川も呆然としている。

「電話に出ないのか?」

「そうなのよー、呼び出し音は鳴ってるんだけど……」

「マジかー」

「なんかあったのか、それとも単に帰ったのか……」

「帰るなら帰るで一言あってもいいじゃん」

「まあそうだけど」

「ってかさー、いきなり誘ったのが悪かったんじゃないか?岸辺さー、事前に連絡した?」

「してないよー。まずかったかな?」

「そりゃまずいよ。それにさー。資料の話だって、あれ、最初から嘘臭かったよな」

「確かに」と長谷川。

「俺も話は合わせたけど、なんか嘘くさかったよー。ほんとかって」と滝川。

「だろ。俺もそうは思ったんだけど、けど、何かあるのかなって。なんかさ、俺たちといるのが嫌そうだったよね。他に約束とかあったんじゃないか?」

「かもな。岸辺さー、阿木野さんなんか言ってなかったのか?」

「別にー。ビビってそんなに付き合いいい方じゃないから、友達だって多分いないだろうし」

「そっかー。……にしてもどうする?」

「どうしよう?」

 三人は途方に暮れた。こんなケースはなかなかない。まさかいきなり人がいなくなるなんて誰も想定できないことだし、目立つ通りで人攫いなんてあるわけもないだろう。普通であれば、自らの意思でどこかに行ったか、あるいは自分の家に帰ったとしか思えないではないか。とはいえ、いずれにしてもそれらはあくまでも憶測でしかなく、肝心の電話が繋がらないのだから、判断のしようもない。

「なんで電話に出ないんだろう?」と長谷川。

「さー。ひょっとしたら出られない事情とかあったり?」

「なんだよ、その事情って」

「俺にわかるわけないだろ?」

「ねー、これからどうする?やっぱり警察に通報すべきかな?」

「岸辺さー、それはさすがに大袈裟だよ。まだ事件って決まったわけじゃないだろ?」

「そうだけどー」

「とにかく時間をおいてまた電話しようぜ」

「そうね」

 せっかくの楽しい日曜のドライブが台無しになってしまったことに三人は落胆した。

「あーなんだかなー」

「最悪だよ」

「なんかさー、言いたかないけど、誘わなかった方がよかったかもなー」

「かもね」

「ちょっと!あんたたち私の友達にひどいこと言わないで!」

「けどさ、こうしていきなりいなくなってさ、こっちの方がひどくないか?」

「それは確かにそうだけど……」

「だろ?なんか事情があるのかもしれないけどさ」

「何か事情があるなら言って欲しかったよ」

「だよな」

「それはそうよね」

 三人の話し合いはいつまで経っても平行線で、キリがなかった。確かにこんな状況では結論を出せという方が無理なのだ。

「とりあえずさ。移動してみる?」

「なんで?」

「この辺りにいるかもしれないし」

「ここから動くのはまずくないか?」

「じゃあどうする?」

「うーん……」

「なんかさ、もうどこにも行く気になれなくないか?」

「わかるよ」

「ちょっと待って、もう一度電話してみるから」

 やはり応答はない。その後何度か電話したが、やはり応答はなかった。

「あーあ。俺さー、なんか色々やる気無くしたわ」

「だな」

「岸辺さー、どうする?一旦帰る?」

「帰るって、ビビはどうすんの?放っておくの?」

「どうもこうも、どうしようもないだろ」

「それはそうだけど」

「一旦帰って、時間空けてからまた連絡してみろよ。それで電話に出たらいいんだし」

「出なかったら?」

「そんときゃそんときだろ」

「もう!ほんとにビビたったらどうしたのよ!」

「なんかさ、彼女ってすげー美人だけどめんどくさそうだよな」

「そんなことないわよ。どっかぬけてるっていうか、そういうところは確かにあるけど。それにこんなことなんて初めてだし」

「そっか。悪かった、なら俺が言い過ぎたよ」

「けどさ、やっぱりいきなりいなくなるのはダメよね、心配かけるしさ」

「だよなー」

 その後三人は車でそれぞれ帰った。三人とも今の天気のように暗い表情で、車内では誰も何も言わない。楽しいドライブはなんともつまらないドライブになってしまった。

 薫子はその後、何度かビビに電話をし、ようやく繋がったのは翌日、二人が学食に向かい合って座っているこの時より数時間前のことだった。薫子はすぐに会いたかったが、結局会えたのはこの時間。ビビは薫子を見るなり小走りで駆け寄り、ひたすら平謝りだったが、薫子はすでに新聞を読んでいた。

「ほんとに心配したんだからね。とりあえずりゅうくんと長谷川さんには私から連絡しといたけど、ビビも後でちゃんと謝っといてよね」

「わかった。ほんとにごめん」

「でもさ、記念コンサートとかすごいじゃん!なんで黙ってたの?」

「別にすごくないよ。だって花束贈呈しただけだし」

「え、何それ?」

「何それってほんとにそれだけだったんだから。ドレスに着替えて最後に花束をはい!って」

「えーじゃあ何、演奏とかしなかったの?」

「できるわけないよ。私が何か楽器演奏したの見たことある?」

「……ない」

「でしょー」

「じゃあ何、スカウトされたってこと?」

「スカウト?」

「そう。だってさ、普通、いきなり花束贈呈とかないっしょ。あんた美人だし、大きなおっぱいだし、それ見てさ、声とかかけられたんじゃないの?」

「違うわよ!友達に誘われたの!」

「友達?」

 ビビは新聞の写真で自分の隣に写ってる女性を指差した。もちろんナナコのことだ。

「彼女と友達になって、それで誘われたのよ。一緒に花束贈呈しない?って」

「へぇー。この女性ってあんたと雰囲気似てるけど、あんたより美人系ね。けどさ、外国人なんでしょ?あんた英語喋れないじゃん」

「彼女も喋れないよ。というか、彼女は私たちと同じこの大学の一年生なの」

「マジでー!」

 ナナコからは早速今朝メールがきた。絵文字入りで昨日はほんとにありがとう!お礼に明後日一緒にご飯食べに行こう!ビビはOKと返事。今日はまだ会ってないが、同じ大学なのだ、そのうち嫌でも会うだろう。なぜかナナコとは妙に波長が合う。きっとこれから長い付き合いになる予感がした。

「けどよかった。あんたなかなか友達作れないタイプだからさ。私、気にしてたんだ」

「心配かけてごめんねかおちゃん」

「まあとにかく。ところでこれからあんた用事あんの?」

「ないけど」

「じゃああんたの奢りでご飯行こ!当然高いとこじゃないとダメだかんね!」

「えー。高いとこってトトスとか?」

「なんでファミレスなのよ!」

「えーじゃあどこ?高いとこなんて私知らないよ」

「私も知らない」

 ビビと薫子は笑い合った。

「札幌駅とかにデパートあるじゃない。あのあたりとかならなんかあるわよ。ススキノはちょっと怖いから止めとこう」

「そうね。だって私たちそういうタイプじゃないし」

「そうそう。私ってまだまだ乙女だし」

「わかる。だって私も乙女だし」

 乙女ワードは二人の中では去年から流行っているのだ。

「けどさ、今度からはちゃんと言ってよね。もしも男友達が苦手ならさ、そういう場にはもう誘わないからさ」

「ごめんね」

 薫子には先生のことを話してもいいかな。けれど、薫子の性格を知っているからこそ、ビビはやはり黙っていようと思った。薫子を信用していないからではなく、必要以上に騒がれるのが嫌なのだ。先生は私の夢の具現化。大事な大事な人なのだ――

 ところで、そんな大事な先生こと伍郎からのメールは、ビビが薫子との食事を終えて地下鉄駅で別れてからすぐに来た。


 無事に着いたよ。 

 色々あったね。

 お疲れ様だったね。


 ビビはすぐさま返事を出す。


 先生こそお疲れ様!本当にありがとう!何か食べましたか?


 今朝食べたよ。空いてるスーパーがあったから、そこでおにぎり4個


 食べましたね。昨日は本当にごめんなさい

そしてありがとう!玄関のプレゼントもありがとう!


 いいんだよ。それより疲れは取れたかい?


 すっごく眠れたのですっかり取れました。先生は疲れてないですか?


 疲れてないといえば嘘になるけど、気分はいいよ


 よかった。本当にありがとうございます


 こちらこそ


 メールを終えると、ビビは地下鉄駅を出て、少し歩く。自分のアパートはすぐに見えた。当然自分の部屋の電気はついていないが、その代わり、空には星が瞬いていた。ビビには星の知識はないが、星が綺麗だということはわかる。大都市札幌の夜空だから、そんなには見えないのだろうけど、それでも星は綺麗なのだ。

 エントランスを足速に通り抜け、階段で四階まで上がり、奥にある自分の部屋に着く。先生が昨日の昼過ぎに某商業施設で買ってくれたキーホルダーは早速鍵束のまとめる役割を担い、その役割を果たしていた。

 その鍵束を丁寧にリュックにしまうと、ビビは小さい声で「ただいま」呟いて部屋に入った。

 当然のことながら、誰も返事をしない。

 ビビはなんとなく物悲しい気分になってしまった。もちろん部屋に自分一人だけ、というものあるが、昨日とのギャップが激しすぎたからかもしれない。

 昨日は結局この部屋には帰ってこなかったなぁ。

 朝方に戻り、少ししてすぐに大学。この部屋でゆっくりする暇などなかったのだ。

 ビビはリュックを置いて、服を脱ぎつつフォトスタンドの先生を見る。そして「ただいま」と呟いた。もちろん返事はない。

「おかえり……」

 ビビは自分に返事を返した。

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