第六話「Water Train」3/4

そして待ちに待った(実際には緊張し過ぎて冷や汗がやばい!)水泳の時間がやってきた。いつまでもモジモジしている場合ではない、私は動揺を抑えきれないまま、出来るだけ気持ちを押さえつけながら更衣室に女子生徒たちに交じって向かった。


 進藤ちづるに入り替わってから最初の水泳の授業、緊張しないわけがない、しかし自然に振舞わないと変に思われてしまう、ちづるに念押しされた直後だし、なんとかこの場を乗り切らないと。


「進藤さん!」


 着替え中に急接近してきたのはクラスメイトの一人である春川さんだった。


「どうしたの春川さん?」


「ちょっと最近の進藤さん可愛いかもって、男子に渡しちゃうのはもったいないかなって」


「ちょっと何の話?!」


 私は春川さんのテンションの高さにいきなり押され気味なってしまった。


「あれ?動揺してる?やっぱり面白い、今のほうがいいよ」


「からかわないでよ」


 意地悪っぽいけど、これが春川さんなりの励まし方なんだろうか。あんまりクラスで孤立するよりはいいんだけど、あんまり仲良くし過ぎて身体を密着されたら正気で入れる自信がない。


「進藤さんって身長高いし、スタイルいいから羨ましいな」


「身長は平均くらいだと思うけど・・・」


「真理と比べてってこと」


「そんな、春川さんのほうが可愛くてモテてるでしょ」


「そうかなぁ・・・」


 春川さんはちょっと納得いかない感じでむくれていた。春川真理はるかわまりさんは150センチくらいの身長で髪が長く小顔でサッカー部のマネージャーをしており、サッカー部ではアイドル的な存在だ。

 部長と付き合っているという話もあるが詳しくは知らない。

 クラスの中でも人気が高くて、明るい性格で自分の意見はどんどん言う積極さが好かれる要因にもなっている。

 私から見れば春川さんは世渡り上手といった感じで先生からも信頼されている印象である。


「さぁ、遅れちゃうよ、早く行こう」


 なんとか着替え終わった私に春川さんが後ろから抱き着いてくる。思ったより軽い辺り、小柄な春川さんらしいところだろうか。


「ちょっといきなり抱き着いてこないで」


「いいじゃない、女子同士のスキンシップ」


 この子といると落ち着く暇がない・・・、嬉しいのと焦りとが一緒にきて落ち着かない、このスキンシップを自然に楽しめるほど余裕がないのが悲しい・・・、前途多難だ。


 7月に入り日差しの強い真夏のような暑さの今日は、冷たいプールに入ると、その冷たさでみんな水を得た魚のように大はしゃぎだった。


 一通り授業が終わって、自由時間になったところで春川さんは私に勝負を持ちかけた。


「進藤さん、真理と勝負して」


 当然の申し入れだった。春川さんは素に近づくと一人称が真理になるようだ。


「ええっ、私と?」


 私は自分のことを指さしながら言った。

 今や猫になっているちづるの話しからしても進藤ちづるはあまり目立たないタイプの人間という話だったのに、どうしてこんな目をつけられてしまったのか、想定外にもほどがある。


「ここではっきりしておこうと思って」


「どういうこと?、唐突過ぎて付いていけないんだけど・・・」


 それはどっちが早いかってことだろうか?、真意はわからないが春川さんは言葉をつづけた。


「進藤さんが勝ったら、進藤さんも進藤さんの家族のことも責めたりしない、そのかわり、真理が勝ったら一つお願い事を聞いてもらうってことでいい?」


「本気なの?」私は聞いた、春川さんがそんなことを考えてるだなんて思わなかったからだ。


「うん、どう受けてくれる?」


 私にとって何の得のないような話にも聞こえるけど、これは断ると面倒なことになりそうだし・・・、断るのは難しそうだ。


「うん、やろう、私負けないから」


 私はうなづいて見せた、ここで断るのはさすがに気が引けた。


「真理だって負ける気はないよ」


 春川さんは自信満々だった、私だって負けられない、身体は女になっていたって勝負事なら別だ、男であったことを全力で利用させてもらう。


 春川さんと私が位置に着く。

 

 委員長の山口さんが笛でスタートの合図をしてくれることになった。山口さんは私のことを心配してくれたけど、私は「大丈夫だよ、見守ってて」と明るい笑顔で伝えた。


「うん、私、進藤さんのこと信じる、でも無理はしないでね、病み上がりなんだから」


 山口さんは前に進もうとする私の意志を理解して納得してくれたようだ。何かを変えるためにはきっかけが必要だ。それはいつやってくるかわからないけど、春川さんはきっと悪い人ではない、これは一つのチャンスだと受け取るべきだ。


「進藤と春川が何か勝負するみたいだぜ」


 周りも私と春川さんの勝負に気付いたようで、男子を含めてこちらに視線を向ける。


「何だか大事になってない?」


「怖気づいちゃった?進藤さん?」


 春川さんは意地悪な笑みで言った。

 その笑みはこんなに注目される事態を望んでいたかのようだった。


「そんなことない、見られてたって平気だもん」


 平気なわけないのだが、私は強がって見せた。


「進藤さんやっぱり面白い、さぁ、いくよ」



「それじゃあ、位置について—―――」



 山口さんの号令が聞こえた。


 瞬時に集中して身体に力を入れる、春川さんも真剣な表情へと変わり、同様に飛び込む姿勢に入る。


 裕子は祈るように両手を組んでいる、新聞部の秋葉君と大島君も二人そろってこちらの様子をじっと見つめている。


「よーい!」


 ピーー!!と笛の音が鳴って、二人同時に勢いよくプールに飛び込んでいく、クラスメイトが見守る中、二人の戦いが始まった。


 ザブン!と大きな水しぶきの音が周りにまで響き渡った。

 お互い隙のない飛び込みだった。

 そこからお互い綺麗なフォームで平泳ぎへ移行していく。勢いよく水音を上げながら、しかし無駄のない動作でお互いへ並行して突き進んでいく。

 観客からは感嘆の声が漏れた、一瞬でこれが遊びではない真剣勝負なのだと分かった。


「すげーぜさすが春川!」


「進藤さんも負けてない、春川さんについていってる」


 女子にとっては自分よりも優れた水泳動作に惚れ惚れして言葉を失くしている、男子は真剣勝負を理解してか面白がって、どっちが勝つかを周りの男子と予想しあっている。


 クラスでもサッカー部でも人気者の春川さんとの勝負は、異様な盛り上がりとなっていた。


 春川さんの運動センスのルーツはやはりサッカーだった、以下、春川さんとの会話の回想。


「なんだか不思議、春川さん運動得意なのにどうしてマネージャーなんかになったの?プレイヤーとしても活躍できると思うのに」


「それはね、ちゃんと真理なりの事情があるんだよ」


 そういって私の疑問に対して春川さんはゆっくりと正直に自分のことを語り始めた。


「真理はね、ボールを追いかけてグラウンドを力いっぱい走るのが好きだった、ボールを取ってドリブルしてどんどん先へ向かって選手を躱しながら突き進んでいく、無我夢中で、無心で突っ走る、そうするとね、嫌なこととか余計なこと全部忘れられて、気持ちよかったの。だから小さい頃は男の子に混じってサッカーをやってた。


 でも、中学の時に女子サッカー部に入ってそういう自由が通用しないことを思い知らされた。

 周りの輪を乱してはならない、その部活の中ではチームワークが一番重視された。女子だけっていうのもやりづらかったんだと思う。

 走る速度も、パスを回すのも周りの速度に合わせなければならなくて窮屈で段々と楽しくなくなっていった。

 思い通りのプレーをさせてもらえない、自分の意見を言えば言うほど周りとの関係は悪化して孤立して、試合でも使ってもらえない。だから嫌になっちゃったの。


 自分の思うプレーができないのも、周りとうまくいかなくて不仲になっていくのも嫌だった。

 男子の相手や先生の相手は単純で分かりやすくて無理なくできた、でも同世代の女子と一緒にいると気を使わないといけない、言葉も態度も出すぎちゃいけない。

 自分と相手とを比べて自分をコントロールしないといけない、根本的には誰に対しても同じなのかもしれないけど、でも私にとっては周りに合わせることのストレスを感じてしまったから。


 だから今はとっても楽なの、無理に自分を抑えなくていい。これが正解なんだって思ってる」


 それは春川さんなりの苦難の日々で、それを経験してきたからこそ今のあるのだ。


 春川さんは自由に手を伸ばす、今でもあの頃の情熱は消えてはいない、それは身体を動かす一つ一つの動作に表れていた。

 少しずつ少しずつ春川さんが先へ進んでいく。一つ目の25メートルのターンで身体二つ分の差をつけられる。100Mの勝負ではペース配分も大事だ、後半にスタミナ切れを起こしては勝てる勝負も勝てない。

 互いに相手の出方を伺いながら勝負所を見極める。油断はせず、焦ってはならない。諦めなければ勝負は最後まで分からない。


 50メートルのターンでも差は変わらない、クラスメイトも春川さんの運動能力の高さは理解していて、見惚れてしまっている。

 サッカー部のマネージャーという肩書きで、さらにこれだけ運動ができて、しかも可愛いんだから、それは男子からも信頼されて当然といえる。


 負けられない、何かを変えなければならない。


”過去は変えられないけど未来は変えられる”、私は進藤ちづるだ。


 私は迷いを捨てる、私こそが進藤ちづるなんだ、だから絶対に負けない、ちづるにもこの気持ちが届くように、諦めなければきっと届く。


 誤解を解くために言っておくが決してスクール水着のおかげではない!、私は力をめいいっぱい入れて手足を伸ばす、後半の50mはクロールだ。春川さんとの距離が少しずつ縮んでいく、そして最後のターンが終わり身体をグンと伸ばした時、二人はまったく同じ位置いた。


「すげぇ!進藤が追い付いたぞ!」


 男子が興奮気味に言った。追い付いたタイミングで春川さんと一瞬視線が重なり、今の状況を互いに認識しあった。


「進藤さん、すごいすごい、本当に追いついてる!」


 あまり話したことのない女子も同じように驚いている。


 裕子は目にいっぱいの涙をため込んで、それでも決してこの勝負の結末から目をそらさないようにこっちを見ている。


「進藤さん頑張って!!」


 山口さんが一際大きな声が上げた。私の熱意が、想いが山口さんにいっぱい伝わっていた。クラスメイトが勝負の行方をまじまじと見つめる。


 最後のデッドヒート、ほぼ並列した状況で最後の25メートルを駆け抜ける。泳ぎながら隣で春川さんが満足げに笑っているのが見えた気がした。


 そして私は春川さんの本気を見た。それは真剣勝負だからこそ発揮されるプレーヤーの底力のようなものかもしれない。


 春川さんは春川さんでマネージャーとして男子たちがサッカーをプレイしているのを見ながらうずうずしていたのかもしれない、本当は自分もグラウンドで思い切り走りたいと。


 サッカーと水泳、競技は違えど自分の力を出し切れることには変わりはない、春川さんがスパートを駆けて私を追い放していく、そして身体一つ分の差をつけて先に春川さんがゴールした。


 その瞬間、クラスメイト達から大きな歓声と拍手が起きた。私と春川さんはゴーグルを取って、笑顔で握手した。


「ナイスファイトだったよ、久々に本気出せて楽しかったよ」


「負けちゃった、本当に春川さん、マネージャーには勿体ないくらい早いんだから」


「ううん、進藤さんが真剣に勝負してくれたから、だから最後のスパートが駆けられたの、進藤さんが追い付いてくれたから、絶対負けたくないって、真理も本気を出すことが出来たの」


 プールサイドに上がると熱烈な歓迎を受けた。裕子は泣きながら抱き着いてきた。胸が思い切り当たって気が気じゃないです!


「もう、ヒヤヒヤさせないでよぉ・・・」


「ごめんごめん、私は大丈夫だから」


「進藤さん、約束だけど」


 話しかけてきた春川さんの方を私は向いて軽くうなづいた。


「真理が勝ったけど、真理は最初から進藤さんのことも、進藤さんの家族を責める気はないの。

 だってそんなの真理のキャラじゃないし、ギクシャクしたのも嫌だから、だから進藤さんは進藤さんのままでいてくれていいんだよ。

 それから、私からのお願いはこれからは真理のことは真理って名前で呼んで、真理もちづるって呼ぶから」


 春川さんはみんなにも聞こえる声で言った、誰もその言葉を否定することなく歓迎ムードな中で、少しだけクラスメイト達に認められた気がした。



「真理ちゃーーーーん!!!」



 私は嬉しさのあまり真理ちゃんに抱き着いた。


「ちづるったら、真理のことちゃんづけなの~、それでも嬉しいけど」


 真理ちゃんの身体は一際柔らかった。小さな身体に熱い心と磨かれた運動神経を持ち合わせている、なんて愛おしいんだ!


 抱き着いていると真理ちゃんが小声でつぶやいた。


「今のは建前で、本当のお願いは別にあるの、今度また言うね」


 私は真理ちゃんの小悪魔ぶりに驚いた、一体何をお願いされるんだろう・・・、とんでもなく困難なお願いでないことを願おう・・・。



「やっぱり真理ちゃんは可愛いなぁ、ここにカメラがあればもういっぱい撮ってるんだけど」


「それは絶対ダメだろ!しかしほんとお前は春川のこと好きだな」


 遠くの方で秋葉くんと大島君が話していた。


「士郎だってずっと進藤さんの水着姿見てたじゃないか」


 二人は相変わらずだった。秋葉君は私のことが好きで、大島君は真理ちゃんのことが好き、男子というのは単純でシンプルだ。真理ちゃんの言うことは最もかもしれない。


 こうしてドタバタの今年初水泳の授業は終わりを迎えた。

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