第六話「Water Train」1/4

警察との一件があったせいで瞬時に性欲はなくなってしまった。家の前まで来て邪魔が入るとは思わなかった、驚きと緊張で甘い気持ちはすっかり遠いところに行ってしまった。


 最近の進藤さんの行動には驚かされる。今日だけではない、むしろどうしてこんな関係になってしまったのか不思議でならない。


 まるで人が変わってしまったようだ。その急激な変化が、今この現状を素直に喜んでいてよいのか分からなくて、時々自分を不安にさせる。


 自分が望んだことなのか、それとも進藤さんが望んだことなのか、あるいはその両方か、さても人と人の巡り合わせは難しい。偶然ともいえるし、運命ともいえる。

 人間関係が複雑に交じり合い、どこからが能動的でどこからが受動的なのか、お互いが求めあっているように見えて、その形は微妙に異なる。



 進藤さんは僕、秋葉士郎のことをどう思っているのだろう、恋愛感情があるかまではわからないが少しは男として意識してくれているだろうか、互いの望みを図りきるのは難しい、距離が近いてしまったからこそ疑い深くなる。


 心まで一つになるのは難しいように思う。お互いにとって都合がいいだけだったとしたら、それは寂しいだろう。



 進藤さんがあんなに表情をコロコロ変えて、僕に明るく接してくれるなんて夢にも思ってもみなかった。進藤さんは大人しい性格で男子にはそんなに心を開かないタイプだと思っていた。


 今まで内にある感情を押さえつけてきたのか、一緒にいてみると全然距離を感じるような、そんなことはなくて、拒絶したり距離をとったり遠慮したりすることもない。

 なんだか自然体で、触れると年相応に恥ずかしがってくれて、あんな悲惨なことがあった後だというのに、まるでそんなことなかったかのようだった。


 それが事件による怪我の後遺症で、記憶障害によるものだとしたならかなり歪だ。記憶を失うということはコミュニケーションを取るにしても不安が付きまとうはずだ、たとえ記憶が戻ったしても相手の反応を伺って慎重になるはずだ。


 記憶が戻るにつれ、心の傷がもう一度蘇っていく、それはいったいどれほどの恐怖なのか、体験せずに想像するのは難しい。しかし自殺未遂のことを知った時、妙に冷静だった。


 ずっと引っかかっていた謎が解けたからなのか、簡単にあきらめてしまった自分に対する憤りなのか、まだ自分のことだという実感が湧かなかったのか。正解は分からないがそれでも真実を知ることに迷いがないように思えた。


 考えれば考えるほど僕はまだ進藤さんのことを知らないのだ。彼女の気持ちをあまりにも理解できていない。ただ間違えないように、踏み込み過ぎないように、彼女に合わせているだけで、そんな中途半端でこの先うまくやっていけるのか、もっと取り返しのつかないところに行く前に自分の気持ちに正直になるべきではないのか。


 人間というのは難しい、文明人であればこそ、現代人であればこそ、好きと伝えるのがこんなに難しいのか、目の前のガラス戸を前に割らないようにどうすれば上手に綺麗に開けられるのか。

 傷つきたくないという気持ちと、この関係を続けたいという気持ちが邪魔をする、だけど身体はいつだって正直で快楽に流されていく。

 快楽を感じている時だけ、余計な感情を忘れられる、愛おしいという気持ちが許される。


 だが、こんな不純な関係がいつまでも許されることはないだろう。


 思い出しただけでまた溺れてしまいそうになる、忘れられるわけがない、諦められるわけがない、こんな経験、二度はないのだ。



 それにしても意外だった、進藤さんはどうして父親の面会に応じたのだろう、クラスメイトにまで巻き込まれるように責任を押し付けられて辛いはずなのに、助けてあげるような義理はないはずだ。どれだけの迷惑を受けてきたのか、本当は会いたくなんてないくらい憎いはずだ。


 何も面会に行かなくても日用品だけ警察の人に渡していればよかったんだ、どうしてあんなことを・・・。


 もしかして自首を迫りに行ったのだろうか・・・、その可能性は十分あるように思う。最近は委員長とも仲良さそうに話していた。雫さんを想う気持ちを共有していたなら、事件の早期解決のために自首を促すことは十分にあり得る。


 記憶を取り戻した進藤さんが責任を感じて”自分にできること”を自分で考えてみんなの意思を代弁しようと考えていたなら、警察から父親との面会の誘いが来たことは大きなチャンスだったはずだ。


 僕自身は進藤さんと仲良くできれば他のことはどうだっていいのだが、他のクラスメイトはそういう気持ちではないだろう。父親を許せない人もいる、いずれにしてもここからの大逆転はないように思う。

 進藤さんが何らかの証拠を持っていて、長期戦に持ち込むような展開を考えている可能性がないとは言えないが、このままいけばどのみち有罪になるだろう。


 その時に進藤さんを僕が支えて上げられれば一番いいのだが、それはまだまだ先のことで希望的観測でしかない。



 ずっと考え事をしていたら、空腹も忘れたまま気づけば家についてしまった。

 そして身体は正直だった。部屋に戻ると進藤さんのことを思い出していた。あれだけのことがあって、そのまま寝ることなんてできない、ただ欲望のままに慰め終わったころには、陽が落ち始めていた。

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