第26話 店長の好きな人

「トウヤ、なんでここにいるんだよ」


「だって前に言ったじゃないっすか。ヒロキ先輩がこの田舎に住んでるなら有給取って遊びに来るって。オレ、今まで有給全然使ってなかったですから二週間も休み取っちゃいましたよ。上司には『海外にでも行くのか』って言われから『田舎に帰りまーす』って言いましたけどね」


「い、田舎、そうか、わかったよ……」


 なんだかとんでもない事態になったが……そんなことよりも。ヒロキは自分の今起こっている事態に気づき、ハッとした。

 さっきから自分のことを脇腹に手を添えて、支えてくれている人物が横にいるのだ。


 慌てて手を払い除け、その男から距離を取る。迫りくるバイクから自分を助けてくれた、けれどさっきまで自分の身体の動きを封じ込めていた男……。


 タカヒロは疲れたように眉間にしわを寄せていた。


「全く……なんて事態だ。まぁいい、今日のところは帰るからな。ヒロキ、俺の言ったことを忘れるんじゃないぞ」


 タカヒロは一つため息を吐くと黒セダンへ歩み寄り、バンパーを確認する。さすがのタカヒロも車が台無しでちょっとショックだったのか、無言で唇を引き結んで車に乗り込んだ。

 そして倒れたバイクにぶつからないように車を走らせ、ぶぅんと田舎道を走り去っていった。


 一方、トウヤは倒れたバイクを「よっこいしょ」と起こすとバイクのエンジンを切った。


 途端にあたりは静かになった。

 今さっきまでの自分とタカヒロの争いが嘘のようだ。バイクと黒セダンのアイドリング音も全てがサーッと消えた、田畑に囲まれた静寂の世界。寒いから虫も泣いていない。


 ヒロキは夜空を見上げた。田舎の星はよく見える。遮るものもないし、空気がきれいだから。夜空には美しい月も出ていた。ほんのちょっと満月が欠けたような月だ。もう少し日が経てば完全な満月になる状態だ。


 今度の満月の日にはこの美月町の盛大な春祭りが行われる。

 せめてそれまで自分はここにいたい。

 ヒロキは月を見ながら唇をかみしめた。




 有給を取ったトウヤはどうやらしばらくこっちに滞在するらしい。


『先輩のお店のキクさんのお惣菜もたくさん買っていきたいんですよー。あれ、めちゃくちゃうまかったんです』


 なんてことを言っていた。

 そして金色だった髪を黒に染めた理由だが。どうやら店長に対抗してのことらしい。


『ヒロキ先輩があの店長を好きだって言うから、ちょっと姿を似せてみればオレのことも気に入ってくれるかなーと思ったんですっ』


 口を尖らせながら言うその姿は、自分をアピールしている子供みたいでちょっとかわいかった。

 スライディングしたバイクは無事に動いたので、トウヤは泊まる予定だったホテルに戻り、自分は自転車で店長の家に戻った。

 タカヒロに散々痛めつけられたせいで自転車をこぐスピードが遅くなってしまい、家に帰ってみたら予想よりも遅い時間になってしまって、店長はすでにベッドで横になっていた。


 店長を起こさないようにゆっくりと室内に入り、店長の眠るベッド横に敷かれた布団の上に座る。

 室内は豆電球のオレンジ色の明かりに照らされ、店長の穏やかな寝息が聞こえる。


 この生活はもう少しだけか。

 漠然としているがこの先を決めなければならないという不安に心と身体が震えた。

 仕方ない、そうしたければこの笑顔を守ることができないのだから。


 イヤだなと思いながら、ヒロキは布団の上にうつ伏せに倒れ込む。タカヒロに痛めつけられた身体がギシギシと痛む。けれど身体よりも痛いなと感じるのは心の方だった。


 店長と、この人と一緒にいたいのに。

 しかし一緒にいたら迷惑がかかる。今までだって何度もこの人に迷惑をかけてしまった。今度そのわがままを突き通せば、それ以上のことが彼に襲いかかってしまう、笑顔が消されてしまう。


 そうならないために。本当の意味でこの人を守るためには自分がいなくならなければならない。


「……守ると、決めたから」


 タカヒロには「あとちょっとだけ、いさせて下さい」とメールしておこう。

 そう思って枕に顔を乗せていたら、涙が横に流れていった。何粒も何粒も。涙が止まらず、どんどんあふれてくる。

 震える声を必死で押し殺す。歯を食いしばって泣いていたら身体まで震えてくる。声を我慢しているから息が苦しい。本当は大声で泣き叫びたいくらいだ。


 すると何かが自分の頭の上に触れた。自分の髪を優しく、サラサラと髪をなでるように何かが触れている。

 愛おしむような動き。安心させてくれるように上から下へと動いていく。大きな手のひらの温度が頭に伝わってくる。


 今この場でそんなことができる人物は他にはいない。


 ……なんで……。


 もっと涙があふれ出してくる。店長が何も言わずに自分の頭をずっとなでている。

 その優しい仕草が胸を熱くも苦しくもさせる。

 涙が止まらない。これでもかってくらい枕に吸収されていく。


 なんでそんなに優しいんですか店長。

 店長だってたくさんつらいめに遭ってきているのに。なんでそんなに優しく笑えるんですか。

 ウジウジするな。笑えばいい。

 そんな言葉だけで店長は救われたんですか?

 その子は、ずっと店長を守ってきたということになるんですか。

 その子がずっと好きで、今でも待っているんですか……。

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