因果応報ポリリズム

百川アキセ

因果応報ポリリズム

第壱幕「あゝ、美しき我が半生よ」

壱節

 これは私の自論だが、この世に幸福などという概念は存在しないと常々考えている。「生きる」という事は、辛く過酷で、そして何より非常に面倒くさい。ただ息を吸っているだけであるのに、常に他者との間にしがらみが生まれ、腐敗した政治家と資本主義には金を吸い上げられ、社会という名の物言わぬ独裁者に身も心も支配されているのだ。とかく生きる事は苦痛である。つまり、この世には苦しみのみが存在しているのだ。これは暴論などではなく、私なりに筋の通った説だ。反論はいつでも受け付けるが、何卒お手柔らかに頼む。私の弁論術のベクトルは内向きであって、決して対外向きでは無いのだ。論破王など夢のまた夢である。


 では、人々が勘違いしている幸福の正体とは何なのだろうか。答えは簡単だ。苦痛の中で、一時だけ生じる多少はマシな時間。それこそが幸福なのである。したがって幸福などという概念は、苦しみの派生系、亜種、もしくは希少種とも言えよう。ゲームで例えるならば、名前・色・ステータスが異なるモンスターに過ぎないのだ。納得がいかなければ逆に考えてみるといいだろう。今現在幸せであると感じている事象が延々と続けばどうだろうか。飽きや退屈を通り越して苦痛を感じ、そして絶望を覚えるはずだ。認めたくはなかろうがこれが真実だ。この世に幸福など存在しない。もし今世で幸せを実感している人間がいるのだとすれば早急に目を覚ますべきだ。全ては政府とメディアの結託によって、国民を洗脳するために打ち出したプロパガンダの賜物なのだから。虚構などに惑わされてはいけない。少なくとも私は決して屈したりなどはしない。


 さて、なぜ私がここまで幸福というものに食ってかかるのかと言うと、それは私がこの世の真理の一端をこれまでの人生における早期の段階で垣間見たからである。かつてまだ純真無垢であった頃の私は、幸せなどという虚構を掴み取ろうと躍起になっていた。そのような恥ずべき過去がある事は事前に告白しておこう。恥ずべき過去ではあるが、その経験こそが今の私の根底にあり、私を私たらしめる価値観を生み出した。かつての大きなしくじりは私の心に消えることの無い深い傷跡を残しはしたが、その見返りに虚構に塗れた世の中の真実を見通す慧眼を授けたのだ。しかしまあ、その話まで掘り下げるには私の過去を語る必要があるわけだが、全てを克明に伝える事は平家物語を語り歌った琵琶法師ですら困難を極める芸当であろう。無論私にそのような才能の持ち合わせは無いため、大まかに私が何者で、どのような過去を経て今に行き着いたのかを皮肉を効かせつつ語っていこうと思う。

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