第2話

 仕事を終えた和樹は、陽平に指定されたケーキ屋に向かっていた。

 いつもの通勤経路からは外れた場所で、東京の中でもあまりくることがない地域だった。

 和樹は最寄りの駅で降り、スマホのマップを頼りにケーキ屋に向かって歩いていく。街はどこかしこもクリスマス一色に染まっている。

 しばらくして、和樹は一軒のケーキ屋の前で足を止めた。メルヘンチックでお洒落な店先に、もう既に長い列ができている。列の先頭らしき場所には、店員らしき人達がプラカードを持って立っている。クリスマスとあって、どの店員もサンタ姿だ

 和樹は大人しく列の一番後ろに並ぶ。この寒い冬空の下で、長時間並ぶと考えると気が滅入る。和樹は寒さがあまり得意ではないのだ。

 丁度その時、一匹のトナカイが店の中から出てきた。

 和樹の並ぶ所からは、後ろ姿がぼんやりとしか見えない。恐らくあれも、トナカイの着ぐるみに身を包んだ店員なのだろう。

 「わぁートナカイさんだー!」

 トナカイを見て、近くにいた子ども達が歓声を上げる。列に並ぶ大人達の中からも、思わずクスリと笑う声がいくつか聞こえる。

 そのトナカイはいかにも愛嬌たっぷりといった感じで、遠くから後ろ姿だけ見ても可愛らしい物だった。動く度に、後ろについた焦げ茶の尻尾が揺れるのが何ともお茶目だ。

 「あー、しっぽついてるー!」

 子どもたちにも尻尾は人気らしく、トナカイは何人かの子どもたちに尻尾を引っ張られていた。

 それを遠巻きに眺めていた和樹には、不思議とそのトナカイ身のこなしが色っぽく感じられた。

 思い違いかもしれないが、そのトナカイの挙動に、何となく見覚えがある気がしてならなかったのだ。

 子どもたちへのファンサービスを終え、トナカイの店員がプラカードを手に仕事を始める。

 「クリスマス販売しておりまーす」

 トナカイの声を聞いた瞬間、和樹の疑問は確信に変わった。

 トナカイの主は、他ならぬ陽平だったのだ。いつもよりも少し高い声だが、本当によく通る声だ。男の声にしては普段から少し高めで、よく通る陽平の声だが、それより少し高い接客ボイスは、更によく通る声で綺麗だった。マイクを使ってないはずなのに、数十メートル離れた和樹の所でもハッキリと聞き取れる。

 トナカイを着た陽平は、仕事をしながらも歓声を上げる子どもたちに手を降ったり、笑いかけたりしている。どうやら着ぐるみではなく、つなぎのような衣装で顔や手は出ているようだ。店員というより、まるでファンサをするトップスターのようだ。

 相変わらず尻尾が人気のようで、「尻尾可愛いー」なんて声が何度か列の中から聞こえる。陽平はそれに笑顔で答え、尻尾をチョンと摘まんで見せたりしている。



 しばらくして、列に並ぶ人間の所を陽平が順番に回り始めた。どうやらケーキの注文を取ったり、予約の紙を預かったりしているようだった。

 果たして陽平は、自分の存在に気づいているのだろうか。

 和樹はなぜか緊張しながら、陽平が回ってくるのを待っていた。

 和樹の番まで残り数人になると、それまで遠巻きにしか見えなかったトナカイの全貌がハッキリと見えた。やはり陽平はつなぎのようなトナカイの衣装を着、トナカイの顔がついたフードをすっぽりと被っていた。

 フードにちょこんとつけられた角と三角の耳。

 真ん中で一際目立っている赤い鼻。

 やはり一目見ただけでにやけてしまう恰好だ。

 そして、とうとう和樹の順番が回ってきた。

 「陽平さ…」

 そう言いかけた和樹に陽平が目配せをする。今はその名で呼ぶな、ということだろう。少し怒っているように見えるが、トナカイの格好のせいでそれすらも可愛らしく見える。

 陽平はほんの一瞬険しい顔になったが、すぐにそれが嘘のような完璧な営業スマイルに戻った。

 「……お客様、ケーキのご予約はお済みでしょうか」

 和樹はふてくされながら、今朝目の前の人物から渡された紙切れを出す。

 「拝見いたします」

 陽平はそんなことは意に介していない、といった感じで澄ましている。陽平に紙を手渡した時、和樹は陽平の手の甲がひどくかさついているのが気になった。ここ最近乾燥で荒れていたのは気づいていたが、また一段とひどくなったようだ。

 「只今大変混み合っておりまして……、申し訳ございませんがもうしばらくお待ちくださいね。順番にお声がけさせていただきますので、こちらの紙をレジでお渡しください」

 和樹は少し拗ねた顔で陽平から手渡された紙を受け取る。

 それ以上和樹に何も語りかけることなく、陽平は和樹の後ろに並ぶ人間の所に向かっていく。と、その時、陽平は和樹のすぐ横でしゃがみ、何かを拾う素振りをした。

 「お客様、こちらを落とされたようですが……」

 陽平に肩を叩かれるまで、和樹は自分に呼びかけているのだとは気づかなかった。

 「え? 俺?」

 「これ、お客様のですよね?」

 驚く和樹に、陽平は有無を言わせず何かを握らせる。途端に、和樹は手の中がじんわりと暖かくなったのを感じた。よく見ると、陽平から渡されたのは使い捨てのカイロだった。

 それをしっかりと握りしめ、和樹は自分の番が回ってくるのを待った。

 もうそれほど、寒さを辛いとは思わなかった。

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