第4章 第2部 出会いと縁~えにし~



ウィルソンの誕生日から1か月が経つ。

街に降った雪も溶け、

街の木々の蕾が開き始める。


3月21日。時刻は10時15分。

お店のopen時間にはまだ少し早い。


屋敷の庭園のテーブル席に座る1人の少女。

噴水の隣の木製のベンチに座るリオンのバイオリン演奏に耳を傾けている。

「G線上のアリア」の演奏につられ、

老夫婦が正門をくぐり入ってくる。


屋敷の玄関先にopenの看板を準備するマリーの姿があった。

テーブル席に座っていた少女はopen準備をするマリーに近づく。

「あ、あの~、すいません…」

「はい。いらっしゃいませ」

声を掛けられマリーが振り向くと、

目の前には赤紫の髪と緑色の瞳に

丸眼鏡を掛けたツインテールの少女が立っていた。

「お一人様ですね、ご案内します」

「あ、あの…食事じゃなくて…お仕事をしたくて…来ました…」

「お仕事…ですか…。上の者と話して参りますので、リビングでお待ちください」


橙色のエプロンを着た女性は優しい声で出迎えてくれた。

玄関の扉を開け、わたしをリビングルームの

窓際の席に案内してくれた。

窓からは先ほどまで居た庭園が見え、バイオリンの演奏をする女性が見える。


先ほど案内してくれた女性がティーカップとティーポットの乗ったトレーを持ってリビングルームに入ってきた。

「もう少々お待ちくださいね。ただ今シェフが参りますので」

「はい…」

女性は優しく微笑んでティーカップに紅茶を注いでくれた。

オレンジのような柑橘系の香りがする。

「失礼します」

女性は静かにお辞儀をし、リビングルームを出て行った。


5分ほど待っていると。

オレンジ色の髪の細身の男性がリビングルームにやって来た。

「お待たせしました。よろしくお願いしますね」

「あっ、はい!よろしくお願いします!」

穏やかな声で優しく微笑んでくれた男性は、

私の座るテーブル席に対面する形で椅子に座った。

「僕はこの"パイユ•ド•ピエロ"のシェフを

しています、ウィルソン•ウィンターズです。

よろしく」

「わたしの名前は"スージー•クラーク"15歳です!よろしくお願いします!」

コクりとお辞儀をしたスージーは鼻の頭までずり落ちた丸眼鏡を元の位置に戻す。


「このお店の業務なんだけど。

接客•調理•客寄せ•ケアマネージャーがあるんだけど…。君はどの職種が希望かな?」


「わたしは小さい時からお菓子作りが好きなので調理の職種に希望したいです!

あとわたしはピアノが弾けます!」


「調理が希望なんだね。今調理の方人手が足りなくて接客兼調理みたいになっているんだよ…。

調理が出来るならお願いしたいかな」

…シエルや母さんにも接客させることもあるから申し訳ないなぁとは思っていたんだよね…。


「ピアノが弾けるっていうことは客寄せにも興味があるのかな?」

「はい。お庭でバイオリンを弾いている方と一緒に演奏出来たらなぁと

ここ数日ずっと眺めていました!」

「そうなんだね、それを聞いたらリオンも喜ぶと思うよ」


「……採用……でしょうか…」


「うん。うちのお店で良ければね」

「あ、ありがとうございます!これから

頑張りますのでよろしくお願いします!」

「こちらこそよろしくね。スージーさん」

こういう風にこのお店に仕事を求めて来てくれる人も増えてくるんだろうか…、だとしたらとてもすごいことなんだろうなぁ…。

…僕ももっと頑張らないとね。


「それで…あの、お母さんに採用が決まったことを電話しても良いでしょうか…」

「え?あ、はい、どうぞ…」

スージーは肩に掛けていたトートバッグからスマートフォンを取り出し電話を掛ける。


「…あ、もしもしお母さん?……うん…

お店の採用…決まったよ……うん……ありがとう……え?…お店の予約?……うん、待ってね」

スージーはスマートフォンから顔を離し、ウィルソンの方を見る。

「あの、今日の13時から…2名で予約出来ますか?」

「うん、大丈夫だよ」

「ありがとうございます」

再びスマートフォンに顔を近づけ母親と話す。

「…大丈夫だって……うん、…じゃぁ…また後でね。……は~い…」

通話を切った。

「13時にお母さんとお父さんが食事に来るみたいなので、よろしくお願いします」

「はい、かしこまりました」

ウィルソンは優しく微笑んだ。

「これからお客様も増えてくる時間だから、良かったら仕事の流れとか見てみてね」

「はい!」


ウィルソンはキッチンに戻り、マリーとアリシアにスージーという少女を調理担当として採用したことを話す。

「今日の営業が終わったら、今面接した子を皆に紹介する時間を作るから、後でよろしくね」

「は~いシェフ~」

「かしこまりました坊っちゃま。これから楽しくなりそうですね」

「そうだね」


カランカラーン… 

玄関の扉が開く音が聞こえアリシアとマリーは廊下に出る。

「「いらっしゃいませ~」」


______________


「2卓様ポットクリームパイあがったよ!」

「ありがとうございます」

「6卓様オーダーです!

トマトグラタンパイスリー(3食)入りましたっ!」

「はい!」

3月の後半でもあるこの時期はまだ肌寒さが残る。

店内では"クラムチャウダーのパイ包み"などの身体を温めるスープ系のパイが人気を博している。


「はぁ~、おいしい…」

スージーは窓際の1卓席でアップルパイを注文し

舌鼓を打つ。


12時40分。

お店の営業も半ば、

庭園ではシエルとマイルが3番、4番席で食事をするお客様に向けパントマイムを披露し、お客様に笑いを誘う。

屋敷の正門をくぐり庭園に入ってくる1組の男女。

男性はグレーのジャケットを羽織りハンチング帽を被る。

女性はブラウンのトレンチコートを着た

赤茶色長髪で緑色の瞳。

「っ!?ねぇマイル!今入ってきた2人…」

屋敷の玄関まで続く石畳を歩く男女を見るなり

シエルが反応し、マイルに伝える。

「なっ!?まさか……っ!」

赤い髪の女性と目が合ったマイルは顔を反らす。

「あいつ……なんでここに…」

「それに隣を歩いてる男の人は…」

見覚えのある赤い髪の女性は、双子姉弟がかつて一緒に住んでいた母親だった…。


16年も前とはいえ、当時7歳の双子姉弟にとって鮮明に脳裏に浮かぶ……忘れることの無い…

…別れの記憶……。


その1組の男女は営業中の屋敷の扉を開け、

中に入って行った…。


カランカラーン…

玄関の扉が開く音。

「いらっしゃいませ~!…2名様でよろしいでしょうか…」

アリシアが玄関で出迎える。

男性は少し屈んでアリシアの目線に合わせる。

「こんにちは、13時に予約をした"クラーク"と申します。席の用意は出来ていますかな?」

「あ、はい!お待ちしておりました。ご案内します!」

クラークと名乗る男女をアリシアはリビングルームに案内した。

「あ、お父さん、お母さんこっちだよ」

「お~スージー、ここに居たのか」

スージーは父と母に手招きをして1卓席に呼ぶ。

「ただいまメニュー表をお持ちしますね」

アリシアがテーブル席まで誘導する。

「ありがとう」

赤い髪の女性はアリシアにニコりと微笑みお礼を言った。

アリシアがリビングルームを出てキッチンに

向かう。

(…びっくりした…一瞬シエルお姉ちゃんかと

思ったよ…)

キッチンの扉を開ける。

「1卓席にご予約の2名様ご案内しました」

「ありがとうございますアリシアさん」


「スージーはこのお屋敷で仕事をするんだな…、頑張るんだぞ」

父親がスージーを励ます。

「うん!楽しく仕事出来そうな気がするよ」

テーブル席の窓側に座る母親は庭園の

様子をぼーっと眺める。

母親にも庭園で客寄せをしている2人がかつて

手放した娘と息子であることには気が付いた…。

「どうしたの?お母さん」

スージーが母親に聞く。

「あ、いえ…綺麗なお庭ね…」

母親は庭園に視線を向けたままスージーに話す。

「そうね!わたしも気に入っちゃった!」


(……まさかこの街で……あの子たちの姿を見る

ことなるなんてね………)


________________


それは16年前に遡る…。

シエルとマイルの姉弟が7歳の誕生日を迎える

少し前のお話である。


"ハンジア市国"という都市の外れ街。

ハンジア市2区3番地の小さな集落にシエルとマイルの姉弟が住む家があった。

中世代の石灰岩や砂岩を用いた建築物が特徴の街。

酸化変質により、ハチミツ色に見える街並みは、観光の名所としても称される程の穏やかで綺麗な街である。

5軒が連なる長屋の2軒目が双子姉弟の住宅だ。


ハンジア市の銀行員である父"サンズ"と

ハンジア市の歓楽街のストリップバーの

No,1ダンサーである母"イザベラ"との間に生まれたシエルとマイル。


昼間働く銀行員の父と夜の歓楽街で働く母との間にはすれ違いが生まれ、冷めきった夫婦の間には笑顔はおろか会話も無い。

この家で生まれた双子姉弟にとっては、

この家庭環境が日常であり、

お父さんとお母さんが入れ替わりで帰ってくる、

ごく普通の"幸せなお家"だった。


―そんなある日のこと。


5月27日。時刻は16時40分。

「それじゃぁ、お母さんはお仕事行ってくるから、お留守番よろしくね」

「いってらっしゃいお母さ~ん」

マイルが出勤前の母親を玄関で見送る。

マイルはにこっと笑い母親に手を振る。

母親もそれに応え、手を振って玄関のドアを開け外に出て行った。

すん…と真顔に戻るマイル。

 …お母さんは仕事に行くって言っていた

   けど…、いつもより化粧が濃かったな…。

双子姉弟の通う学校のクラスの間でも"風俗嬢のお母さん"と後ろ指を指されるようになっていた。

"お前のお母さんは普通じゃない"と罵られることもある。

そんな日々が続くうち、マイルも自分の母親に

嫌悪感を抱き始めている。

  …普通のお母さんって……なんだよ…。

父親は17時30分頃にいつも帰宅してくる。

それまでこの家はシエルとマイルの2人だけだ。

マイルは階段を上がり子供部屋に入る。

「お母さん仕事行ったよ」

「もうすぐお父さん帰ってくるねぇ」

2段ベッドの上の段に寝ころぶシエルは

"絶景スポット100選"という雑誌を読んでいる。

「"オーロラが見られる極寒の北極地"だってぇ、行ってみたいねぇマイル!」

「ぇ~…寒いの嫌なんだけど…」

学校と家との行き来しか基本的にしたことが無い双子姉弟にとって、この部屋の本棚にある図鑑や旅行雑誌の読書が夢を見せてくれる

唯一の楽しみだった。

   "リンローン…リンローン…"

玄関のチャイムが鳴った。

「お父…いや、お客さんか…」

壁に掛けられた時計を見るが、父親の帰ってくる時間にはまだ早い。

「みてきてマイル~」

「はいはい…」

「"ハイは一回"だよ?マイル」

雑誌を眺めたままシエルはマイルに話す。

マイルは何も言わず部屋を出て玄関に向かう。


玄関の扉を開けると、

黒髪白髪混じりで痩せこけた顔の中年男性が立っていた。

「こんにちはぼく…、お母さんは居るかな?」

「…お母さんは仕事に行ったけど…」

「そうなんだぁ…、何時に帰ってくるかわかるかい?」

「お母さんは朝6時まで帰って来ないけど…、

もうすぐお父さんが帰ってくると思う」

マイルが"お父さん"という言葉を口にした途端、男性は慌てる素振りを見せる。

「そ、そうか…、では私はこれで失礼するよ…、ありがとうぼく…」

すると男性は辺りを見渡し、早足で双子姉弟の居る家を離れ、街へ消えて行った。

 …初めて見る人だった…、お母さんの

          知り合いなのかな?…

母親がどのような仕事をしているのか詳しく聞いたことがなかったマイルは、父親の帰宅を待って、"知らないおじさんがお母さんに会いにきた"

と伝えることにした。


マイルは2階の子供部屋に戻り、シエルに先ほど来たおじさんのことを話す。

「今日のお母さんいつもより化粧が濃かったんだよね…、それに知らないおじさんが家来たし…、なんかおかしい……姉ちゃんはどう思う?」

「ここ最近ずっと仕事してるから、疲れを見せないために化粧を濃くしてるんじゃないの?」

「それか今日は違う仕事とか…」

「例えば…なによ?」

姉ちゃんは母親を信用している。

いつも通り仕事をして、いつも通り早朝に

帰ってくると思って疑わない…。

それが姉ちゃんの良い所ではあるけど…。

おれには何か母さんが隠し事があるんじゃないかと思ってしまう…。

 …何かあったら姉ちゃんを守れるのは

              おれだけだ…。


―父親が帰宅して17時40分。


シリアルにミルクをかけただけの、

色映えもしない3人での夕食。

だがその夕食も、シエルとマイルにとっては

ごく自然な日常なのだ。

「お父さんとお母さんってどこで出会ったの?」

シエルは父親にそれとなく夫婦の馴れ初めについて聞いてみた。

「どうした急に…、そんな事をシエルが聞いてくるなんて…」

「お父さんは夕方帰ってきて、お母さんは夕方からお仕事行くのにどうやって出会ったのか気に

なったの」

「それに学校では、お前のお母さんは

"普通の仕事じゃない"って皆に言われるから

気になったんだ…」

マイルがシエルの説明につけ足す。

サンズは戸惑いながらもイザベラとの出会いについて、重い口を開いた。


「そ…そうだな…、あれは9年前になるな…」


_______________


お父さんはハンジア都立大学を卒業した後、22歳で第一都立銀行に就職したんだ。

4月の下旬、新歓迎会と称して同じ部署の先輩方と飲み会に誘われたんだ。

二次会で訪れた"バーバチカ"というストリップバーでイザベラと出会ったんだよ。

私もストリップバーなんて行ったことがなかったから、最初は戸惑ったし、客に裸体を晒してチップをもらう姿を良く思っていなかったんだ。

部長が私の肩に腕をまわしてこう言うんだ。

「あのNo,3の子に、お前話しかけて来い。

チップ持ってな」

「わ、私はいいですよ…」

白とピンクのスポットライトがステージを照らす。

ステージ上にはランジェリー姿で艶やかに裸体をくねらせる女性が3名、お客さんに向けてショーを行っている。

私は戸惑いながら、ステージ左側に居るNo,3の

女性に話しかけに行った。

当時、No,3の"ローズ"という源氏名で活動していたのが、これからお父さんが付き合うことになるイザベラだった。

艶やかな赤い髪、褐色の肌と潤んだ緑の瞳…。

"ローズ"という名前に相応しい綺麗な女性だった。

「ほんとうに……綺麗だ…」

「ありがとう……おにいさん…」

私は彼女の美しさに魅了され、吸い込まれるようにステージの端に座り、彼女の伸ばす指先に緊張で震える手を静かに添えた…。


 …一瞬、時間が止まったかのように……

  ……私とローズは見つめ合った…

    …2人だけの空間に居るような……


「こら!触っちゃダメだ!」

部長が私を呼び止めたおかげで正気に戻った。

ここはストリップバーであり、お店の商品でもある女性達への接触は厳禁なんだ。

その事を私は知らなくて、ステージ脇に居た体格の良いボーイに取り押さえされた。

「え!あっ、ごめんなさい!」

「あ~ぁ、触っちまったか…」

部長がうなだれている。

私を含め二次会に参加した同じ部署の5人はお店を出されてしまった。

「すいません部長さん…」

「大丈夫さ、まぁでも良い経験になっただろ?」

部長は私の肩を叩く。

「そう…ですね」

「よし!気を取り直して次だ次!」

「え~またですかぁ~」

「終電無くなっちゃいますよ~」

これが私のストリップバーデビューであり、

イザベラとの最初の出会いだ。


それから2、3回お店には行くようになって、

ローズと同伴できるようになり、

"イザベラ"という本名を知り、

イザベラから電話番号の書かれたメモを受け取るまで、そう時間はかからなかった。



#変わらぬ愛情



―数日前の朝のこと。

 

 朝の日差しがバスルームに差し込む。

 母は娘の頭を洗う。

「ねぇお母さん」

「んー?なぁにシエル」

「もし私が死んだら…お母さんはどうする?」

「ん~…もう一回、産んであげるわよ……

 マイルが一人ぼっちになっちゃうからね」

「うん!私もお母さん大好きだから、

 何回でもお母さんの子供になるよ!」               

「…そっかぁ……ありがとシエル……」  ―


父サンズはシエルとマイルに母イザベラとの出会いについて話していた。

「お父さんは今でもお母さんのこと好き?」

「そりゃあ、もちろん…。今でもイザベラの事は好きだし、昔と変わらず綺麗だ…。だがここ数年まともに会話をしていない……イザベラは私をどう思っているのか……」

「お母さんとおデートしたくないの?」

「デートかぁ……そうだなぁ…」


18時20分。

その頃、イザベラが仕事をするストリップバー

"バーバチカ"では…。

「今日でローズちゃんとお仕事するの最後かぁ、寂しくなるわね~」

「ローズさん居なくなったら、私続けて行ける自信なくなりますよ…」

「ありがとうママ、リリーちゃん…」

ママは私が入社した時にNo,1の座に居た女性だ。

私がNo,3に昇格したタイミングで現役を降板し、経営側に就いた。

リリーはこのお店のNo,3で、綺麗というより可愛い顔立ちをしている。

小動物のように雰囲気を和ませる姿はお客さんからの人気も高い。

「ローズが抜けたら次は私がNo,1だよね~?

 ママ~」

現在No,2のジャスミンはサバサバツンデレ系の

1年後輩のライバル的存在だ。

「大丈夫だよ。リリーちゃんならNo,1になれる

 わよ」

「私リリーには負けないからね」

今ではお互い認め合い良い関係を築けている。

「いや~?それ決めるのお客さんだしなぁ」

「私だって負けませんよジャスミンさん!」


17歳の頃からこのお店で働くようになって11年目を迎えたイザベラは、今夜の営業を最後に退職

することを決意した。

最初は雑用の仕事から始まった。

今ではこのお店のNo,1の座まで登り詰め、

"歓楽街の赤い蝶"とメディアに取り上げ

られる程の人気を誇るようになっていた。

このお店で夫であるサンズと出会い、2人の子供

にも恵まれた。

出産後に仕事に復帰しても尚、その人気は衰えることは無く、それどころか応援の声も増えるようになっていた。

その一方で最愛の娘と息子、そして夫との家族の時間が作れなくなっていた。

娘にも息子にも夫にも、寂しい思いをさせてしまっているのは分かっていながらも、お店で私の出番を待ってくれているお客さんへの期待に応えなくてはならない。

私の"ローズ"と"母親"の立場を切り離すことが出来ないでいた。

「私が死んだらどうする?」なんてそんな事をシエルの口から言わせてしまうほど、家族をないがしろにしてしまっていたことを後悔した…。


―「ごめんママ…、娘が寂しがってるの…、

  私…家族も大切だから…今週末で退職

  するわ…」

 「そんな!…ローズさん…」

 「…わかったわ……これからは家族のために        

  頑張りなさい」          ―


お店の前にはローズの最後の勇姿を焼き付けようと多くのファンが花束を持って駆け付けてくれている。

このお店での10年間は本当に素敵な日々だった。

感謝の気持ちを込めて、思いっきり楽しもう。

涙は見せないで笑ってお別れしよう。


______________


20時50分。

子供部屋の二段ベッドの上段に、シエルとマイルは仲良く寝そべり旅行雑誌を読んでいる。

「私はマイルのお姉ちゃんだから、何回生まれ変わってもマイルのお姉ちゃんになるからね!」

「なにそれ?どしたの急に…」

「お母さんと約束したの。私は何回生まれ変わってもお母さんの子供になってあげるって」

「え~姉ちゃんばっかりずるい…」

パタン、と読んでいた雑誌を閉じる。

「お父さんのお部屋行こうマイル」

「え?…ぁ、うん…」

2人はベッドを降り子供部屋を出る。


コンコン…と寝室のドアをノックする音。

「はい」

サンズはノックの音に応え返事をする。

ドアを半分だけ開けてシエルが顔を出す。

「お父さん…一緒に寝よう…」

「どうした…珍しいなシエル」

「おれも一緒で良い?」

シエルの後に続いてマイルも寝室に入ってきた。

「マイルもか…、よし!おいで、3人で一緒に

 寝よう!」

サンズは書斎机の灯りを消しベッドに腰掛ける。

「「うん!」」

2人はにこにこ笑顔でベッドに飛び込む。

「お父さん明日の仕事お休み出来るから、お母さんも一緒に4人でお出かけしようか」

夕食後、サンズは会社の上司に連絡をし、休みを取れないか相談していた。

「ほんとに!?お出かけしたい!」

マイルが体を弾ませ喜んでいる。

「ううん…、お父さんはお母さんと2人でお出かけしてきてよ」

「それじゃお前たちをお家に置いていくことになるぞ?」

「大丈夫だよ、私もマイルもお留守番は得意

だから。お土産楽しみにしてるね!」

「……そうか……、ありがとうシエル…

 お土産いっぱい買ってくるからな」

「うん!おやすみお父さん」

「おやすみ~」

「おやすみシエル、マイル」


21時40分。

シエルとマイルは父親のベッドで向かい合わせになり、すやすや寝息を立て眠っている。


サンズはシエルの頭を静かに撫でる。

…ごめんなシエル…、お父さんとお母さんの会話する姿…しばらく見せてなかったもんな……家の中を暗い雰囲気にしていたのは…私のせいだ…。


深夜1時30分。

ローズとしての最後の営業が終了し、ロッカールームの片付けをしている。

「はい。これは私からの気持ち」

ママから白い封筒が渡された。

「ママ…これは…」

「今までありがとうね。

 これで家族旅行でも行ってきな」

「ぁ…、こちらこそ!…ありがとうママ…」

「今度は母親として子供たちを笑顔にしてあげるんだぞ」

ママは優しく抱きしめてくれた。

「イザベラ……元気でね…」

笑顔でお別れするって決めたのに…、

泣かないでよママ…。

「………はぃ…」


4階建て商業ビルの2階にあるストリップバー"バーバチカ"。

従業員専用の勝手口から出て螺旋階段で地上に降りる。

街灯もない裏路地を渡り歓楽街の表通りに出る。

6年前までお店の向かいには小さな公園があった。

仕事が終わった後サンズさんがジャングルジム

の上で待っていてくれて、一緒に帰った思い出の

公園。

今はもう公園は無くなり、アダルトグッズを売る

2階建てのショップなっている。


年月が経って街並みも変わっていくが、

思い起こせば数え切れないほどの思い出がたくさん詰まった歓楽街に背を向けて。

これからは家族のために頑張るんだと気持ちを切り替え、イザベラは1人、家族の待つ家路を

とぼとぼ歩く。


深夜3時近くにもなると街灯の灯りだけでは心細い。

夕方出勤する時はハンジアの中心街までバスが運行しているが、深夜のこの時間にバスは運行していない。

タクシーは片道3000Gもかかるので、出費を抑えるためイザベラはいつも徒歩で家路につく。


2区の2番地から家族と住む3番地の境界には川が流れている。m字型に施工されたレンガ造りの橋を渡り3番地に入る。

「おかえりぃローズちゃ~ん」 

「ぅ!? …その声…」

街灯もない暗闇から声がする…。

黒い影がこちらに近付いてきた。

「あんた……どうしてここに…」

「どうしてって…ローズちゃんの帰りを待っていたんじゃないかぁ」

酒を飲み酔いも冷めないふらふらな足取りで近付いてきた男。

「だってあんた22時過ぎに帰ったじゃん!」

私がNo,2に昇格した時から私に惚れ込んでいる

"ラミー"という男だ。

営業トークを本気で捉えて、ストーカー癖もあるため従業員の間では要注意人物と確定されている。

「ローズちゃんがお店を辞めちゃうと俺寂しくなるからさぁ、お家だけでも知っておきたくってさぁ」

「あんた…何言ってんのよ…頭おかしいわよ!」


「今日の昼間、ローズちゃんそっくりの赤い髪の男の子が出てくれたからぁ、やっとローズちゃんのお家がわかったよぉ」


まさか!…マイルに…会ったの!?

「ふざけないでよ!私だけならまだしも、家族にまで迷惑掛けないでよ!」

「お~怖い怖い。怒った顔も素敵だよ」

「うるさい!私の邪魔しないでよ!お店はもう辞めたんだから、あんたとも終わりだっつうの!」


「ん……ぉかあさん…?」

外からお母さんの声が聞こえシエルが目を覚ます。

マイルもお父さんも起きる様子はない。

眠たい目をこすりながらベッドから降り部屋を出ていく。


仕事上はお客様である以上、笑顔を振り撒かなくてはならないが、正直この男の声から容姿から生理的に受け付けないんだ。

「ずっとローズちゃんのことを見てきたんだからぁ、恋人みたいなもんだろ?俺たち」

「そんな訳ないでしょ!いい加減にしてよ!あんたの顔なんか見たくないわよ!帰れ!」

イザベラはラミーの股関めがけ爪先を振り上げる。

「ぶっ!…ぅ…」

ラミーは顔を歪めて地面に膝をついた。

「ひ…ひでぇなローズちゃん…」

「帰って!二度と顔見せるな!」

イザベラは走ってその場を立ち去る。

ラミーは痛みに堪えるのに必死で追いかけて来れない。


自宅の玄関にたどり着いたイザベラはドアを開け家の中に入る。

「ぁ…おかぁさん…おかえりなさぁい」

靴を履こうとしていたシエルが母親の姿を見て

にっこり微笑んだ。

「シエル…」

「おかあさんと…旅行いきたいなぁ」

イザベラはシエルを強く抱き締めた。

最愛の娘の姿を見て、ストーカー男に待ち伏せされた恐怖から解放されたイザベラはぼろぼろ涙を流す。

「うん!うん!みんなで行こうね…。今までごめんね…」

今まで寂しい思いをさせてしまってごめんね…。


シエルは小さな手で母親の肩を優しく撫でた。

「おかえり、おかあさぁん」

「ただいま…シエル…」


______________


それからラミーが家に訪ねてくることはなかった。

だがラミーにこの家の場所を知られてしまった以上、これから何をされるか分かったものではない。

サンズさんにはあの男に用心するように話した。

子供たちを危険な目に遭わせるわけには行かないから…。

シエルは「お父さんとお母さんだけで旅行に行って来て」と遠慮しているが、今この家で留守番させる方が危険だから。



それから特に不穏な気配もなく、緊張が薄れてきた6月1日。

この日はシエルとマイルの生まれた日だ。

家族4人での旅行に出かけることになった。

ハンジア市国から少し離れた温泉地に1泊2日の小さな家族旅行だ。

ハンジア市街地からバスで2時間の温泉地。

「見て~シエル。山の上に灯台があるでしょ?」

「なぁに?どこ?」

キョロキョロ辺りを見渡すシエルにイザベラは山の上を指差して話す。

「あの灯台でお父さんがプロポーズしてくれたんだよ~」

「プロ…ポーズ?」

「"結婚してください"って言ってくれた所よ」

イザベラはシエルに耳打ちし小声で話す。

「素敵~!お父さんとお母さんの思い出の場所だね!」

シエルはぴょんぴょん跳ねて喜んでいる。

父親と母親の出会いについて興味を持ち始めたシエルにとって、この温泉地への旅行は何よりも幸せを感じることが出来ただろう。

「おれもあの灯台行ってみたい!」

マイルはサンズと手を繋いで歩いている。

「いいぞ。ホテルのチェックインを済ませたら4人で一緒に行こうな」

「「うん!」」

シエルとマイルの楽しんでいる顔を見て安心し

たイザベラとサンズは顔を見合わせ笑顔がこぼれる。

家族4人こうして旅行出来る日が来るなんて…。

"普通のお母さん"に"普通の家族"。

マイルは学校で陰口を言われてどれだけ辛い思いをしただろう…。

お父さんもお母さんもお前たち2人のことは大好きであることに変わりないんだよ。

これからは家族の時間を増やせるように頑張るから、いっぱい甘えていいんだよ。


夕方17時20分。

頂上の灯台を目指した山登りの後、ホテルに戻り温泉に入る。あまりの楽しさにはしゃぎ過ぎたシエルとマイルは宿泊する部屋に戻るや否やすぐ眠りについた。

サンズとイザベラはバスローブ姿で縁側の座椅子に座り、庭を眺めている。

「長い間…お疲れさまだったなイザベラ」

「サンズさんが…1人であの子たちの面倒をみてくたおかげですよ。私からも、お疲れさまでした」

お互い会話をする時間を取れないでいたにも関わらず、家事の分担や子供の躾のことなどの不満は一切なかった。

ストーカー被害には何度かあったが、異性と不倫に繋がるような関係を持つことは今までなかった。

2人の子供を育てるので必死だったから。


涼しい風が部屋の中に入り込む。

イザベラの艶やかな髪は風になびく。

サンズは思わず見とれてしまった…。

「…綺麗だ…イザベラ…」

「……サンズさんも…ずっと格好いいです…」

ふたりは見つめ合う、サンズはイザベラの身体を抱き寄せ、強く抱き締めた。

「愛しているよ…イザベラ…」

「私も…愛しています…サンズさん…」

サンズとイザベラは唇を重ね口づけを交わす。

今まで離れていた時間を取り戻すかのように、お互いを求め合う。

離したくちびるから糸がひく。

「…はぁ…ぁ……サンズさん…」

「……イザベラ……」

熱くなる身体…、からみ合う吐息…。

身体の力は抜けていき、イザベラはサンズの肩に身体を預ける。

胸元のはだけたバスローブに視線を下ろす。

サンズは汗ばむイザベラの褐色の肌とバスローブの間に左手を差し込む。

柔らかい胸の感触を確かめながら指で乳首を優しく摘まむ。

「…ぁ……」

ピクッと小さく身体を震わせたイザベラは上目遣いでサンズの顔を見る。

そのとろーんとした潤んだ瞳は受け入れている目だと確信したサンズはイザベラを床に押し倒す。

「…子供たち起きちゃうから…静かにね…」

「……イザベラ次第じゃないか?……」

イザベラはサンズの腰に回した両腕を太ももに沿わせ、ブリーフの中で硬く反り立っている肉棒を優しく両手で撫でる。

「……きて……サンズさん…」

きつく抱き締めた身体が、重なり合う身体の温もりが、愛し合うふたりの心を熱くする。

ふたりの気持ちは付き合った頃のまま、変わることのない愛情を確かめ合う。

時が経つのを忘れ、お互いの身体を求め合った。

注がれた愛情はまた新たな生命を育むことだろう。

まだ見ぬ未来に希望を託し、家族4人で楽しく過ごして行こうと誓った。


______________


あれからシエルとマイルが目を覚ますことはなかった。

そして次の日の朝。

ホテルのチェックアウトを済ませ、

帰りのバスがバス停に到着するまでの間、

ホテル1階のラウンジでショートケーキを4つ注文し、シエルとマイルの誕生日を祝った。

「7歳の誕生日おめでとう!シエル、マイル」

「おめでとう」

「「ありがとうお父さん!お母さん!」」

家族4人揃って誕生日を祝ったのも何年ぶりだろう。

子供2人のこんなに嬉しそうな笑顔が今までの日々を払拭してくれた気がして、このひとときが何よりも幸せに感じた。


9時48分。

バス停に到着したバスに乗り込み帰路に着く。

「楽しかったねお母さん!お父さん!」

帰りのバスでさえも、何もかもが嬉しくて興奮の冷めない様子のシエル。

「そうだね~、楽しかったねシエル~」

「今度はみんなでオーロラ見に行きたいなぁ」

「姉ちゃんまた言ってるょ…」

「オーロラかぁ…じゃぁ次の旅行は夏休みだな」

「ほんとにぃ!やったぁ!」

「マイルはどこに行きたいんだ?」

「おれはねぇ…、月に行きたい!アポロ!」

「す、凄い夢だな…」

「じゃぁマイルがもっと大人になったら、お父さんとお母さんとシエルをお月様に旅行に連れて行ってね」

「うん!おれ頑張るからね!」


11時20分。

4人の乗せたバスはハンジア市国に入り、2区1番地のバス停までたどり着いた。

イザベラはマイルを、サンズはシエルと手を繋ぎバスを降りた。

そこからは歩いて自宅に帰る。

2区3番地手前の橋に差し掛かった頃。

「お父さん…おしっこ行きたい…鍵貸して」

「ぁ…うん」

シエルがお股を手で押さえ、尿意を我慢する。

もう目の前には自宅が見えている。

サンズはジャケットの胸ポケットから玄関の鍵を取り出しシエルに鍵を渡す。

シエルは家の玄関まで走る。

「…ん?……ガソリンの匂い…」

サンズが異臭に気付いた。

シエルがドアノブに手を掛けると鍵を使わずにドアが開いた。

「あれぇ?…」

「!…まさか…さがれシエル!」

サンズが叫ぶ。

開いたドアの奥には人影が見えた。

全身に鳥肌が立つ。

「シエル逃げて!」

イザベラはシエルを呼ぶがシエルは玄関先に座り込む。

「おかえりぃ…遅かったねぇ」

ガソリン用の携行缶を持ったラミーがシエルに近づく。

「ぁ……ぁ…」

シエルはおしっこを我慢できずその場でもらしてしまった。

サンズがシエルを抱き寄せた。

「お前ふざけるな!警察呼ぶぞ!」

サンズがラミーを睨む。

「いいよ、別に呼んでも、俺もお前らも死ぬんだからな」

「お前…何を…」

持っていたジッポライターの火を着ける。


「シエル!こっちへ来て!」

母親に呼ばれシエルは走る。

「お願いマイル、よく聞いて、お姉ちゃんと一緒に逃げて!出来るだけ遠くに!」

イザベラはマイルの肩を掴み言い聞かせる。

「でも…お父さんとお母さんは…」

「私たちは大丈夫。後で迎えに行くから…、お姉ちゃんを…守ってあげて…」

「うん!行くよ姉ちゃん!」

「うん!」

シエルとマイルは手を繋ぎ先程歩いてきた道を引き返す。


ごめんシエル…ごめんマイル…ほんとにごめん…

また離しちゃう…。


サンズがラミーの腕を掴もうとするがもう遅かった。

廊下にばらまかれたガソリンにライターを投げ込まれ瞬く間に炎が燃え広がる。

「サンズさん!」

玄関先まで近付いて来てきたイザベラが叫ぶ。

「ほぉら、行かなくていいのか?サンズさぁん」

「イザベラ!逃げろ!お前だけでも…」

「そんな!ダメよ!あなたも一緒に…」

炎の勢いは増し天井にまで達し、黒い煙が部屋中に広がる。

「俺と一緒に死のうぜ?サンズさん」

ラミーはサンズの腕をぐいっと引き寄せた。

イザベラは煙を吸いその場にしゃがみ咳き込む。

「げほ…げほ……サンズ…さん…」

「イザベラ!っ!」

サンズはラミーの腕を振り払い蹴り飛ばした。

ラミーは燃え広がる廊下の床に倒れ込んだ。

「ぐふっ!…あ、あっつ!」

ラミーの服に炎が燃え移る。

サンズは手で口を覆い、玄関先でうずくまるイザベラに駆け寄る。

煙を吸って肺が焼けるように熱い…。頭痛がして目眩がする…。

少しでもイザベラを被害に遭わない安全な所へ

運ばな―。

「…ぐっ…」

サンズの背中に衝撃が走る。

「逃がさねぇよ」

服に炎が燃え移った状態のラミーがサンズの背中に果物ナイフを突き立てた。

残る力を振り絞り、サンズは背後に居るラミーに後ろ蹴りを食らわせる。

蹴り上げた足はラミーの太ももを直撃し、玄関に倒れ込み頭を打ちつけ意識を失った。


背中を刺され力が入らない…。

イザベラを抱き抱えて運ぶ体力は無い…。

薄れる意識…。

少しでも…イザベラを…遠くに…。

地面に這いつくばり、両腕でイザベラを押し出す。

少しでも……遠くに……。


この住宅は5棟の住宅が連なった長屋だ。

燃え上がった火の手は隣の家にも燃え移る。


イザベラを押し出す腕にも力が入らない…。


……少しでも…。


…サイレンの……音……あぁ……これで……助かる…。


その後、イザベラは救助され一命を取り留めた。

サンズは背中を刺され、失血により死亡が確認された。ラミーは全焼した焼け跡から焼死体として発見された。

近隣の住宅へは火は燃え広かったものの、消防の鎮火の末、負傷者は出なかった。



13時10分。

一方、必死で逃げてきて、どこまで来たのか分からなくなり、行く宛もなく彷徨うシエルとマイルは…。

おしっこを漏らしてしまった服のまま逃げてきたシエルは身体が冷え震えている。

「大丈夫?姉ちゃん…」

「ぅ…うん…」

マイルはシエルの肩を抱き寄せる。

「お父さんとお母さん…大丈夫かなぁ…」

家の中に居たおじさんは、お父さんとお母さんが危ないからって言っていた人だった。

「迎えにくるよぉ…大丈夫だよぉ……」

弱々しくもなんとか元気づけようと明るく振る舞うシエル。

河川敷の橋の下で息を潜めて父親と母親が迎えに来るのを待っていた。


河川敷の階段を1人の金髪の少年が降りてきた。

すると少年は川の水を手で掬い、勢い良く飲み干した。

「っぷはー。やっぱ綺麗な街だけあって川の水

もうめー!」

少年はすかさず川の水を掬い、顔を洗う。

「っはぁー……ぉ?」

少年は橋の下のシエルとマイルの存在に気付いた。

「どうしたの君たち…迷子?」

「お家…無くなっちゃったかも…」

マイルがぼそっと呟く。

「そうなんだぁ…俺の名前はキースだ。

 …ちょっと待っててね」

と言って少年は河川敷の階段を上がって行く。

「団長~、団長~!」

少し待っていると先程の少年と黒いマントを羽織った体格の良い男性が姿を現した。

「どうしたお前たち…迷子か?父ちゃんと母ちゃんは?」

「……わからない…」

シエルがマイルの肩にしがみつく。

「また…知らないおじさんだ…」

シエルは怯えた目をして震えている。

「俺たちと一緒に来るか?」

団長は手を伸ばす。

男性から届く低い声は、どこか同じような寂しさを感じさせる。

この人は…、きっと…。

マイルは再びシエルの肩を強く抱き寄せる。

「大丈夫だよ…姉ちゃん」

静かに囁く。

 

  …姉ちゃんはおれが守らないと…

  …生まれ変わっても一緒なんだ…

  …姉ちゃんと一緒なら何処へでも…


「…オーロラ…見に行きたい…」

マイルは団長の目を真っ直ぐ見て答えた。

「良し!俺がオーロラの見れる国まで連れて行ってやる。一緒に来い…」

マイルは団長の伸ばす手に小さな手を重ねた。


__________


  ……かぁさん…、

       …お母さ……

           お母さん!

「ぇ…」

「どうしたのお母さん。外ばっかり見てぇ、紅茶が冷めちゃうよ?」

テーブルには紅茶の注がれたティーカップが置いてあった。

「ちょっと考え事をしていたの…ごめんなさい」


「「ありがとうございましたぁ」」

庭席の3番、4番テーブルのお客様のお帰りを正門前で見送るシエルとマイル。

後ろを振り返り、屋敷に目を向ける。

リビングルームの窓際の席にいる母親とシエルが目が合った。

シエルは少しはにかんで、腰の辺りで母親に向かい小さく手を振る。

「……シエル…」

「ぇ…」

イザベラは椅子からすっと立ち上がり、リビングルームを出ていく。

「…お母さん…」

シエルも走り出す。

「マイルも行こう!」

「…ぁ……」

シエルが玄関のドアノブに手を掛ける。

ドアを開けると母親がこちらに向かい走ってくる。

「シエル…」

「お母さん!」

シエルとイザベラは抱き合い涙を流す。

「もう!どこ行ってたの!ずっと探してたんだからぁ!」

「ごめん…ごめんねシエル…」

良かった…やっとお母さんに…会えた…。

マイルは玄関扉の前で立ち尽くす。

つんつん、と腰を突つかれた。

「マイルお兄ちゃんは行かないの?お母さんなんでしょ?」

アリシアがマイルの顔を覗き込む。

「…俺は……」

「…おいで…マイル…」

イザベラが手を伸ばす。

…おいでなんて…、そんな優しい声で呼ばれたら……おれ……。

マイルはゆっくり歩いてイザベラの肩に顔を埋めた。

イザベラがマイルの頭をわしゃわしゃ撫でる。

「おっきくなったねぇ…2人とも…」

緊張の糸が切れたようにマイルも涙を流す。

「心配…してたんだぞ……ずっと…」

「うん…うん、…ありがとう…マイル」

「お母さん……会えて……良かったぁ…」


3人は肩を抱き合い、

十数年ぶりの再会を喜び合った。


#


「お母さんどうしたの?急に走り出し―あっ!

お母さんが3人居る!」

スージーが玄関に姿を現し、同じ顔が3つ並んで涙を流している事に驚き目を丸くする。

「ぁ、スージー…ごめんなさい、紹介するわね。この子は"スージー"今年で15歳になるあなた達の妹よ」

イザベラがシエルとマイルにスージーについて説明する。

「妹…なのか…」

「でも…、お父さんは違う人なんじゃ…」

シエルもマイルも少し疑いの目を向ける。

「いいえ…、この子は正真正銘、サンズさんとの子供よ」

イザベラは優しい表情で訂正する。

「今日一緒に来た男性とは10年前に結婚したの」

「じゃぁ…お父さんは…」

「…あなた達2人を手放したあとから…、私も詳しくは覚えていないの。病院で目を覚ましたら…サンズさんはすでに亡くなっていたから…」

「「そぅ…だったんだ…」」

シエルとマイルが同時に落胆した声を漏らす。

「だからなんとしてでもスージーだけは育てなくちゃいけなかった…。サンズさんの想いが込められているからね」

お母さんの微笑みの中に微かに寂しさを感じる。

これ以上、昔の話をするのはよそう…。


「お母さんからお話は聞いてます!双子のお姉さん!お兄さん!よろしくお願いします!」

スージーが3人の近くに駆け寄り元気に挨拶をする。

「「ぁ…うん…よろしく…」」

急に妹だなんて言われても実感が沸かないけど…。

すると新しい旦那さんがリビングルームから玄関に姿を現す。

「はじめまして、私の名前は"ケビン"と申します。よろしく。スージーはこのお店で働くことになったので、これから仲良くしてくれると嬉しい」

落ち着いた声でケビンが挨拶をする。

「えっ!そうなんだ」

シエルがスージーの顔を見る。

「はいっ!調理担当で働きます!」

「会ったばかりの妹と一緒に仕事するなんて…ますます実感が沸かないなぁ…。まぁ、よろしくな、スージー」

マイルが戸惑いながらもスージーの肩にポンと手を置いた。

「はい!」

「お客様どうかなさいましたか?!皆さまお席をお立ちになって!」

マリーが1番席に誰も座っていないことに気付き、玄関にやって来た。

「えへへ~、今ね、感動の再会シーンだよ!」

アリシアが庭席のバッシングを済ませ、すれ違いざまにマリーに笑顔で話し掛け、キッチンに入って行った。

「そ、そうでしたかぁ…。私はてっきり、接客に不満があったのかと…」

マリーは心を落ち着かせ胸を撫で下ろす。

「マリーさんの接客に文句ある人なんて、今まで見たこと無いよ」

と優しい口調でマイルが言う。

「今日来店したお客様は私たちの家族だったの、驚かせてごめんねマリーさん」

シエルは涙で濡れた頬を手で拭い、笑顔でマリーに言い聞かせた。

「では場所を移して大テーブルで家族の時間を過ごしてはいかがですか?」

とマリーは気を利かせて提案する。

「ぁ、いや…俺たちはまだ客寄せがあるから…」

名残惜しそうだが仕事が優先だと、マイルはマリーの提案を断った。

「それが終わってから…時間があれば話そう?」

シエルがイザベラに予定を聞く。

「えぇ、私たちもそれまでゆっくりさせてもらうわ。私もこのお店の食事は楽しみだったから。

頑張ってね!シエル、マイル」

「うん!」「おう!」

…懐かしく感じる…昔みたいな…こんな会話…。

マリーの案内でイザベラ、スージー、ケビンは再びリビングルームの1番席に移動する。

シエルとマイルは庭園に出てマントマイムの準備をする。


ラストオーダーの時間は過ぎ、他のお客様も退店して営業が終了した13時55分。

リビングルームから10名ほどがテーブルを囲める客室に場所を移した。

リオンとキースも合流し席に着いている。

マリーはテーブルの脇で人数分の紅茶を淹れている。

「こうして見るとぉ、本当にお母さんそっくりだね。お姉さんお兄さん」

「私も先程2人の顔を見た時は…内心驚いたな」

スージーとケビンがテーブル席に3人並んで座る顔を見て感心する。

「ま、まぁ…な」「そ、そうかなぁ」

シエルとマイルが照れる。


「遅くなってすみません。お待たせしました」

片付けを済ませたウィルソンが客室に顔を出し、テーブル席の前に立った。

アリシアもウィルソンの後に続いて客室に入ってきた。

「このお店のシェフをしています。ウィルソンです。よろしくお願いします」

「よろしく」

ウィルソンの挨拶に応えケビンが軽い会釈をする。

「お会い出来て嬉しいです。シエルとマイルのお母さんとお父さんだなんて…」

「ありがとうウィルソンさん」

イザベラがはにかみ笑みを浮かべる。

…今はとりあえずお父さんのことはいいや、

ウィルには後で詳しく話しておこう…

とマイルは心中で思った。

「スージーさんをこれからこのお店の調理担当と客寄せ担当と兼任ということで、採用したいと思います。どうぞよろしくお願いします」

「よろしくお願いします!スージー15歳です!」

「客寄せと兼任?」

キースがウィルソンに聞く。

「スージーさんはピアノが弾けるそうなので、リオンと一緒に楽器奏者として客寄せしてもらいます。ちょうどリビングルームに使っていないグランドピアノがあったので、それで演奏してもらえればと思います」

「そうなんだぁ、これからはパートナーだね!リオンだよ。よろしく~」

リオンはにこっと笑ってスージーに手を振る。

「はい!今朝のお姉さんの"G線上のアリア"の演奏素敵でした!よろしくお願いします」

「ぁ、ありがとう…褒められると照れるなぁ…」

リオンは顔を赤くして、てへっと舌を出す。

「では皆さん。これからスージーをよろしくお願いします。それと…シエルとマイルのことも」

イザベラが椅子から立ち上がり頭を下げた。

「「任せてください!」」

リオン、キース、アリシアが笑顔で応える。

「お…俺たちもか…」

「こんなに長く一緒に居て改めて言われると…」



これから先、どんな出会いがあるか分からないけど、このお店を通じて家族と再会出来たことは双子姉弟にとっても嬉しい出来事であるのは間違いないから。

このリザベートのこのお屋敷で"パイユ•ド•ピエロ"をオープンさせて本当に良かったと思う。

みんなと一緒に力を合わせて、どんな壁も乗り越えて行こう。

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