第24話 大学を辞めるよ

 龍平と姫奈が不本意な別れ方をした二日後の早朝に龍平の携帯電話が鳴った。相手は姫奈だと思ったが電話の向こうにいたのは母だった。電話をしてくることはさほど珍しいことではない。


しかし、この日の母は只ならぬ厳粛な語気をしている。電話をかけてきた時刻と母の口調を考慮すると余程切羽詰った具合であることは想像に難くない。落ち着きのない母が言うには、どうやら父の身体に癌が見つかったということらしい。

膵臓に巣くう癌はかなり進行しており医者から宣告された余命はたったの半年であるという。


なにはともあれ実家に様子を伺いに帰らなくてはならない。鞄に着替えと原稿用紙と文庫本を詰め込んで龍平は家を飛び出した。東京駅から宇都宮まで新幹線で移動して、さらにそこから三十分程私鉄を乗り継いで実家の最寄り駅まで辿り着いた。


実家には母も弟もいなかった。きっと病院にいるのだろう。よくよく気を利かせれば当たり前のことだが、今の龍平は機転がきかない。


電話で母を捕まえて、ようやく父の入院する病院に行き着いたが龍平の頭にはひとつの難題が解決されないまま置き去りにされていた。龍平はあまり父が好きではなかった。家族を尊ぶ人だと心得てはいたが武骨な性格が嫌いだったのだ。


おそらく龍平と似過ぎているから余計好きになれなかったのだろう。もうすぐ逝くことを悟っている父になんと声をかけたら良いのだろう。答えは出なかったが、父の病室に踏み込んだ。


まずは父の顔色を見ることと僕の顔を見せることが肝心なのだ。父とは大学に入ってから会っていない。久し振りに見る父は少し痩せこけていた。母と弟が席を立ったので父とふたりきりになったのだが、やはりなにを話せば良いのか分からない。龍平の心中を察してなのか父の方から呼びかけた。


「大学は楽しいか。」


 うん、と肯く。


「ひとり暮らしは楽しいか。」


 うん、と肯く。


「俺の頼みをひとつ聴いてくれないか。」


 なに。と愛想なく応答する。


「申しわけないが田舎に帰ってきてくれないか。俺の仕事を引き継いでくれないか。」


 不躾な言葉遣いは昔と変わらない。しかし、大分小さくなってしまったような気がする。


 龍平の実家は農家を営んでいる。夏には稲作をして冬には苺を育てて売っている。今時にしては大分広い土地を所有して農業に勤めていた。龍平は物書きを志してはいたが、いつかは家業を継がなければならないと腹を括っていた。予定していたより少しその時期が早めにやってきただけのことだ。もう一度、うん、と肯いた。すぐに大学に退学届を出して故郷に帰って来ると約束した。


 近々逝く人というのもやはりひと通りの人と変わりがないなと感じた。龍平は人の死というものに鈍感なのか、それともよく理解しているのか。


 病室を出て母と僅かばかり話をした。父の農家の仕事を継ぐことを約束したこと。すぐに大学を辞めて故郷に帰って来ること。母そのどちらも反対した。農家を引き継ぐことは自分でも出来ることだ。龍平はまだ若過ぎる。憧れに向かって生きるべきだと言う。母は龍平の憧れが物書きであることはよく心得ていた。


しかし、龍平も父と似ていて頑固者だ。一度固めた考えを簡単には裏返さない。今日中に東京に戻って明日には退学届を出すと意地を張る。龍平はもう子供ではない。母の説得の弁より自身の主張を優先するようになったのだ。二時間後には宇都宮に向かう私鉄に乗っていた。早く逆戻りしなくてはならない。すぐに姫奈に会わなくてはならない。

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